一刃の淵 (お侍 習作152)

         お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


あの過日の大戦を経てののち、
情も熱意も、怒りも固執も、
人としてのあれこれが
すっかりと涸れ果てた身となったにもかかわらず。
そういえば、こんな自分を“先生”などと呼び、
しきりと教えをと請うていた少年がいた。
あまつさえ ひとかたならぬ難儀を抱えた折のこと、
ましてや、誰ぞに何ぞ教えるような、
人性でもなければ 徳高くもなし。
寄せ集めだった兵力への、連携・統率の一環として、
きつく振り切ることもなかろうと、半ば放置しておったよなと。
脈絡なく、ふと思い起こしてしまった勘兵衛だったのは。
目の前で躍起になっている青年の態に、
あの頃のあの少年の姿が重なったからだろか…。




   ◇◇◇



何か見たからか、何か聞こえたからか、
それとも何か嗅いだか、何にか触れたのか。
そのどれから来たことかも実は判らない。
五感のどれかが拾ったらしき“何か”へ、
危険とも嫌悪とも判らぬまま、
強いて言や“負”への感応感覚が、強烈に叩かれ弾かれて。
あまりの鮮烈さが先んじて、
総身の奥深いところへまでを一気に突き通ったものだから。
何をどうと考えるよりうんと先、
肌を震わせその身を慄かせるほどの、
凄まじいまでの拒否反応が現れてのこと。
まさしくの“反射的に”後方へと全力で飛び退いていて。

 「……、…っ。」

本当に紙一重、いやさ間一髪という際どい間合い、
目にも止まらぬ速さで、
凶刃一閃、
寸前までいた空間を、何かが薙いで引き裂いた。
銀色の線がギラリと走った、
その余燼か撒き起こった突風が、
石畳の砂埃を舞い上げ、こちらの肌へも ちりりと達す。

 「く…っ。」

金の髪をし、切れ長の双眸は赤。
玲瓏端正な容貌で、痩躯に添うた衣紋は深紅。
噂に聞いてた“褐白金紅”の、片割れの若い方。
花のような顔容
(かんばせ)に、
若木の如き しなやかな肢体という、
役者のような優しげな姿をしながら、
されども振るう刀には鬼さえ逃げる。
背中に負うた双刀、なめらかに抜き放ち。
高々と宙を舞っての、紅翼銀翅を大きく広げ。
標的目がけて容赦なく、鋭い滑空仕掛ければ。
そこから何物も仕留め逃したことはなく。

遥か昔、この大陸を二つに分かつた大きな戦さに、
まだ幼年のころから引き出されての。
そこで磨いた技なれば、
情け容赦なぞあるものか。
誅す相手と見なされたなら、もはや逃げるは不可能と、
鬼か獣のようにさえ、噂されてた達人で。

 『まさか そんな。
  だって、野伏せりを退治している人なのでしょう?』

悪漢を倒している存在を、どうしてそのように悪く言う。
その噂はきっと、大将 屠
(ほふ)られた盗賊一味の生き残りが、
腹立ち紛れの負け惜しみ、
せいぜい相手を蔑みたくて言ったこと。
ご本人はきっと、頼もしい若武者に違いない。
優雅で凛々しい、潔白の無垢絹が似合うよな、
そんな目映いお人に違いない。
そうと信じて疑わなかった、青年だった、のだけれど。

 『もし。褐白金紅の久蔵様ではござらぬか?』

厳しい修行を積んで積んで、
里でも一、二を争う腕の持ち主となれた。
近い将来は、
ここいらの州郡の治安維持を統括している警邏隊へと、
この身を投じて働くつもり。
力なき人々を守るため、
暴虐振るう悪漢ら、叩きのめしてくれようぞと、
それを目標にして来た青年にとって。
賞金稼ぎという肩書は、
微妙に野卑で、聞こえが悪かったけれど。
それでも…ずば抜けた練達と、
もはや伝説にさえなっている御仁らが、
憧れの存在であっても不思議はなく。

 『これぞまさしく、今後に二度とはない邂逅なれば。』

そんなお人たちが目の前に現れたのは、
彼の住む里から間近い渓谷で、
野伏せり崩れの一団を、見事 仕留めたお務めの関係。
すぐにも発つらしいと聞いて、矢も盾もたまらず、
どうか一手、手合わせをと、無理なお願いしたところ。
思い詰めたよなお顔に何かしら、感じたらしき壮年様が、
相手をしておやりとの目配せくださってのこの仕儀で。
人目に立たぬ、里の外れの石切場の跡地。
単なる手合わせということで、
刀は一振りだけを手にした久蔵様だったのだが。


  ―― 本当に人なのか、と


実際に真っ向から向き合った彼への印象は、
よくも悪くも、それのただ一つぎりだったと思う。
何の表情も載せぬ、凍ったような白い顔。
深紅の長衣を邪魔にもせずにひるがえしての、
華やかなまでに軽やかな身ごなしは、
だが、悪夢の如くに鋭くて隙がなく。
決して理屈に無理のあることではないかのように、
信じられないほど高々と宙へと駆け上がり、
もしくは、地を這うような低さを滑空し。
あっと言う間に間合いが詰まるのが、
我がことではなかったならば、
いっそ喝采を贈っただろうほどの鮮やかさ。

 「…っ!」

こちらを追っていたものが、
いつの間にやら先行していて、
逃げる先、避ける場をも、
次々に叩き、封じては…ふっと身を離して、
態勢整うのを待ちもして。
いつまでもいつまでもと、嬲
(なぶ)っているのじゃあない、ただ、
こうまでの実力差がある以上、
あたふたとたたらを踏んでいる者は、
もはや既に、勝負のあった相手に過ぎぬ。
それへと駄目押しの止めを指しても意味がないということか。

 「……。」

刀の実力にあまりの格差があるのなら、
勘兵衛だとて、そんな無謀に応じたりはしない。
久蔵の強さは破格で、
戦さ場での命のやり取りをすることから始まった刀技であり、
今時の若いのがそれへ居並ぶのは、まずもって無理だ。
だが、

 “…なかなかのものだの。”

手数の上での均衡を縮める策として、
一刀のみの使用という制限をかけたものの。
それ以外では決して手を抜かぬ久蔵なのへ、
随分と粘っており、反射もずば抜けたそれを利かせている青年だと判る。
とどめの一刀の手前で、勝手に勝負有りとし、
刀を引き離す久蔵が、
徐々にではあるがそうなる間合いを延ばされており。
だからこそ“飽きた”と投げ出せずにいるのだろう。

 「…っ。」

そして、そんな久蔵からの
ある意味、手を抜かない刃と対面して、

 ―― 今、あの青年が感じているのは、
    恐らくは…生まれて初めての桁の真の恐怖。

全身をひりひりと炙るのは、痛いほどの焦燥と緊迫と。
生き残りたいのなら、一瞬たりとも気を抜いてはならぬ。
体力も神経も、まるで果てなぞないかのように、
どこまでもどこまでも絞り込み、繰り出し続けて。
息が尽きればそれまでで、
どんな練達でも失速すりゃあ堕ちるのみ。
そんな生死の境を飛び続けた紅胡蝶、
そんな男の繰り出す 自在な太刀筋は、
一瞬でも気を抜けば たちまち懐ろや急所へすべり込み、
斬られずとも寿命が縮むだろう際どさで、
死線というもの覗かせてくれる怖さを孕む。
決して挑発的ではなく、
むしろ幽鬼のように気配もなく迫りくる絶対の恐怖。
戦場にいた者は、
それと酷似したものをすぐさま思い浮かべることが出来、
猶予も慈悲なく生を奪ってゆくそれを、
“死”と呼ぶか、それとも“終”と呼ぶべきか。

 「…くっ!」

殺意も嫌悪も、
傲慢への罰も、
強者としての驕慢も、
何の感情も載せず。
限りなく冷徹に。
ただただ的確なばかりの刃、
右から左から、
上から下から背後から、
引っ切りなしにと繰り出されるのへ。
萎縮さえ許されぬまま、
一つ一つ、確実に噛み合わせての、
叩いて遠のけるしか、青年の側には手はなくて。

 大きく振りかぶられた刀が叩きつけるよに降りかかるのを、
 額の間際に指し渡した刀にて受ければ。
 思うよりも素早く引いてしまう久蔵で。
 それへうかうかと釣り込まれてしまうと、
 隙だらけな身へ、いつの間に溜めを込めたか、
 手首の一ひねりで逆手へ持ち替えた刀による、
 横薙ぎの凄惨な一閃が襲いかかる。
 それもまた若さがそうさせるのか
 理屈抜きの肌合いで素早く察すのはいいとして、
 それへと随分な無理を重ねているのが
 果たしてどこまで保つか。
 ただただ反射によるものだろう、慄くような後ずさりを強いても、
 今のところは 若さが誤差を丸のみにしている模様。
 それでなければ、こうまでの実力差がある立ち合い、
 続いていられよう筈もなく。
 体のあちこちが上げる悲鳴に、
 とっくに手足がもつれて失速していてもおかしくはない。

ただがむしゃらに、若しくは文字通りの必死になって、
死神が振るう刃、叩き撥ねてる青年の、
しゃにむな対峙が、どれほどの刻、展開されたか。

 「…っ、あ…。」

とうとうと足元不如意になっての均衡が崩れた。
あまりに長引いた余波だろか、
そこで引かれるはずの久蔵の刀が、だが、
何に魅入られたものか、
制止をかけるという反射が微妙に遅れた気配。

 「…っ。」

ちまちまとした疲労に意外と侵食されていたことへ、
当人までもが目を見張ったものの、
その刃、結局 止めたのは

 「…それまで。」

それもまた、いつの間に飛び込んでいたものか。
離れたところから見やっていたはずの、
勘兵衛が指し渡した大太刀による、
やや強引な閂
(かんぬき)止めであり。
視野の中のごくごく至近へ、
二振りの太刀が刹那を追い合い、
間一髪という薄氷を挟むようにして交差した風景は、
それによって命を左右された身には、
なかなかに凄絶な代物であったらしく。

 「あ………。」

その光景が何を示すのかも判らぬまま、
ここまでぎりぎり頑張っていた青年の意識の糸が、
とうとう耐え兼ねたか、ふつっと途切れたようである。





    ◇◇◇


 その輪郭が薄闇へ呑まれかかっていた一群は、萩の茂みか、風になぶられ、ざざんと揺れて。ひとしきり暴れたのが幾刻か。それがようよう静まったのを見計らい、別の一角から、りいりいりいと涼しげな虫の声が立つ。一際 澄んだ、冷たい音色が引き立つ静謐に、冴えた横顔さらしたまんま、その身をひたしておれば。初秋の宵のそっけない夜陰をたたえた濡れ縁から、あちこちが重なってもさりとした白衣紋を、相も変わらず器用にさばいて居室へ上がって来た勘兵衛。精悍なお顔に複雑そうな苦笑を浮かべていて、彼をか、それとも中庭の松の梢に上った月をか、端然と座して待っていた久蔵へ、

 「先程、ようやく目が覚めたらしい。」

 そんな一言をまずはと告げた。あまりに苛酷な立ち会いが終焉を迎えたと同時に、緊張感が途切れたそのまま昏倒してしまった青年は。特に容体がひどいということもないまま、昼下がりいっぱいを昏々と眠り続けた。実家は道場を構えておいでで。なればこそ、立ち合いなぞと無茶な仕儀をねだったその上で、人事不省になるなんて、ただただ伜の未熟が招いた不明。どうかお気遣いなきようにと、御父母の両方から、むしろ謝罪をさせてしまったほどであり。それから…宵が訪れるまでを眠り続けた彼は、不意に目を覚ましての開口一番、

 『…口惜しい。』

 はあと震える吐息をつきつつ、そんな一言こぼしたそうで。久蔵にまるで歯が立たずの勝てなんだことへか、それとも…緊張に耐え兼ねて昏倒した自身の不甲斐なさへか。遣る瀬なさげなお顔をしたものの、そのまま床にいるのももどかしいと、すぐにも刀を降りたそうにしていたそうだと。彼らのいる離れの持ち主、この里の長が、そのお顔へ苦笑を滲ませもって告げてくれ。

 『あの跳ねっ返りは、ちっとやそっとじゃあへこたれませぬ。』

 士気だけならば惣領息子の兄上よりも上かも知れず。お武家様には失礼な言いようながら、あの大戦の世に生まれておらなんでよかったと、双親が時折、苦笑混じりに零しておりますくらい。もしもお相手下さったというお若いお方が、愚息のことを案じて下さっておいででしたなら、それこそ申し訳ないと、そうと言うておったらしいと。母屋で訊いて来たそうで。

 「……。」
 「案じてなぞおらなんだ、か?」
 「…。(頷)」

 真摯なお顔には衒いの影さえない。だって、ああまでの何合も打ち合った相手。どのような気性かは、既に何となく知れていたらしく。ただ、

 「……侍では。」
 「そうさの。」

 武道への情熱も熱き士ではあったが、侍とは言えないと。それは“立ち合いを”との申し出をして来たおりから、既に感じてもいた二人であり。人の生死に関わることへは、それこそ人の数だけ論もあろうが、

 ―― 立ち合いの間中、
    あの青年が必死になって薙ぎ払っていたもの

 ただただ それへと触れられることをのみ。恐れたあまりに、型も形式も放り出し、払いのけようと躍起になったもの。とはいえ、侍であるのなら、誰が何が相手でも変わらず、必要とあらばするすると立ちあげることの出来るもの。侍にしか扱えぬ、超振動の糧でもあるもの。

 「あれが、殺気というものだと。果たして理解し得たのだろうかの。」

 常にそれをたずさえ、相手選ばずで斬ること厭わぬ存在を“侍
(もののふ)”というのだと。そう、極悪人ばかりじゃあない、どんな事情かも聴かず問わず、けじめをつけるためだけにも斬る。瀕死の友から懇願されて刀を振るうことも、彼らにはそうそう希少で珍しい話ということもなく。それほどに世界観や価値観の異なる存在へ、この安穏とした里という育ちから発して至るのは、並大抵のことじゃあ不可能だろにと思えてやまぬ。熱意や腕っ節だけではどうにもならぬこと。それしか持たぬ身には、目指しても限界のあるもの。こちらの側から持ち出したところで、倣岸に聞こえるだけか、若しくは理解されないか。なので、いちいち言葉にせぬが、

 「…あの若いのへも、言ってやれば。」
 「あの? ……ああ、勝四郎のことか。」

 懐かしいことをまあと、覚えていた彼へこそ驚いて、深色の目許をしばたたかせれば。精悍なお顔が意外な拍子にほころんだのへ、

 「…、……。」

 思わぬ不意を衝かれたのを誤魔化して、ふんとそっぽを向いた久蔵。澄ました白い横顔には、日頃と変わったところなぞ一刷毛もなかったものの。

 “……。”

 過去と今との若いのが二人も、この勘兵衛から気遣われていることへ、ささやかな悋気が沸いたまで。しかもしかも、ここもまた問題で、それをそうだと 気づいているやらいないやら。そも、それを言うならあなたこそ、生え抜きの侍だからと、この壮年殿の眸に留まり、見つめられ続けているんだのにね。自分のことほど見えぬものだと、こんな形で倣ってる。


  ―― いかがした?
     〜、〜、〜。(何でもない)


 稚い幼子のように、ただただかぶりを振る様、愛しげに見やる、和んだお顔にほだされて。じりじりにじるは大好きなお膝へ。そうそう、それがいいですよと。つまらぬ意地や我の張り過ぎで折れぬよにと。縁の下で夜風に揺れた雑花の蕾が、くすすと微笑った宵だった。






  〜Fine〜  09.09.16.


  *シリアスに見せかけて、
   それでおとすんかいという相変わらずな〆めですいません。
   よそ様で珠玉の萌えカンキュウに出会うと、
   それに引き換えウチのって…と、
   しょぼぼんとなること請け合いな、今日この頃でございます。
   何してるんでしょうかね、ウチの“褐白金紅”さんたちは。
   世直し珍道中でしょうか?
(笑)

   久蔵さんっ、
   そろそろ勘兵衛様が苦手な、寒がるシーズンの到来よっ!
   存分にあっためておやんなさいっ。
   そこから、誘い受けへでも襲い受けへでも
   自在に発展させられるよう、頑張るのよっ!

   「誰だい、あんた。」

   あわわ、
   おっ母様の殺人ビームがおっかねぇ〜っ、てか?
(おいおい)

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