虹雅渓だより 〜文の二 (お侍 習作155)

         お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


        



 十年以上前に終焉を迎えた長い長い大戦があった。広大な大陸を二分してのその諍いは、都合 何十年も続いたという結構な規模の代物で。じかに命をやりとりする仕儀だからということを建前に、物資も人材もそれらを送り込む流通や融通も、何よりもと優先されたし、それへと連なる技術世界も飛躍的な進歩を展開。医療としての研究では遅々として進まなかった義肢の研究だったものが、それを基礎にした機巧躯開発は、年度刻みで新しい矩形が続々と更新される勢いだったし、その一方で、物流の融通に長けた階層が各所で軍部に食い込み、人知れずの侵略を進め。気がつけば、最初の切っ掛けなぞどこへやら、総大将同士の講和なぞ単なる張りぼてで、南北それぞれの流通の大主幹を一手に統括した“天主”なる存在とその配下の“アキンド”らが、彼らの都合から締結させた和睦によって、あれほどの戦乱がそりゃあ呆気なく幕を閉じたのさ…とまで言われている。

 “まま、そりゃあ ちぃと言い過ぎの感もありますが。”

 世界をそこまで牛耳れたというのは確かに大袈裟な言いようだが、戦後の世界の変わりよう、少しずつではあったが そうなって行くのがさも自然という案配で、商人の時代へと移りいった変遷を、少しほど世間からは浮いて離れた立場から見て来た自分にしてみれば。ようもこうまでこなれた仕儀を…ほんの十数年でのこの変わりようを、さも自然な成り行きであったかのようにじわじわと、人知れずの上手に運んだものだのと、感服したほどの見事さであり。かつての軍部主体だった政権がそうしたように、脅し立てての急かすことはせず。さも自発的にこうなったように、その実、鬼さんこちら手の鳴る方へと要領よく誘導した、大局を見据えておればこそ小さな我慢と解釈も出来た上での、花より実をとる商売人である彼らならではな忍耐や粘り腰の齎した“勝ち”と言えて。

 “……。”

 今は自分も“そっち側”の人間なのだから、そうそう悪くばかり言うもんじゃあないのだろけど。彼らの手のひらの上で踊らされ、もしかしてもっと早じまい出来た戦さだったかもしれぬのに、そういったところまでを調整されていたとしたら、などなどと思うにつけ、微妙に遣り切れぬ気分にもなろうというもので。そんな思惑にいいように引き摺り回されたのが、自分を含めた有象無象だけならまだしも、そりゃあ深い人性なさった あの御方までもを翻弄したかと思うと、腹の奥底がいまだにじりじりと煮えそうな気分にもなりもする。とはいえ、

 “…全部ぜんぶ、昔のこったね。”

 その“あの御方”にしたところで。いつまでも過去を引き摺るのはよくないと、先のある人 押っつけて、どんと背を押し、送り出したクセしてねと。今度こそは自分へ向けてのそれ、口許に苦い笑みが滲んだところで、やれやれとわざとらしくもかぶりを振っての振り払い。陽あたりのいい広小路の少しほど外れ、真っ赤な毛氈を敷いた広いめの床几に腰掛けていた男衆。盆ごと出されてあった湯飲みを持ち上げ、茶の残りをすすると、立ち上がりながら羽織の袖へひょいとその手を引っ込めて。小粋なほんの一所作にて小銭を浚い、まだまだ少女という年頃の看板娘へ、ここへ置くよと愛想を見せる。はんなりと細められた双眸は、出来のいい青玻璃を据えたような涼やかさ。秋の陽にいや映える、額や頬の絖絹のような白さが品よく馴染んだ、優しそうな細おもての落ち着きある神々しさへと。こちらさんはまだ新米か、今ひとつ洗練の満たぬ娘さんが、ついのこととて立ちん坊になり、ぽうと頬染め見ほれてしまったほどであり。そんな様子へ、

 「これ、おみよ。なんて不調法だい。」

 たまたま居合わせた女将さんが、挨拶も返さぬ娘を叱ると、そのまま振り返っての客の男へ、眉を下げて詫びて見せたほど。

「すまないねぇ、七郎次さん。
 まだ日の浅い娘
(こ)なもんで躾けが行き届かなくってねぇ。」
「なに、初々しい良い子じゃないか。」

 馴染みででもあるか、名指しでのお声かけへとやはり笑った伊達男。初心な娘には、ただただ物腰柔らかな優しげな風貌としか見えなかろうが、見る人が見りゃあ、ただのお気楽トンボや優男じゃあないのが、立ち居振る舞いや声の張り、風情の遠くから伝わって来もするような。そんな不思議な人性の厚みを、小じゃれた色襲
(かさね)の秋の小紋の下へと呑んでた彼こそは、

 「ありゃあ、癒しの里の“蛍屋”の七郎次さんだよ。」

 いかにも颯爽とという急ぎ足じゃあなかったのに、切れのいい動作があっと言う間にその姿を広小路の雑踏の中へと紛れさせてしまった彼の人の。肩書き素性を聞きたそうに見やって来た娘へと。女将が肩をすくめながら、それでもさらりと教えてくれて。
「え? 癒しの里の?」
 それって最下層の歓楽街、色街じゃあありませんかと、はっとしての今度は怖々と細っこい肩を縮めた おみよとやらだったが、
「あんたくらいの娘なら、そんな風に後じさって正解だよ。」
 妙にすれちまって動じないよりよっぽどいいと、先程の男が褒めたのと似たようなお言いようをしてから、
「ただ あのお兄さんは、妓楼や飲み屋の筋のお人じゃあない。」
 胡散臭い筋どころか、むしろ、お大尽や上客しか逢うこと叶わぬほどの格の、お座敷料亭の旦那ご主人だからね、と。まるで、あのお人がそんな有名人であることが、自分の身内の誉れのように、誇らしげに付け足してから、

 「だからってわけでもないし、あのお兄さんにだけって話じゃあない。
  愛想をちゃんと振り撒かにゃあ、この商売は上がったりだよ?」
 「あ、は、はいっ!」

 商いの初歩の初歩、ちゃんと飲み込みなねと叱咤なさった昼下がり。中層から望める空は、荒野からの風が磨いたか高い高い青の片隅に、有り明けの白い月がぼんやりした影を見せていた。





          ◇


 先の大戦の、その末期辺り。ここいらの上空で結構な規模の会戦が展開されたその折に、撃沈という憂き目を見たらしき“本丸”級の戦艦があって。そんな事態自体はさして珍しいことでなし。荒野の真ん中、元は大河でも流れていた跡らしき涸れ渓谷をさらに抉ったは、搭載されてた動力炉が大爆発でも起こしたせいか。随分な深さへまで食い込みの、たいそうな惨状となったのだろ、そんな爆心地へも。どういう加減か…いつの間にやら、あちこちから流れ着いた人々が徐々に住み始め、気がつきゃそれなりの集落となっており。何しろ、大地にめり込んでた残骸は、元は宙を渡ってた船だけに骨格は頑丈だったし、その戦艦が突っ込んだ先は、何という偶然か、地下の伏流水が誰にも知られぬままに流れていた水脈の上。だからと言って耕作には到底向かぬ土地ではあったが、荒野を行き来する人々には格好の潤いという癒しになった。大きな戦さも終焉を迎え、あちこちが復興に向けて活気づき、物も人も引っ切りなしの縦横無尽に大陸を移動し続けて。そんな人々の中には、ここに根を下ろし…例えば 北から来た物を南から来る人へ渡すような商いを始める者も現れて。そんな交易であっと言う間に、瓦礫の焼け跡から一大中継都市にまで大発展を見せたこの里は、その逞しい成長の原動力となった初代の差配が名付けたそのまま、今も“虹雅渓”と呼ばれている。その発展過程があまりに急だったせいで、街は何層もの居住区に分かれており。ここは中層、すぐ外にあたる荒野から入って来た旅人らが、まずはと足を踏み入れるところ。馴染みのある者ならば、下層に降りれば手頃な木賃宿があることくらいは知っていようから、雑踏も速いのと遅いの、帯のように分かれての流れていて。そんな旅人らのいで立ちに、ふと視線が向いた七郎次。外套や厳重な靴が目立つことへと気がついて、

 “そろそろ冬支度の荷も、大きに入って来る頃合いだねぇ。”

 冒頭で少々浚ったが、ある意味で新時代の勝者でもある商人たちは、だが。功を焦ったか、それとも…そんな彼らの仕立てた“作為”の中、人知れず生じた歪みが産み落とした“怨嗟”が暴走暴発したものか。商人らの中でも特に選ばれた存在、天主
(あまぬし)とその取り巻きの大商人らが、世界の覇権を握らんとしていた“成熟”を前にして。その屋台骨ごと壊滅状態にまで粉砕されたのが つい最近。ただ単に流通を一手に押さえていての繁栄というだけならば、今頃は独り天下の春を謳歌してもいられただろに。行き場を無くした機巧躯の侍ら、今の世にあっては“野伏せり”などと呼ばれて恐れられている連中と秘密裏に結託、いやさ統率していたなぞという裏の顔を持ち。流通の源、絶対通貨でもある“米”を、無理から強奪してまでかき集め、独占し…という、彼らの築いたあまりに非道なからくり見抜いた、とある一派との“衝突”があってのこと。この大陸における流通の網を大上段から掌握していた上層部が、その住居でもあった“都”という大戦艦ごと荒野へ撃沈。新しく立ったばかりの若き天主と主立った商人たちが、文字通りの一夜にして居なくなってしまった非常事態にあって。何が起きたか精査するより、混乱しかけた流通を立て直す方が先と…さすがはアキンドたちが中心の世界よという対処になったは、ある意味 立派に皮肉な流れでもありながら、そのお陰様でさしたる混乱もなかったのが、

 “一番のお膝下、この虹雅渓だってのが穿ってるよねぇ。”

 すわ、反乱分子の蜂起か、政権転覆の胎動かなぞと、それまで無聊をかこつていた浪人らがハッとし、刀を手に手に立ち上がりかけた地方や町もあったらしいが。支配層が一方的な圧政を強いていた地域はともかく、自由商業万歳という気風の濃いこの里では、先の差配が合理的な仕組みというのを様々に残していったがため、大した混乱も起きなかった。統率がとれていての頼もしい、警邏隊へと住人の大半でもある商人らがこぞって協力したので治安も揺るがず。そんな彼らへの給金とそれから、あくまでも電気や上水の使用量という扱いの徴税も、皆さん まめに収めての滞らず。そうこうするうち、初代の差配だった綾麻呂が復帰。第二の禁足地とでも呼ぶのだろうか、神無村の手前の荒野に撃沈された“都”の炉からも、蓄電筒を作り出すこととなった式杜人らと、新たに流通上での契約を結んでという、大きな土産を抱えての帰還は、転んでもただじゃあ起きぬ男よと、事情通らに苦笑をさせたれど。この里の盤石な体制がそれによって再生を完了したのだと、誰の目にも明らかな事実として把握され、結構な騒動と波乱に揉まれ、それこそ爆心地だったはずの地だってのに、まあなんて素早くも、何事もなかったかのように“日常”を取り戻していることか。

 “主だった顔触れが居合わせたからだってのは理由にならないことだろうしね。”

 何もまるきり騒動が起きなかった訳じゃあなかった。ちろりんと二度ほど、浪人どもの蜂起か、はたまた暴動かと思わすような騒ぎが あったこたあったのだが。それをあっと言う間に手際よく畳んだのが警邏隊だと来ちゃあ、この街には手出ししても無駄だと駄目押しされたようなもの。それ以降は、あの大惨事が起きる以前とさして変わらぬ、雑多で猥雑で、でも生き生きした流通の街のまま。強かで逞しい住人たちが、突飛な野心もないままながら、笑ったり泣いたりの充実した日々を送っておいで。

 「よおシチさん、買い物かい?」
 「おお、七郎次さんじゃないか。お店の方はいいのかい?」

 時折顔なじみと出会っちゃあ、当たり障りのない会釈なぞ返しつつ。そろそろ通りを挟む家々の白壁が、茜がかった目映い金色に塗りかわろうという西かげりの陽の中。下層へ降りる大階段のある通りまで、すたすた向かっていたそんな折、

 「……っ。あ、誰か、そいつを捕まえとくれっ!」

 キャッという悲鳴も上がっての、重なったのが子供の泣く声。はっとして見やれば、雑踏の隙間から飛び出して来た人影があり、そやつが退いて出来た空隙、一瞬だけ覗いたところには、かすれた石畳へと引き倒された女性とその腕に小さな子供。どうやら無理からの力づくで、手荷物を引ったくられでもしたらしい。ところで、こういう事態にあって、人が沢山いるにも関わらず、意外なくらいに誰も応じてくれぬ間合いがある。こんな悪事なぞ雑踏じゃあ日常茶飯、しっかり抱えていなかったあんたが悪いと、見物気分から眺めているよな性悪な顔触ればかり…とは言わないが。気の毒だとは思うが、薄情かも知れぬが、旅の途中なのはお互い様よと、関わり合いを恐れる人々も少なかないせいであり。

 “旅のお人じゃあ、それもしょうがないけれど。”

 こちとらここの住人、こんな輩ばかりの乱暴で冷たいところと思われちゃあ沽券に関わる…なんてことを思ったのかどうか。騒ぎの第一声を聞いたそのままその場へと立ち止まり、視線だけにて賊の動線を追ってゆく。とりあえずは逃げるのがセオリーで、中身を確かめるのはその後だ。相手が子供連れの女と甘く見てか、肩越しに背後を見やり、追って来れないことを確かめているところが何とも悪辣で。その醜悪な顔へと、成功を確信したか卑しい笑みが浮かんだその瞬間、

  ――― びゅっ、と

 そろそろ聞かれるのではないかと、そういや誰かが話してた。冬が間近いその先触れ、木枯らしの唸りにもどこか似た。周囲のあれこれはためかせ、ばたたはたたと叩きもって通過する、鋭いつむじ風の起こす唸りのような音がして。したかと思ったその感覚が、言語になっての確認されたのとほぼ同時、肩越し姿勢を戻しかけ、まだ微妙に横を向いてた盗っ人のこめかみあたりへ、

  こぉーんっと小気味のいい音を立て

 思い切りのいい速さと角度で、容赦なくぶち当たったものがある。

 「…っってぇーーっ!」

 何の予測もない方向から突然に、相当な威力の飛礫がぶち当てられたようなものであり。しかもこめかみといや目のそばで、急所にも程近い脆い場所。驚きと痛さと、正体不明な事態への気味の悪さとが綯い混ぜになってのことだろう、忙しない素振りでキョロキョロと周辺を見回した反っ歯の痩せ男に向かい、

 「あ。こりゃあすいませんねぇ。」

 上物の羽織に今時の色襲
(かさね)も小粋ないで立ちの、つややかな金の髪を奇妙な三本の曲げに結ったいかにもな旦那衆っぷりの男が一人、あっけらかんとした声を上げ、突然ぶたれた格好の、賊の前へと進み出て来た。
「アタシにゃあどうにも不慣れな小道具でしてね。日ごろ吸いつけぬ身なもんで、どう持ちどう操ったらいいものか。」
 こりゃあ失礼をと、賢そうな白い額をぺちりとはたきつつ歩み寄り、男の足元へ転がっていた、女物だろうか細身で短い煙管へ向けて、その手を延ばした彼だったが。

 「おっと。そうはいかねぇな。」

 触れたのとほぼ同時、男の側でもその足で、煙管を真上から踏みつける。
「あれ、何をなさるんで。」
「何をなさるんで、じゃねぇよ。こいつぁ俺の頭へ当たったんだ。」
 それも気が遠くなりそうな勢いでな、と。憎々しげに言い放ったところを見ると、新しいカモが出来たとでも思ったか。

 “馬鹿だねぇ。”

 まま、こういう騒ぎになってしまっては、先に被害を被った婦人の方は方で しゃしゃり出て来にくかろう。そこまでも読んでの開き直りなら、なかなか天晴な悪党ぶりかも知れぬと。その青い双眸の据わりようを微妙にたわませた七郎次。一見、婀娜っぽく微笑っただけなようにも映るそれだが、ここに勘兵衛なり かつての同輩なりが居合わせたなら、何か企んでおるなと即座に気づいただろう、舌なめずりのようなもの。

 「ですが、これはなかなかの逸品。そのように足蹴にされてはどうも。」

 届くようにと手を延べようとしてのこと、ひょいと身を下げ屈み込む七郎次の下げられた頭を見下ろし、ふふんと鼻先で笑った反っ歯の男。いかにも育ちのいい旦那衆のようななりへの反発もあってか、その真ん丸で形のいい頭を目がけ、もう一方の足を素早く振り上げ、踏み付けてやろうとしかかったものの、

 「こんな風に足でごろっちょされたりしちゃあ、螺鈿の細工が傷みます。」

 手を伸ばしていたはずが、いやいや、確かに手が伸びてはいたが、それは煙管へではなくの相手の脚へ。流れるような動きで脛ごと掴んでのひょいと、軽々上げさせた強力はどこから出たものなやら。もう片方の足を上げかかっていたほどだから、相当に力もかかっていたはずだのに、ぽーいっと…それこそかがんだ自分の頭と同じほどの高さへまでと、引っ張りあげてのぱっと離せば。ずるりと滑ったも同じこと、両足上げてのずでんどうと、地べたへ尻から落っこちるしかなかったり。

 「だぁ〜〜〜〜っっ!」
 「おや。どうされました?」

 あらあらよかった、傷はついちゃいないねと。こちらは無事に煙管を拾った金髪の若旦那の飄々とした様子とは対照的に、煤けた袷
(あわせ)の反っ歯の男。膝の抜けた下履きのつぎはぎもあらわに、大の字になっての引っ繰り返ってしまった姿があまりに滑稽だったもんだから、さすがに周囲の人々も、何だ何だとその足を停め始める。くくく、くすくす、四方から聞こえる笑い声には、さしもの引ったくり男も羞恥というもの覚えたか、

 「よ、よくも恥ぃかかせてくれたなぁっ!」
 「何を仰せか。勝手に転げたくせをして。」
 「嘘をつくなっ!」

 俺の足を持ち上げて転ばしやがったろうがよと、唾を飛ばしてまくし上げかかったその口元へ。すっと、真っ直ぐに延ばされて来たものがあり。

 「…っ。」

 不意で唐突な冷たい感触。しかも、一瞬の衒いもなくの、打ち合わせていた動作のようななめらかさで突きつけられた代物だったせいか。

 「…ひっ。」

 それが何かが分からぬままに、再び男がその身を凍らせてしまったところへと。

 「偉そうな御託を並べんじゃねぇよ。」

 かかったお声がまた、先程までの嫋やかで行儀のいいそれとは雲泥の差、耳に入ったそのまま、顔や顎をも凍らせてしまいそうなほどの、迫力の籠もった低い低いそれであり。
「その荷物はあっちのご婦人の抱えてたもんだろう。いいや、アタシは全部見ていたから間違いはない。何なら中身を言い当ててご覧。あっちの奥様の方がよくよく詳しいはずだがね。」
「う……。」
 笑えば優しいその双眸も、何にか目串を立てたその上で、力んでぎりと睨んだりすりゃあ。切れも鋭い氷の青が、刃のようでただただ恐ろしいばかり。それが真っ向から睨み下げて来るのから、どうやって逃れようかとの悪あがき、尻餅ついたそのまんま、後ろ手になってた手をつえに、じりじりと後ずさりをしかかった反っ歯。その背中へとさんと当たった誰か野次馬の存在に、どきりとしたのも一瞬のこと。えいとその場で立ち上がっての一気に背を向け、それはそれは判りやすくも“敵前逃亡”を企てる。引ったくりはもはや生業、よほどに逃げ足には自信があるものか、荷物を片手の、もう片腕で人込み掻き分け、荒々しい罵声で脅しもっての駆け出そうとしかかったものの、

 「おや、逃げられると思うてか。」

 白い右手でもてあそんでいた煙管。その吸い口のほうを指先にて強く挟み込み、ぐりと回した軸の上。煙草を詰める火皿が宙で小さく回り、右へ左へ交互に回ったその末に、

  ―――ひゅっ・か、と。

 見ていた人らには、パチンと指を鳴らす仕草にしか見えなんだ それ。ただ、それにしちゃあパチリという音は立たなんだし、その指で摘まんでいたはずの煙管が消えた。そうして、

  「ぎゃあっ!」

 同じ煙管が次に現れたのは、彼の前から逃げを打った、引ったくり男の後頭部で。特に大きく振りかぶってもなかったのに、よほどのこと、骨身に染みた当たりようだったのだろう。反っ歯を剥き出しにしの、ぎゃあと叫んで仰向くと。そのままその場へばったり倒れての、後は…人事不省の白河夜船。そんな男へと駆け寄ったのが、怖かったかまだ泣いている幼子を抱えたまんまのご婦人で。気の毒に、着物も汚されての肘にはうっすらと、擦りむいたらしい怪我も負っている様子。ここまでは一応の緊張感を張っていた七郎次だったが、すっかりと延びてしまった小悪党より、今はそっちの奥方の方が大事。ちょいとごめんなと、賛辞を送ってくださる周囲の衆を掻き分けながら近づけば。向こうでも気づいたか、ぺこりと頭を下げて見せたが、

 「そこなご婦人とそれから、そっちの旦那。
  悪いが警邏の詮議だ。身元を聞かせてくれまいか。」

 そんな無粋なお声が、二人の丁度狭間あたりから掛かったもんだから。あたりに満ちてたほくほくした秋の陽気も、たちまちのうち、木枯らし色の風の音のみ響かせて、凍りついてしまったのであった。







        




 何しろ、場所が場所だった。外から訪れた旅人がまずはとその足踏み入れる第一層。よって、人の流れも一番に多けりゃ出店の数も多く、諍いやら何やらだってそれに比例して多い広小路ゆえ。警邏の面々も人手を多めに配しての、きっちりと見回っているにはいるのだが、それでも怪我をしただの置き引きに遭っただの、実際の被害が出る事案はなかなか絶えず。それでのこと、意気盛んな隊士殿でもあったのだろうが、

 「すまんかったな、主
(あるじ)殿。」
 「いえいえ。」

 ただ住まう所番地を訊かれただけでしたし、被害に遭われたご婦人への手当ても手厚くなさってらしたようですし。けろりと微笑った七郎次がお膝をそろえての四角く座っているのは、彼の住まう“蛍屋”の店先。昼間なのでと大戸も半分しか明けずの、大玄関の板張り、上がり框のところで、訪問者である警邏隊本部長殿と向かい合ってる彼であり。特に気分を害しているようでもない、清々しいまでの笑顔でおいで。

 「アタシの素性、全ての隊士の方々が知ってるってはずもありませんし。」
 「いや…。」

 どちらかといや、そうであるもんだとこちらの隊長殿こと兵庫もまた、思い込んでいたものだから。昨日の昼間のうちの報告書の中、第一層広小路における置き引き被害とそれへ関わった者らの素性を記した綴りへと眸を通した途端、しばし総身が固まったままになってしまったとか。それっくらいに、彼の方こそどれほど驚いたことだろかという話の順番だったそうであり、

 「お主へと声を掛けおったは、この春に登用されたばかりの新規隊士でな。」

 警邏隊士としての基本的な心得やこの街の複雑な有り様への知識の修得に、荒ごとへの対処のための鍛練を半年かけて受けた上で、やっとのこと、実務にも出るようになれたばかりのその矢先のこと。一応は付き添いにと先輩格の隊士が付いていた筈なのだが…と、苦虫咬みつぶしたようなお顔になった兵庫殿へ、

 「結構な人だかりが出来ておりましたしね。」

 何か騒ぎだろうかと注意を留めたその上で、素通り出来なかったのですから、むしろ褒めて差し上げるべきでしょう? 騒ぎの発端からという全てを見ていた訳じゃあなかったので、いくら周囲がやんやと喝采上げていたとはいえ、一方的な暴力行為としてしか、彼の眸には見えなんだのでしょうしと。怪しい騒ぎを起こした“張本人・その1”という扱われようをされたにもかかわらず、
「よくよく飲み込めておらぬそのまんま、状況に流された対処しか執れないのでは、むしろ問題でしょうしね。」
 あくまでも“気にしてはおりませぬ”と、七郎次の側は平静保っての涼やかなもの。騒ぎは騒ぎで、放っておかぬは正しい処置だと、至って大人の考え方で納得済みであるらしい。そして、

 “…確かに、あやつが油断ならぬぞと構えたのも判らんではないのだが。”

 隊長としての立場から言えば、兵庫とてその新人隊士の取った処置を責める訳にも行かなんだらしく。現に、直接呼びつけての叱責を浴びせるというよな対応までは執っていない。そもそも、この七郎次という人物もまた、ある意味で怪しいといや怪しすぎる存在であり。なで肩な上に、その動きがまた洗練されてのなめらかなものな故、威容もわざとに薄くしていて圧迫感がなくっての、気づかれにくいことながら。実は、男衆としてでも群を抜くかも知れぬほど、結構な上背のある雄々しき御仁であり。それが、あのような貧相な男を苦もなく素っ飛ばしたらしいというところからを目撃したならば。警邏の者としては、一体何があったのだと一通りを聞きもしただろし、騒ぎの余韻垂れ込める中では落ち着いた聴取も無理と来れば、近間にあった番所まで御足労願うという運びにもなろう。実は何の非もなかった人で、むしろ、危険を冒しはしたがそれでも見過ごせずに正義を通したまでのことと。手放しで褒めてはいかんが、それでも叱られるようなことをしでかしちゃあいない。手荷物が戻って来たご婦人も、そりゃあ感謝していたし……。

 「むしろ、隊長殿がわざわざお越しいただくようなことでもないと思いますが。」

 さも可笑しいと言いたげに、目許をたわめての口許ほころばせる彼なのへ、

 「う……。」

 ここで再び唸っての、心なしか視線を下げてまでし、なのに…曲がったことは嫌う性分をしておいでの筈が、言葉に詰まった兵庫殿だったその理由。

 “…もしかして、久蔵殿に届きゃしないかと案じておいでなのかなぁ?”

 そればかりじゃあなかろうが、それでも…こうまで困った困ったというお顔をなさる以上、それ以外には思いつけぬし、そうだとしたなら、

 『案外とかわいいお人だよねぇ。』

 そんな言いようをして、お前さんそれは失礼だようと、妻から笑いながら窘められもしたのだとかいう七郎次の深読みは………はてさて、どのくらいの率で的を射ていたことなやら。





       ***



 「そうそう。お二方、虹雅渓という街を御存知ですか?
  そこに住まう私の弟が、この春から警邏隊の隊士になりましてね。
  ええ、末の子なんでずんと年が離れておりまして。
  やっと念願の隊士になれる年頃になれたと、そりゃあもう大喜び。
  私の仕事ぶりから影響されたのでしょうかねぇ。///////
  それで、先だっては初めての警邏で、
  そりゃあ勇気のあるお人の活躍を目撃したそうでして……。」


 このところの“褐白金紅”の活躍に、どういう縁があってのことかお顔を合わせる機会の多い、中司
(なかつかさ)というお役人がいる。連絡係を担って下さるそのお人、定時連絡にと訪のうた、彼ら二人の逗留先の宿にて ふと、自分のお身内のことを話し始めた。それでなくとも恐持てして見える元・お武家、軍人崩れという凄腕の賞金稼ぎを相手にしていて怯むこともなくの、どこかズレたところの多かりしな人物なれど。そんなほややんとしたところが時には場を暖めもするのでと、勘兵衛のほうは空気の読めぬはお互い様とでも思うのか、寛容に相手をしてやり。片やの久蔵は…知らん顔をしそっぽを向いているばかりという相性だったりするのだが。

 「…それで、素性改めにとお名前を聞けば、
  その街では有名なお人だったというじゃありませんか。
  ………って、どうされました? 久蔵殿?
  そんなそんな、目が吊り上がってるのが怖いんですけれど。
  わたくし、なにか おこられるようなことを いいましたでしょうか?」



   ……………………………合掌。
(苦笑)






  〜Fine〜  09.11.04.


  *雉も鳴かずば…じゃあなくて。
   中司さんのモデルは、
   名探偵コナンに時々出てくる、
   古川登志夫さんがお声を担当しているあの頼りない刑事さんですvv
   兄弟で迷惑かけててどうするよ、中司。
(笑)
   (それにつけても、ウチの話って天然さんが多いなぁ。)

  *えと、こたびのお話は、
   いつもご感想下さるKさんから ご投下いただいたネタでして。
   勘久の二人が旅立ってからの虹雅渓にて、
   キュウの身を案じている二人のおかんは、
   案外と顔を合わせる機会も多いんじゃあなかろうかと。
   それと、
   虹雅渓での“蛍屋のシチさん”を見たいとの仰せに
   お応えしてみましたが、
   こんな出来でいかがでしたでしょうか?

めるふぉvvめるふぉ 置きましたvv

ご感想はこちらvv(拍手レスも)

戻る