忍び音の…
(お侍 習作154)

         お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


空気が澄んできてのことだろか、
遠い彼方からの鳥の声、不意に響いてハッとする。
冴えたさえずりの鋭さが、物悲しくも木立ちを渡り、
どこかも知れぬまま、視線を上げれば、
そんな自分を見やってた、連れの視線へ捕まって。
気まずいと誤魔化すでなし、
むしろ柔らかく微笑う彼の泰然とした威風にこそ、
何だか居たたまれなくなるのは、
一体どうしてなんだろか……。




      ◇



こたびの相手はなかなかに手練れで。
手下に抱えていた小者らは、
どれがどれとも見分けのつかない程度の連中だったが、
首魁の浪人が随分と重い刀を振るう練達だったのが、
勇名知られた“褐白金紅”を久々に手古摺らせて下さって。

 『…っ!』

いづれ名のあった武将が、時流に乗れずに落ちぶれたものか。
枯れ野を渡る風の中、
からから乾いたざわめき奏でる、茅の群れをも物ともせずに、
こちらの壮年をと目がけて斬りつけた君こそは。
形式を踏んでいながらも、柔軟自在な太刀筋が連綿と続く、
集中力と応用の利いた太刀さばきが鮮やかな、
とんでもなく粘り腰の強わもので。

 『ぐ…っ。』

さしもの勘兵衛でさえ、何度となく太刀を弾かれては大きく飛びすさり、
その態勢を整え直しての仕切り直しを強いられた剛の者。
ごちゃごちゃ集
(たか)る小者の群れを、
銀翅双刀、大きく広げての大胆な斬り込みにて、
片っ端から刈り取っていた久蔵が、
それらをからげてようよう肩越しに振り返ってみた荒野のただ中。
既に一刻近くは経っていたのに、
どちらも仕留められてはない粘り合いは尋常ではなくて。

 『…っ。』

見慣れた砂防服の白が大きくひるがえるたび、
心 落ち着けず、手の中の愛刀の束を何度も何度もきつく握った。
何への対処か大きく飛びすさった間合いへは、
身を乗り出し過ぎて足が地を蹴りかけたほど。
下手に飛び込めば却って邪魔になると、そのくらいは判っていたが、

 『…っ!』

袖にあたろう腕の下、白い上着が大きく裂かれた刹那には、
さすがに辛抱たまらず、その身が宙を翔っており。

 『…これ、久蔵。』

もう済んだのだ、手出しはならぬと、
助けに飛んで来たらしき身内の痩躯、
しっかと抱き止め、双腕の中へ押し込めていた勘兵衛の様子へか。

 『……。』

枯れ野へどうと倒れ伏していた敵将、
その分厚い口元をかすかに引き上げており、
死に際に笑っていたなんて、骨のあるもののふは大したものですねと、
顔なじみの役人、中司
(なかつかさ)殿が感心したように言っていたのも後日のお話。

 「……久蔵?」

そんな枯れ野から聞こえるものか、
風籟の声が遠く近くに響くのが聞こえる、小さな杣家に仮寝の宿をと求めた宵。
小さな燭台があったのへ、慣れた所作にて燈を灯した勘兵衛へ、
連れの若いのが板の間をじりといざり寄り、
そのままお膝へのし上がって来たのへと、
いかがしたかと声をかければ、

 「……。」

相変わらずに言葉を知らぬままの彼だったが、
恨めしそうな鋭い紅い眸が、
詰るような色合い宿し、朴訥な連れ合いのお顔を見上げて来たので。
つい先刻の切り結びを思い起こして、

 「済まなんだな。あれを怒っておるのだろ?」

すぐに思い当たるところが、破れ鍋に何とやら。
自負はあっても自惚れてはいない。
だからこそ堅実重厚な刀を振るう勘兵衛が、
珍しくも圧倒されたのが意外でならない久蔵なのだろう。
その立ち合い、激しい切り結びの合
(ごう)の中、
踏み込みや刃への力の逃がしようなどなどを織り込んでの“読み”が追いつかず、
逃げも避けも出来ぬまま、ままよと見切った衣紋を裂かれるほど、
相手の太刀筋に追い詰められるところなぞ。
思い返せば、自分との立ち合い以降、
一度たりとも見たことがない久蔵にしてみれば。

 『…っ!』

咄嗟だったからこそ、その名を呼びたかったが、
喉奥が閊えて、それが叶わなんだ。
それほどもの切迫に襲われてこと、今になって理解が追いつき、そして。

 「……。」

総身が滾
(たぎ)るをどうしてくれるとの八つ当たり、
ゆったりと座した勘兵衛の、堅くて頼もしい懐ろへ、
遣りどころのない想いごと、その身をぎゅうと擦り寄せて、
彼なりの駄々を捏ねている次第。
どれほどのこと ぞおとしたことか。
あのような雑魚にその命、害されたらどうしよう。
この愛おしい身が損なわれていたならどうしよう。
背にまで降りる豊かな蓬髪が、
顎へとたくわえた剛の髭が、
彫り深い精悍な風貌にいや映えての雄々しき連れ合い。
勿論のこと、見栄えだけに惚れたのじゃあない。
年も生まれも、見栄えも戦いようも、
自分とは何から何まで正反対の存在の彼は、
“北軍
(キタ)の白夜叉”との異名でもって、
南軍でもその名を知られていた最強のもののふで。
天賦の才か、身が軽くてバネが強かったのを生かしての、
ただただ鋭角な刀を切れ味をと伸ばした自分と異なり。
よほどの修羅場をその身へ刷り込んでの培ったのだろ、
臨機応変への袖斗
(ひきだし)も多い、
重厚な戦いようを繰り出せる練達で。
よくよく練り上げられている感覚は、単なる一騎打ちのみならず、
人を指図しての運用が巧みな、軍師としても俊才であり。
近間のみならず、遠くまでもを把握出来るその心持ちの尋の深さは、だが、
時に…錯綜した淵を、暗渠のようなものを彼の中へと感じさせ。
どこをも見てはない時のその視線、
彼岸に間近いその暗渠へと、向いているような気がしては、
久蔵の心持ちをただならぬ不安でかき乱すから。

 「…勝手は許さん。」
 「勝手、か。」

許さぬとの言いようへ、さすがにむっと来たのだろうか。
久蔵からの言を繰り返した勘兵衛であり。
確かに楽勝とはいえなんだものの、
それでも…あの程度の立ち合いごとき、
この命を奪うそれだと思えなかった勘兵衛だけに、

 「随分と見くびられたものよの。」

そうと断じられたことへこそ物言いしたくなったか、
それとも、じいと睨
(ね)め上げてくる久蔵に挑発されたか。
すぐの間近になっていた、小さな顎へと手を伸ばし、
掬い上げるとがっちり掴む。

 「…っ。」

視線を逸らす気なぞそもそもなかったが、
そうやって意のままにならぬようにと固定されたのは、
恣意的な行為にも通じること。
何をする気かとますます視線を尖らせれば、

 「…っ、」

そろりと近づいた男の顔が、こちらの顔へと陰を落とす。
ただでさえ暗かった部屋の中、
勘兵衛がどんな表情浮かべているやら、明確には見えぬままだったけれど。
口元へと触れた乾いた感触へ、何を恐れたか細い肩が咄嗟に跳ね上がり、
抗いのためのもがきを見せかかった手を、
空いていたもう片方の手が、他愛ないほどの手際で掴み止めての封じてしまう。

 「…ん。」

じたばた見苦しくも暴れかけたのもほんの一時。
深々と咬み合わさっていた口許は、やがては互いに貪り合いを始めてしまい。
封じられていたのをいつの間にやら解かれた双腕も、
相手を押しのけるどころか、雄々しき肩へと回されてのすがりついている始末。

 “…島田。”

何とも癪だが、もはや逃れられぬもの。
若々しさや華やぎ、嫋やかさなぞとは縁のない、
ただただ武骨で気の利かぬ壮年は。
だが、ただ年を経ただけでは得られぬ得がたきもの、
接した者を間違いなく圧倒する、頼もしい精悍さをその身にまとい、
それを支える濃密な蓄積、気心の太さ強さを合わせ持つ。
もの静かだが重厚で、人性の豊かな奥行きと深さを悟らせるのは、
体躯の雄々しさからだけではなくて。
表情や視線の巡らせようや、ちょっとした所作の端々からも、
彼という人物の単純ではない人と成りを十分に匂わせ、
内面の錯綜を偲ばせては、誰をでも惹きつけるから手に負えぬ。
知れば知るほど、浅からぬ人性がほどけるようで。
そうなればなったで、寂しげな微笑いようの向こうをもっと知りたくなる、
そんな男ぶりの奥深さは、もはや一種の魔性ともいえて。

 「…久蔵?」

やっとのこと、口許が離れたそのまま、
ぱふりと目の前の懐ろに凭れ掛かって。
掴まっている二の腕の、雄々しさ堅さに気づいた久蔵。
とろりとその眸を、酔わせて細める。

  「島田。」
  「んん?」

  「俺のだから。」
  「………ああ。」

  「この首だけじゃあない。この肩もこの腕も、俺のだから。」
  「ああ、そうさな。」

応じる声が彼の胸元にも深く響いて、
こちらの頬を直接くすぐるのがまた心地いい。
まだもっと何か聞きたかったが、
こちらの肩を掴んでの引きはがした勘兵衛が、
そのまま後ろへ押し倒したので。
頭や背中をぶたないよにと、
とさりと降ろされた優しさに甘えこそすれ、
今度は抗いもせずの大人しいもの。
少し老いたる精悍な男のお顔が近づき、
充実した身が、枯れた匂いとともにのしかかって来るの、
うっとり待ち受け、こちらからもしがみつく。


  蹂躙? いや違う。
  懐ろの深いところへ取り込まれ、
  一つになろうと誘
(いざな)われるだけ。
  この厚い胸元も、広い背中も。
  隆とした筋骨の雄々しい腕や、
  ゴツゴツして重たい手のひらも。
  いつだって熱をはらんでる、
  そのくせ ひいやりする鞣し革みたいな肌も。
  全部全部、俺のものなんだもの……。





  〜Fine〜  09.10.25.


  *盛りの秋です。(……そんだけかい)


めるふぉvv
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