桜峠春鬼奇譚 (はなとうげ はるのおにばなし) (お侍 習作163)

         お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


       



そこから先の北にはまだまだ雪も居残る春の初め。
峠の塚代わりになっている、それはそれは大きな桜の樹が、
まるで旅人や周囲の里へ春の到来を知らせるように、
少しずつほころび始めるのが、毎年 丁度今頃のこと。
長く厳しい冬をただただ耐えて越え、
いつの間にかその色合いに深みが増し始めた青空を背景に、
臙脂色の枝のあちこちで、
燐寸みたいにその先が膨らんでいた花芽が、
目映い陽に甘く暖められてのこと、
誰にも気づかれぬまま、ぽちりと小さく咲き始め。
さあそれからは、
時折 意地悪にも冬の風が戻って来ようと怯まずに。
春爛漫の風を迎えるお山が、
そのお化粧をほどこす筆頭の座を担い、
可憐な小花を次々咲かせ。
5日も経てば、
枝を埋めての幹さえ見えぬほどという厚さ、
花の霞か慶雲か、それは見事な満開迎え。
その麗しさで 行き交う人々の足を止めさせ、
やあ、今年も美しく咲いたなと、
心 浮き立たせるお役目、
毎年のように果たして来た銘木であった…のだが。


  この春はどうもなんだか、様子が違う。


その峠に最も間近な小さな山里では、
当初は冬が長引いてるのかなと、
皆してそんな風に思ってた。
だって、いつまでも曇天の空が続いてる。
菜の花の芽がなかなか出なかったから、
この春はいつになく遅いんだよと。
誰が言うでなく、でも、そういう年もあろうと、
特に不審だとまで思ってはいなかった。

  だが

春になると南の里から毎年来ていた、
薬の行商人の親子がまだ来ないなぁとか、
そういえば中途の街道筋へ茶店を開ける用意にと、
このくらいの頃合いにはやって来る、
大町の興業一家の女将さんもみないよねぇとか。
日和が良くなるにつけ、
畑を起こす必要もあってのこと、表へ出る機会も増え。
そんなこんなで隣近所の人たちとも、
ようよう顔を合わすよになったと同時、
いろんな話がどっと交わされるよになって初めて“あれれぇ?”と、
この春がどこか“不審”だということが形を取り始めた。
確かに冬から春への移行は、
寒の戻りと春めきが盛んに往き来して進むもの。
だが、ならば多少ほど寒さのぶり返しがキツかろと、
それは“例年通り”なのではあるまいか。
里の人々が違和感を覚えていたことを、
全部突き合わせてみて気がついた。

  季節の巡りじゃあなくて、
  人の往き来が不自然なのだと……

そして…誰ともなく言い出した他愛ない一言が、
他愛ないどころじゃあ収まらぬことぞと、
あっと言う間に近隣一帯へ広まった。


 いわく、


  ―― 峠の桜に鬼が棲みついた





      ◇◇◇



まさかそんなとの冗談半分、
あり得ないことだからこそ、
笑いながら出せた文言だったはずだのに。
“何か魔物でも徘徊しているんじゃなかろうな”と、
誰かが言ったの聞き流しつつ。
所用があって峠の向こうの里へと、ひとり出向いた兄やがあったのだが。
昼になろうかという頃合い、峠に差しかかってその足が止まった。
馴染みの桜は見事に咲いており、
あと少しで満開の盛りというところ。
里の人らがこれに気づけないままなのも、
こっちへ北上して来るお人が今年はまだ一人もいないからで。
もっと大掛かりな宿場なんぞであったれば、
馬便や早亀の往来も頻繁で、離れた町の話もやり取りする術があろうけど。
山野辺の寒村じゃあ いまだに人伝てが頼りゆえ、
誰かが訪のうてくれなければ、
こんな間近のことでさえ見えず聞こえずになるから困りもの。
まったく妙な春であったものだと、
桜に見とれ、知らず立ち止まっていたその足を、
再び進めかけた その兄やが…ハッとして立ちすくんだのは。
桜の根方の薮の中、何かが転がっていたことへと気がついたから。
まだまだ花が主役の大樹。
その足元に生い茂るは、
冬枯れの名残りも色濃い、芒種の枯れ株だったのだけれど。
そんな中に黒っぽいものが転がっており、

 “薬入れの印籠だ。”

何だろえっとと、兄やが無性に気にしたのも道理。
いかにも贅沢な拵えのものなんかじゃなく、
むしろ何の装飾もない素朴な代物だったが。
蓋の閉まりも完璧で、
雨に濡れても沢に落としても中は無事なのだと自慢げに話してた、

 “そうだ、これは…。”

毎年、春が明けたの知らせるように、
峠向こうの寒村へ、
風邪や腹痛たのお人はいませんかと新しい置き薬を持って来る、

 「担ぎ売りのタンバ屋さんのじゃないか。」

商売ものじゃあないけれど、
薬売りが病で唸ってちゃあ本末転倒だからねと、
自分の常備薬を入れてらした、大切な品のはず。
そんなものがなんでこんなところに?と。
浮かんだ謎を解きたいとしたがため、桜の方へと歩み寄った兄やは、

 「………っ!!」

この春の間中、何かにつけ思い出さずにはいられないよな、
そんなまで酷い惨状を、
気の毒にも目の当たりにしてしまったのだった。




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  *まだ主役が出てきません。おかしいなぁ…。
   前振りだけの章になっちゃっいましたね。
   続きも至急!


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