雪渓一望
(お侍 習作172)

         お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 

あまりの雪深さに立ち入る人さえないのだろう。
足跡もなしの、当然の手つかずなまま、
見渡す限りのどこもかしこもが、
ただただ純白にて埋め尽くされていて。
木々の梢の張り出したところや根方など、
所謂“吹きだまり”だけが、
わずかに黒々とした塗り残しとなっている。
時折吹きつける突風が、どこやらの虚穴
(うろ)をくすぐっているものか。
笛の音のような唸りを高く低く響かせており。
頭上に垂れ込める雪雲の褪めた灰白がまた、
寒々しいばかりの空間を、
重苦しい威圧にて睥睨しているかのようでもあって。

 「………。」

さすがに日頃の衣紋のみという装備では居られぬ玄寒の地ゆえ、
何の獣のそれだろか、
寒風を突き通さぬ革に豊かな毛並みも植わったままな、
重々しい上着の裳裾をたなびかせ。
天の底を突きたいかのように、
高々と伸びた針葉樹のそのまた頂きへ、
危なげない確かさで、すっくと立っている久蔵であり。
耳朶が凍傷にならぬよにと頭にすっぽりかぶる格好、
そちらも毛皮を内蔵した幌
(かづき)が、

 「…っ。」

横薙ぎの突風になぶられての攫われかかり、
その下へ押さえ込まれてあった、金の綿毛が風に広がる。
突然のこととて、反射的に目許を眇め、顔を背けたものの。
この程度の突発事なぞ、そよ風の悪戯程度に過ぎぬと。
その身の安定も揺らぎはせぬまま、
隼が獲物を待ってでもいるかのように、
眼下の虚空をただただ眺めやる彼であり。
首元から引き上げてあった長い筒襟にて、
口許や鼻先までを覆う彼であったので、
どんな面持ちでいるのかも読み取れぬまま。
そんな途轍もない場所に居続けられるとは、
正しく“人ならぬ存在”のような仕業だったが、

  ―― なんの、もっと苛酷なところを知っている

身を切るようなとは正にそのこと。
呼吸のコツを知らぬ身では、
迂闊に息をすれば肺腑が凍りつくほどの。
気圧が下がることから自然と極寒の地となる、
天穹という高層空間を戦場とし。
猛禽さながら疾風に身を任せ、
生身の体で軽々飛び交い、戦った彼だったから。

 「……。」

ここの雪を雲海と見れば、何とはなく似たような風景ではあるけれど。
風の音さえ止まることのある静けさは、
やはりやはり別世界の佇まい。
立ち止まることを許されず、気を抜けばそのまま墜ちて死すだけ。
風にさえ爪を立てての足場とし、
斬り払い、凌駕する手ごたえでしか、自身の生を実感出来ぬ。
そんな切迫感のあった天穹とは根本的に異なる、
閑とした世界が無言のままうずくまっているばかり。

 「………。」

隙さえ見せねば、いくらでも立っていられそうな、
いやさ、時の流れさえ感じさせない、
何もかもが完結し、制止した世界のようでもあったれど。
ふと、

 「……。」

その感覚に何かしらを拾ったものか、
紅色の双眸が放つ視線が、ちらと上がったそのまま、
何もない中空へ、その身を躍らせている久蔵で。
どこもかしこも純白の世界を、さして蹴散らすこともないままに、
森のあちこち、天蓋のようにかぶさった木々の梢を、
風のように軽々と渡っての、辿り着いたは小さな杣家。
すぐ上に雪をいただき、随分と古ぼけた庇から、
それでもツララが下がっているのは、
中に誰ぞがいて火を焚いた証しであり。
その一部が ざくりと音立てて、
軒下へ落ちた気配の方が大きかったにもかかわらず、

 「…久蔵か?」

まだ手さえ掛けてない板戸の向こうより、
そんな誰何のお声がかかる。
応じるより早いだろうと、無言のままにて引戸を開ければ、
そちらも、重々しい外套を土間にて脱いでいた壮年の姿が目に入り。
二間しかないその手前、囲炉裏のある板の間への上がり框には、
ところどこにほころびも見える竹カゴが置かれてあり、

 「下の里でな。キノコや菜ものを分けてもろうた。」

このお寒い中、あんな里においでとは奇特なお方らだと、
これでも食うて温まりなさいと案じられてのと。
脱いだ外套の陰に下げていたのが、これまた大きなヤマメを数匹。
電信のかかりがいい、開けたところへ降りて行っただけのはずが、
そんなおすそ分けまで吊り上げてくるのだから。
相変わらずに 人を惹いてやまぬ何か、
周辺へ振り撒いてしまう男なのだなとの覚えも新たに、

 「……久蔵?」

とぽとぽと歩み寄り、
外套に守られてあった温みに引かれたかのように。
その懐ろへ ぽそり、
こちらはすっかりと冷えきっていた金の髪ごと、
小ぶりな頭を預けるように押し当てれば。

 「哨戒の必要なぞなかっただろうに。」

何をどうと解釈したのやら。
留守番を放り出しての、外の山野を翔って来た若いのへ。
こんなに冷えきってしまって可哀想にと言わんばかり、
薄い背中や細い肩、匿うようにと引き寄せての抱き込めば。
どんな極寒も氷獄地帯も、物ともしなかったはずの死胡蝶が。
ああ此処は何て安らげる処かと。
手を伏せ、頬を埋めた身の頼もしさへと、甘い吐息を深くつく。
相手の雄々しき肩口から、はらり零れた深色の髪へさえ、
こちらを見降ろしてのことと思えば愛しいと。
痩躯のどこか、奥深いところに灯った小さな温みに、
我知らず口許ほころばせた、とある厳冬の一景であった。




  〜Fine〜  11.01.18.


  *褐白金紅としてのお務めの狭間の一景。
   人々が居合わせる只中でも、
   人目なんか気にせずに、
   二人の世界を作ってしまえるお方々ではありましょうが。
   誰もいないし、背景も何だか煤けた場所での二人きりというの、
   妙に似合うような気がするのは私だけでしょうか。
   寒さなんて堪えないはずの久蔵さんも、
   勘兵衛様の懐ろだけは別格で、
   ぎゅむと埋まりたい至福の場所なんだと思われますvv

   ちなみに、周囲に屍が累々であっても、
   同じ空気が醸せるんですよ、この二人ったら。
(おいおい ・苦笑)

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