“秋笹月夜 架空現”
        (あきのつきよ かりそめのうつつ)

         お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より (お侍 習作168)
 



 まださほど陽が傾いたという頃合いじゃあないが、屋根のある舞台には宵という場面に合わせての薄暗がりが広がっており。床や柱のところどこに据え置かれた灯明が、白く塗られた役者のお顔や衣裳をぼんやりと浮き上がらせる様子は、芝居そのものそのままに どこか夢幻めいていて。離れを取り巻く書き割りには、藍の天幕の上空に摘まれた爪のような細い月。

 「さても主様、ようもこのわちきを謀かってくれましたな。」

 金銀の綾が織り込まれた打ち掛けをまとった太夫が、紅に濡れた口許で、嫣然と煙管をふかしつつ、すすけた座敷の中央に座していて。そんな彼女からの問いかけへ、

 「はて、一体なんのことなやら。」

 庭に向いた円窓の傍、空とぼけているのがなかなかの色男。こちらも錦の衣紋をまとうちゃいるが、ところが彼は、実の正体がキツネの物怪であり。その昔、ここいらの山野を治めていた、言わば領主のような立場にあった一族の末裔が、永の歳月を放浪するうち、深い怨嗟に蝕まれてこの身となった。臣下の筆頭に騙され、親族すべて暗殺された、その恨みを晴らそうとした幼子の一念が、野を駆けるうち、その姿をも侵食してのこの姿。恨めしいのは両親に毒を盛った腹心どもで。そやつらの筆頭、今は大手を振っての領主を名乗る男の、久しく寵す愛人だという太夫を。美貌と話術と月光による術でたぶらかし、領主へ成り上がっていた裏切り者の寝間へ、怨嗟の毒を染ませた弊、まんまと貼らせることへは成功したが。

 「わちきを掻き口説いたは、満願様への遺恨のためか。」
 「何をたわけた てんごう(冗談)を。」

 月齢が減って、妖力が薄まった晩だからか、愛しい人に変わりはないが、だがだが、妙な気配も聞こえると。太夫が美丈夫を問い詰める。渡された弊は善い夢を見られるまじないの札。悪夢ばかりを見ていた主人はよくよく眠れて、お陰でこちらは夜長が暇だ。それでと運んだ男の在所、萩の生い茂る鄙びた宿では、愛しい美丈夫が、宿の娘と何やらひそひそ。何とも意味深な様子だったのを目撃し、これはもしやと疑心が沸いた太夫と、狐の若様とのやりとりの一幕。客席の桟敷では、太夫の婀娜な色っぽさに男性客が、そして若様の鷹揚ながらも少々すさんだ麗しさには年若い娘らが、息さえ止めるよにして注目しており。

 「されば、さきほど。このや(宿)の娘と、一体なにを。」

 内心に沸き起こる妬心を押さえつつ、だが、どうしても滲み出す悋気が隠し切れない太夫の詰言へ。何を怪しんでおるかと思えば、なぁんだと。胸なでおろした色男。だがだが、ここでいかにも安堵して見せたらば、他に隠しごとがある身じゃないかと、察しのいい太夫に感づかれる。真に誤魔化したい企みごとを隠蔽するべく、彼女を何とか籠絡し直そうとするキツネの若様だが。そんな二人の逢瀬に気づいていた、現領主の腹心。かつて若様の両親を暗殺するのにも一役買った小男が。先程の若い娘御への強引な懸想もあってのこと、やはり若様を怪しんでこっそりと座敷を覗いており。物怪なれば神通力で気づくものだが、何せ今宵は月齢もわずか。たとい、自分への敵意ではあれ、とてもそこまで察しは届かず…との唄いが入って。さあさ、この芝居の一番の見せ場がそろそろ近づく。瑞々しい乙女に婀娜な美姫、いなせな二枚目に渋さが重厚な真打ちと、芸達者な役者も揃えての、人気の一座が得意とするのは、だが、ただの葛藤芝居じゃあなくて。

 「さあ次だよ、次。」
 「ああ。玉藻の若様の大立ち回りだろ?」

 小男が離れを覗いているのを見とがめた宿の娘、静かにしておれという揉み合いになり、騒ぎを聞いて離れの男女も注意が逸れる。そこへと差したのが笹の葉の陰。このお話の舞台では、ススキの葉陰を隠れ簑とするキツネの物怪だが、月の下で笹竹の葉陰に姿をくすぐられると あら不思議、変化
(へんげ)の術が解けてしまう。怪しまれぬようにと、わざとに笹の間近にいたのだが、不意を突かれたは一生の不覚。あああ・うううと狼狽え、胸元掻きむしって藻掻く若様が、月光の差し入る円窓を背に、その動作をぴたりと止めて、中空へ月へと伸ばしかけていた腕へ、さわさわさわっと毛並みが現れるは、端を指に結んで手のひらに仕込んであった房紐をすべり落としての、ゆさゆさ振ってそう見せているだけなのだが。他の明かりが幾つか落とされ、影絵になった彼なので、少し距離もある客席からはそれで十分、わあと沸くほど不思議な変身に見えるらしい。

 「さては妖かし、双親の仇討ちにこの里を呪いに来たものか」

 小男が匕首構えて突き殺そうとすれば、その前へと立ちはだかったは、つい先程までは若様の心を疑っていた太夫。そんな健気な心掛けから、単身この里へ乗り込んで来たお人だったとはと。切々と真心を訴えてのち、どうかご本懐をと祈りながら息絶えてしまい。物怪退治ならともかく人を刺したの見られてしまっちゃあ、横恋慕よりも我が身が大事。呆然と立ち尽くす宿の娘を口封じに殺そうとしかかるも、

 「やや、何という浅ましさ。」

 悪人の業とはつくづくと卑しきものか。太夫の天女のようだった献身の情を、上から穢すは許さぬと。影絵となった若様が、かっと眸を剥き、四肢を身構えての“見得”を切れば。場内からは待ってましたのお声が上がり、太鼓の低い音がどんどどんと響いて床を震えさす。青年を照らしていた円窓越しの灯火がパッと消え、遠くを照らし出す龕胴の、丸い明かりを差し向けられたは、濡れ縁の障子前。格子戸を背中に負うて立つのは、鼻から下を白い薄布で覆い、白小袖と袴という簡素ないで立ちの人物で。ただし その小袖には、動けばわさわさと揺れる房が一面に植えられていて。

 「やや、やはりお前はキツネの物怪っ」

 小男がハッとしながら左右を見回せば、口を塞がんとしていた娘がいない。娘ならこれへと、舞台の反対側の端を指さして、さっきの暗転の隙に攫って助けたとするのが常だのに、

 「………む、娘ならこれへ」

 微妙に龕胴の明かりも宙を泳いだその後で、明かりが集まり全身を照らした白装束の若様の懐ろへ、口許を含羞みからうにむにとたわませている娘さんが収まっており。そしてそして舞台の袖では、他の役者一同がほ〜〜〜っと胸を押さえていたり。実は、暗転の中で舞台の端から端までを駆けてく予定だった娘さん。一体何につまづいたか、大きくたたらを踏んでの舞台の真ん中で転びかけたのだが。それを咄嗟に掻っ攫い、脚本書いたお人も本来こうしたかったのだろ夢の構図。キツネの若様、娘を庇った末、抱きかかえての再登場と相成っており。

 「よくも間に合ったもんだねぇ。」
 「飛び出してったの、見えたかい?」
 「見えはしなかったが、
  いきなり立ち位置から居なくなったんでギョッとしたさね。」

 転んだカナエだけじゃなく、こっちの兄さんもしくじったかと思ってのこと胸が潰れたよと、仇敵役の座長が分厚い手のひら胸へ伏せ、わざとらしい苦笑をし。やれやれと見守る舞台では、いよいよの活劇、小男が率いて来たのだろ、捕り方の一団もわさわさと現れての大立ち回りが始まっており。

 「昨日は明かりが暗くて、最初の方がよう見えなんだと言われたからね。」
 「ああ。今晩は違うよ?
  隅々まで見通せるように…は大仰だが、
  あの兄さんがよう見えるようにって明かりも増やした。」

 客には分からぬだろうけれど、実は実は昨日からこっちは吹き替えが別人。いつもの軽業担当が、外連の打ち合わせ中に、舞台の床から出ていたクギを踏みつけたとかで、まともに歩くのも難儀となって。うあ これは一大事と皆して真っ青になったのだけれど、

 『立ち回りのところだけでよいのなら、ウチの若いのに任せても。』

 そんなお声を掛けてこられたは、先の宿場からの道行き、同じ宿から一緒に発った縁もあってか、娘らがからまれたのを追い払ったそのついで、次の宿場までならと、用心棒みたいに同行してくださってたお武家様二人。片やは濃い色の蓬髪をお背まで流しておいでの、白い砂防服をまとわれた顎にお髭の壮年で。よほどの戦さ場 掻いくぐられたか、落ち着いたお年頃であろうに、頑健な体は頼もしく。上背もあってのそれなりの威容をお持ちで、それへ見合ってのこと普段はたいそう物静かな御方。そんな壮年様は、だが、そうでありながらも話しかければ なかなか寛容にして人当たりのいい御仁で、座長や年長の座員らとは何かと話も合っている様子。片やのお連れは、親子ほども年の離れた若衆で。壮年殿とは逆に、凍るような美貌そのまま 相当寡黙で表情も薄く。話しかけても応じはないが、ただまあ、煩いと睨みつけるほどおっかなくもないものだから。今時の娘らは怖いもの知らず故、果敢にちょっかいを掛けていたようでもあったのだが。そのお若いお人のほうが、これでたいそう身が軽いのでと。壮年様が言ったそのまま、ん と短く頷いたお顔があっと言う間にどこかへ消え去り。え?え?と皆が見回す中、きぃと小さな音が頭上からして。あっと囃し方の娘が指差した先を見やれば、芝居小屋にと借りた演技場の庇の上へ、紅衣紋の若衆が危なげなく立っているじゃあないですか。

 『難しい演技は無理だが、
  飛び回る先や、模擬刀を咬み合わす間合いを教えて下されば、
  あやつでも何とか代役は勤まるかと思うのでな。』

 ほっこりと微笑った壮年殿のすぐ傍らへと降り立った若いのも、黙んまりは日頃のままながら、特に不機嫌だという様子でもなし。つまるところ、あの程度でいいならばと承諾済みだった様子なので。では、お願いしましょうかと、動けぬ身の軽業師と若様役の役者との3人で額をつき合わし、ここでこう出て、こちらへ飛んでと、一通りを示したところが、難なく苦もなくこなされた。いやいやむしろ、いつもの兄さんよりも軽やかさが上で、羽根のように物音ひとつ立てない跳躍は、本物の物怪のようでもあったほど。普段は壁に設けた足場や鴨居へ降り立つ物音、太鼓や掛け声で誤魔化すのだが、こちらのお武家様が演じるおりは、それも要らないんじゃあないかという声が出たほどで。それが証拠に、

 「おおっ!」
 「うあ、凄い。」
 「ああ、そっちには捕り方がっ!」

 せぇのと切り込まれるすれすれで刀や刺又の切っ先を躱し、あるいは、信じられないほど遠くの鴨居へ後ろを向いたままのひとっ飛びで飛び乗る妙技へ、お客さんの上げる思わずの悲鳴がすぐさま喝采へと塗り変わる。なんて身の軽いお人だと感心しつつ、白い姿のおキツネさまの、自在な跳梁を追うのが楽しくてしょうがないのを示すよに。ワクワクとして舞台を見守るお顔はどれも、芝居に意識を移入しての集中し切っておいでのそればかりであり。いつものお兄さんならそこは変えられぬ黒髪なのが、今宵は金の髪をしていて、尚のことキツネの化身ぽかったこととか、飛び上がる高さに龕胴の明かりが追いつかず、お客さんがあっちだほらと指さすのに教えられた間合いが2回ほどあったこととか。客席も一緒になっての、一際熱の入ってた舞台と相成っていたのは間違いのない一夜だったそうであり。


  そしてそして、我らが“褐白金紅”のお二人が、
  何故また進んで このようなことへ加わっていたのかといえば……。





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  *後半へ続く…。一気に秋めきましたねぇ。(おいおい)


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