妖蛟 凍夜一宿
(お侍 習作183)
         (あやしのみづち こおるよのとまり)

         お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


夜寒という言いようがあるけれど、こちらは秋の季語だそうで。
冬の夜の寒さは、
その冷え込みようが“凍てつく”級となるので、
寒いなんてもんじゃあないと、
雪や霜に連なっての“凍む
(しむ)”という描写へ移りゆく。

  ―― そんな更夜の、とある山合い

上空では風が強いのか、
月の前を千切った和紙のような群雲が、
薄いの濃いの、影絵のように次々に通り過ぎていて。
それから姿を現した望月は、
さながらよくよく磨かれた鏡のように、
漆黒の空に拮抗し、その輪郭が鋭いばかり。
そこから地上へと眸を移せば、
サザンカだろう、梢にたわわな常緑の葉が姿なき風に揺れ。
それはまるで、寒風にか弱い身をふるると竦ませているかのようで。

 “暦を見ればそれも頷けるのだが。”

すぐ先に見送った秋が妙に暖かだったせいだろか。
年の瀬も間近という、
冷え込んでもおかしくはない頃合いとなっているのに。
何だこの急な寒さは、天変地異の前触れかと、
慌てて冬支度という騒ぎになっている里もあるくらいと聞くほどで。
ましてや此処は、
一番間近い人里から山を一つ挟もうかという寂れたところ。
それなりの装備をまとっていても、
索敵・監視を為す上で、
剥き出しにならざるを得ぬ、目元の周辺、
頬や鼻の頭など、衣紋に覆われてはない肌が触れる夜気は確かに、
寒いなどという大人しやかな冷たさではなく。
肌を凍らせ、その下の身にまで素早く染み入り、
直にはあらわじゃあないところまで、
躯を気力ごと凍てつかせるだけの威力を、
遺憾なく発揮しているほどじゃああるが。

 “とはいえ……。”

こちとら、
夜寒くらいで震え上がるようなお上品な人性ではないとの、
それって威張っていいものかという微妙な種の自負はある。
かつての大戦では、地上数千mという高層圏、
肺腑が凍りつくほどの極寒の地にて、
旋風吹きすさぶ中で搭乗していた愛機の機外に立ち。
足場も悪けりゃ、
対峙するのは直接命を取り合いする相手という、
血も凍る修羅場に何年も何年も身を置いていた、
空艇隊の斬艦刀乗り。
よって、物理的にどれほど寒かろうと、
そんな中での待機を強いられ、
躯そのものがあちこち凍ったようになってしまっても。

 「…っ。」

気配を感知する意識の冴えは鈍りはしないし、
木石のようにと構え、気配を消しての待機であれ、
ぐんと拳を握り込めれば、
そこから総身へ回す血脈も一気に暖まるという、
ちゃくらの応用術も習得しており、

 「……行くぞ。」
 「…、……。」

すぐ傍らに同じように待機していた若いのへ、
短く掛けた声もおざなりの。
表面が凍りかかっていた外套を揺すり上げつつ立ち上がり、
ひそんでいた茂みを濡らす月光の凍青さえ、
降り払っての置き去りにするよな跳躍を見せれば。

 「な…っ。」

頭上を駆けたは鳥か、ムササビかと、
ギョッとして顔を上げたのが、
獣の皮を幾重も胴へ脚へと巻きつけ、
それぞれの背中や腰へ武骨な大太刀を佩いた、
見るからに無頼の荒くれたちだろう男どもの一団だ。
人里離れた山間の木立の中を、
こんな深夜に群なして進むだけでも怪しいというもの。
その上、しっかと武装していたのは、

 「内密の御用金が通ると聞いての夜ばたらきか?」
 「な、何ィっ!」

この時期には樵
(きこり)も入らぬ林なのだろ、
葉の落ちた樺や常緑の樅などが入り混じり、
けもの道さえ埋もれた木々の狭間を。
異様なくらいの急ぎ足で、
目当て目指して突き進んでいた面々だったらしくって。

 『結構なお宝らしィで。』
 『ホンマかいや、こんな田舎やゆうに。』
 『それやそれ。誰ぁれも思いもつかへんところがミソな。』
 『そやけ、油断し切っとぉ言うのんえ。』

そろそろ商いの地盤も随分と整備されつつあって、
街道の整備と、それに沿うての自警団の連携が進むのにつれ、
遠隔地同士の物流を支える“為替”制度が復活している土地も、
徐々に増えているというが。

 『雪に塞がれてまう此処いらで、それはなかなかな。』
 『せやな、払いが即金のトコが大半やて。』
 『そこでや。ええこと考えたで。』

特別な荷の代価、
どこかの大店が節季分を一気に運ばせるらしいとの情報を得た連中が、
それを強奪しようと企んでの、
この怪しい“夜駆け”であったらしいのだけれど。

 「なんや、貴様っ!」

思わぬ声を降りかけられたとはいえ、
怪しい者らが選りにも選って、怯えからその身をすくませていては世話はない。
それでも数に任せての空元気、恫喝の声を張り上げたのが頭目か。
タヌキだか山犬だか、中途半端な大きさの毛皮を、
つぎはぎのように綴った粗末な代物、
荒縄でその身へとまとわした大男が、胴間声にて誰何の言を投げかければ、

 「儂か?」

彼らの行く手へ唐突に現れた、
そちらは大豹だろう、まだら斑点の一枚革、
上背のある重厚屈強な身へ長外套にして羽織った壮年が。
前立ての腰辺りから太刀の柄を覗かせつつ、
ふふんと不敵に笑った口許が、望月から降る蒼い光にくっきりと浮かんで。

 「なに、
  お主の色女が一芝居打って足止めしたはずの、
  好きものの賞金稼ぎだよ。」

 「………っ!」

豊かな鋼色の蓬髪が、時折吹き抜ける風にゆったりと煽られて揺れる。
男臭くて精悍な、
場合が場合でなければ
同じ男であれ惚れ惚れしそうな男ぶりの面差しの中。
特に力むこともなくの、口許だけでの笑いようが、
策謀に引っ掛かっての怒髪天…というワケじゃあなさげな、
むしろ、ある種の余裕のようなものさえ匂わせて。

 「く…っ。」

逆に、対峙するつぎはぎの毛皮男の方こそが、
何を悔しがってか目元を眇めてしまったのと同じ間合いに。
仲間内だろ、率いていた後続の面々が、
やや不安げに じりと後ずさり仕掛かったものの、

  ―― びょう、と

唐突に突風が吹きつけたような圧を背後から感じ取り、
ほぼ元の位置へと押し戻された面々。
何だ何だと肩越しに振り返れば、

 「……っ、わあっ。」

一体 いつの間に…と驚いたそのままもっと前へと逃げ出したほどに、
気配を完全に消してか、はたまた、
目にも留まらぬ瞬間の所作にてそこへと降り立ったものか。
下生えの枯れ草を鳴らしもせず、
だってのに、一旦視野へ収まると、
これこそ怖いもの見たさというものか、視線が外せなくなる恐ろしさ。
幽鬼のように冷たい殺気を 形あるもののように鋭く放ちつつ。
鞭のように絞り上げた痩躯の何者か、
白い両手のそれぞれへ、細身の和刀を握りしめ、
一味の退路を塞ぐよにして、林を後背にして立っており。
襟から延ばされたものでだろ、
顔の下半分を黒い布にて覆っているため、目鼻立ちも表情も見えないが、
風に掻き回されている軽やかな金の髪なのが、
賊の一行にハッとするほどの何かしらを想起させたようであり。

 「兄ィ兄ィ、あれあれ…っ。」
 「なんじゃいな、あれて。」

背中を向けたままな大将格に、
こちらを見よ見よと急かす手下らだったのへ。
こっちもこっちで忙しいのだと、
うるさいなと八つ当たり気味に噛みつく頭目だったれど、

 「せやし、あれて。」
 「毛皮で衣紋は見えひんが、もしやしたら こいつらはあの…。」
 「せや、あの“褐白金紅”やあらへんか?」


   「………………なに?」


もはや悪党連中に知らぬ者なぞ居はしないとされる、
鬼よりおっかない練達凄腕の、野伏せり狩りの二人連れ。
鋼筒や甲足軽に兎跳兎から、
どうかすると雷電や紅蜘蛛級の超特大機巧躯までも。
その手に握った太刀のみで、一刀両断してしまうという奇跡のさむらい。
近年は、生身の盗賊まで片付けて回っているそうで、

 『俺らもそのうち討たれるやも知れんの。』
 『まあ、そのくらいの大盗賊じゃああるからな。』

なぞと。
彼らに追われたことが、
誉れになるよな現象さえ起こっているとかいないとか。
とはいえ、実際に彼らに立ち塞がられた者共は、
日頃大きなことを言っている面々に限って、
当人たちと相対してこそ判る、
気魄の厚さや剛さに飲まれてしまうのがオチであり。

 「な、ななな、何を焦ることがあるのや、
  俺らほどの一味やで?
  賞金稼ぎにはハエみてぇにたかられるのんも、当然のことやろが。」

吃りつつも何とか、聞こえよがしの啖呵を切った頭目ではあったれど。

 「ハエは、優れたものには たからん。」

ぼそりと言い返した金の髪の若いのの、
ぴしゃりとした言いようだったのへ。
噂に違わぬ冷徹さの発露かと、
下っ端どもが見るからに震え上がって見せたものの。
この彼が、仕置く相手へこんな口を利くのは、
実は実は ほんに珍しいこと。
死胡蝶との呼びようならともかく、
さすがに“ハエ”は聞き捨てならなんだのでしょうかと、
後日に、どこからかこの話を聞いたらしい工兵殿から、
そういう素性を知っておればこそ、小首を傾げられもしたのだが、

 “……ま〜だ怒りは収まらぬらしいの。”

その身へまとった毛並みに埋もれ掛かっていた口許を、
思わずこそりとほころばせるほどに、
勘兵衛としては、別の心当たりがしっかとある模様。
しかも、このような場面に
そんな苦笑でもって回想出来る種のものらしいのだが、
だったらだったで、

 『…余裕でございますこと。』

これもやはり、後日にこちらはもっと確かな筋、
恐らくあの、虹雅渓の警護の職についたという中司の弟御辺りから、
詳細を聞いてあったらしい七郎次が呆れた顛末こそが、
この場で壮年殿を苦笑に導いたのでもあって。

 「さようか。
  我らの正体は知らぬまま、
  あのような女性
(にょしょう)を放ったか。」

先程も勘兵衛本人が口にしたように、
この連中の仲間内、恐らくは頭目の色女だろう、
こんな僻地には不似合いなほどに色艶のいい、
ようよう熟れた いい年増が
こちらの二人が留まっていた杣家へと駆け込んで来たのが、
ほんの数刻前という宵の口のことで。

 『あれあれ、お武家様がた、どうかお助けをっ。』

柔らかさと強かさの同居する妖麗な肉置きからあふれ出る、
べっとりと甘露な気色や容色があり余ってのこと、
所作振る舞いへも滲み出るということ、あるのであろか。
何か怖い想いをした反動か、
ぽってりした口許が、紅ごとぬらぬら濡れていて。
黒襟の綿入れに濃紺の袷
(あわせ)というところまでは、
こんな山間を往来していた身にしては微妙に不自然ながら、
まま冬の衣紋で大人しやかな装いだと言えなくもなかったが。
その取り乱した慌てようから、随分のこと着崩されており。
合わせ目が左右に割れかけた裳裾から覗く、
深紅の襦袢
(けだし)をまとわした白い脛やら。
がくりと落ち掛かった結い髪の、
後れ毛が幾条かこぼれ落ちた先、
ずんとおし下げられた抜き襟の中、
やはり真白なうなじのねとりとした色合いやらが、
早めの宵の薄闇には毒なほどの拮抗で、冴え映えていたのだけれど。

 「お助けをとすがって相手を籠絡し、
  隙を見て刀やお宝掠め取る、
  それは大胆な女の賊の噂も聞いておったのでな。」

このようなときに、
しかも…用心のためにと警護の依頼を受けた、
我らのところへ一目散に駆けて来た都合の合いようといい、

 「少々入念に仕立て過ぎたようだの。」

ごてごてと策を飾り立て過ぎて、
却って陽動との疑い持たせるほどに目立ってしまったようだのと。
そこを掲げつらい、拙い稚技だと一笑に付されたとでも思うたか、

 「ぬぬうっ!」

胴間声の頭目殿、うううと一頻り唸ってののち、
浅黒い顔を夜目にも分かるほど真っ赤に煮えさせ、
恥辱を払うためにか一気にがなり立て始めた。

 「ううう、五月蝿いわっ!
  利いた風な口を利くんじゃねぇわい、この年寄りがっ!」

腰に佩いた大太刀引き抜き、
靄をまとわした口許から唾を飛ばしの、
ぎゃあぎゃあと喚き散らかして。

 「褐白金紅だか、カツカツ何とかだか知らねぇが、
  そうそういつまでも、
  手前ぇみてぇな爺さんの天下が続くもんじゃねぇ。」

太刀の柄を掴み絞めたままの手で、
行く手を阻む壮年の武家を指差すと、

 「大体だ、おみよの色香に惑わされねぇってのがどうかしてる。
  さてはとっくに枯れ果てたか、
  それとも情夫の俺様を片付けてから、
  しっぽりやろって寸法ォ か…?  ぎゃあっ!!」

当人は苦し紛れのこと、つまりは自棄になっての捨て台詞だったのだろに。
余計なことを言い立てたもんだからこそ、問答無用で斬られたのだと。
………果たして気づいた彼だったのかどうか。

 「〜〜〜〜〜〜。(怒!)」

細い眉を吊り上げの、肉薄な口許をぎりりと引き絞りのと、
やはりやはりこの彼には珍しいほど感情を表へ出している久蔵から、
そりゃあ無防備だった背中を、
毛皮の下に仕込んでいた防具の鉄鎧ごと
ざっくりと切られてしまった情けない頭目は。
それでもぎりぎりで一命を取り留めたそうで。
こちらさんもまた、
杣家で怒り心頭の久蔵から古縄でぐるぐる巻きにされていた、
女盗賊の女房と番所で対面することとなったらしいのは後々日の話。


 『いやまったく、
  霜夜の冷たさよりも誰ぞの悋気の方が、
  儂には よほどにおっかないからの。』


そこを 平素から判っているやらいないやら。
時折、朴念仁なところもお見せになられるもんだから、
久蔵殿とてやきもきするのではと、
虹雅渓のおっ母様から意見されるのはいつのことやら。
寒風吹きすさぶ中、
風籟の唸りのよそよそしさが、尚のこと身をすくませる、
とある夜更の一幕であった。





   〜Fine〜  11.12.20.〜12.21.


  *妖しい熟女が突然駆け込みの、
   そこから紅胡蝶さんが静かに悋気を煥こしのと、
   そういう段取りでメモを書き散らかしていましたが、
   話の尺が長くなる上に、
   ウチの彼らだったら…というオチも
   恐らく皆様にはお見通しだろうと気がついたので、
   いきなりの種明かし場面から書かせていただきました。
   ただ、これだとやたら説明が多くなるんですよね。反省反省。
   相変わらずにウチの“勘久”は
   久蔵殿の“おっさま好き好き”というベクトルが強すぎて、
   勘兵衛様がどんどんと緩んでのこと、
   ぼんやりさんになりつつあるのが困りもの……。
(おいおい)


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めるふぉvv

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