青時雨
(お侍 習作189)

         お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


この大陸の四季は、
思わぬ狭間に長雨や豪雨が挟まることも特徴的で。
季節の狭間というものは、
そうそうきっぱり入れ替わり差し替えられるものじゃあないし、
前の季節の特徴が居残っていてのこと、
急に暑くなったり寒さが戻ったりと不安定なのは判らぬではないが。
それは心地のいい上天気だったはずが、
一転 にわかに掻き曇り、
凄まじい勢いの雷雨となって、
予想だにせぬ間合いで襲い掛かってくるのは、
相手が自然現象だとはいえ、どうにも恨めしいたらなく。

 「…………。」

ほんの直前までは汗ばむほどのいい陽気だったが、
それが祟ったらしい いきなりの驟雨は、
雷も伴ってのなかなかに凶悪なそれであり。
これが町だの里だのにいるならともかく、
街道の、それも宿場と宿場の半ばを歩いていたりした日にゃあ。
雨具の用意がない旅人らは、
駆け足になって雨宿りの庇を探し、右往左往するしかない。
茶屋や早亀の中継所があるとか、
塚の代わりの大きな樹でも植わっていればいいのだけれど、

 「儂らほど健脚でなかったならば、
  街道の真ん中で立ち往生するしかなかったかの。」

特に用向きがあっての道行きでなし、
それでののんびりした歩調でいたところ、
並木でさえない山裾の街道で、突然の驟雨に襲われて。
空気の中に鉄臭い金気が張り詰めたのへと、
気づいたところへ一気に空が鈍色に暗くなった素早さには、
さしもの“元もののふ”でさえ
予測も適わずの逃げ出すしか手は打てず。
街道からやや逸れての木立の中に、
樵か猟師かが泊まりがけの仕事で使うそれ、
粗末な杣家があったを見かけたのを幸いに、
人がおらぬでも屋根があるだけありがたいと、
即決で飛び込んだ二人連れ。
入ってすぐの土間にて、
手持ちの手拭いで顔やら髪やらをまずはと拭いつつ、
思わぬ災難に遭ったなと、とはいえ苦笑混じりの軽口まがい、
そんな言いようをした壮年殿は島田勘兵衛といい。
降り始めたところから此処まで、確かに結構な距離を稼いでおり、
それでも…その背中まで延ばした蓬髪の下で、
衣紋が水を吸い、重くなりかけていたのへ閉口したか、
まとっていた砂防服の、
外套代わりの一番外側を手際よく脱いでいたものの。

 「…久蔵?」

連れの若いのが、特に何の手当てもせぬままでいるのに気がついて。
おやおやとその手の手拭いを相手の髪の表へとあてる。
独特の癖のある金の髪は、
彼もまた素早く駆けて来たせいか、
その芯までという深い濡れ方はしておらず。
ふんわり軽やかな綿毛の表へ水滴をまぶしたようになっているだけ。
とはいえ、そのままに捨て置けば中へも染みてゆくだろに、
髪はもとより、細い肩先や薄い背中を包む紅の衣紋にも、
少なくはなく まといつく水滴を、なのにまるで構わぬ彼であり。

 「風邪を引くぞ?」

低められた声音は 叱るような響きでこそなかったが、
稚(いとけな)い幼子でもあるまいにという、
そんな語調だとそこはさすがに感じたか、ふいっと横を向くものの。
髪へと当てられた手拭いを、うるさいと振り払うほどの拒絶はしない。
粗末な作りの小屋も同然な杣家の中は、
窓といってもつっかい棒で支えるような明かり取りの小窓しかなくて。
本来、まだ陽の高い時刻ではあるけれど、
空の重苦しい曇りようが滲んでのこと、樵小屋の中は殊更に薄暗く。
だからこそ、彼の白い頬や金の綿毛は浮かび上がって何とも見やすい。
ちょっぴり拗ねたように横を向いたままの細おもてが、
だが、勘兵衛の手を厭うことはなくの、
むしろ“早よう拭け”と催促して待っている沈黙なようにも見て取れて。

 “さようか。”

相変わらず判りにくい甘えようをと、
込み上げる苦笑を、口元へと滲ませながら。
決して器用とは言えない手つきにて、
それでも念入りに髪や肩にまぶされた滴を拭ってやる勘兵衛で。

  ざああぁぁぁ……………、と

驟雨の雨脚は存外強く、
先程まで歩んでいた街道でも、
見る見ると黒く塗り潰した地の上へ、
牙を剥くよな白い雨脚を蹴立てていたほどだったため。
新緑の芽生えも目覚ましい青々としていた山への取っ掛かり、
山道の周囲にも木々がいくらかは見えていたものの。
杣家の中はといえば、
薄い板張りと檜皮の屋根が叩かれる音が、
その他を圧倒し、大きく鳴り響いているばかり。
素早い所作が利いたものか、
連れ合い殿の身へまぶされた雨粒も、さほど手古摺ることなく拭い終え。
最後に頬までちょちょいと撫でてやったのへは、
猫が不意を突かれたかのよに、
ここで初めて 眉をしかめもってのお顔を遠ざけた様が、
いやいやという所作も含めて妙に愛らしかった久蔵であり。
嫌ならよそうと くどくは追わず、

 「さても、」

空模様はいかがかと、
少し奥まった壁の高み、隙間があっての輪郭が見える小窓へ近づくと、
ひょいと下辺を押し上げて外を見やった勘兵衛だったが。
空一面を埋め尽くす雲の もったりとした重々しさは、
即座に翔ってゆく、所謂“にわか雨”では どうやらなさそうで。

 「今少し、ここで過ごさねばならぬな。」

見回した小屋の中は、一応は寝泊まりも出来るだけの仕様となっていて。
居室と見立てた板の間は、上がり框を設けての段差があって、
雨や湿気、泥や埃などを高さという境界にて防げてはいる。
囲炉裏というほどではないが、
それでもそこへ火を煥せるような小さめの炭櫃が床へ切ってあり、
寒くはないが、衣服が乾かせようと思ってのこと、
炭や薪の切れ端が残っているのを確かめると、
長押の上に穂がらがあったのを取り、
持ち合わせの燐寸にて作った火種を移す。
薄暗い中へ灯った炎は、
小さくとも暖かで、仄かであれ活気をもたらすようで。
沓を脱いでの板の間へ上がり込んでいた勘兵衛の横合い、
框へ膝から乗り上がって炭櫃を覗き込んでいた久蔵もまた、

 「……。」

紅色の双眸へ温みをたたえての、頬を仄かに赤くしていたけれど。

 「……? 久蔵?」

沓を脱ぐのが面倒だからか、
手をついての そのままそこからにじにじと這い上がり。
やれやれとそちらは炭櫃の縁へ落ち着き、
足も崩しての胡座をかこうとしていた勘兵衛の懐ろ目指し。
よいしょよいしょと二の腕へ掴まると 少しほどもよじ登ってから、
顔からぽすんと上がり込むのが、

  器用なんだか ずぼらなんだか

彼ほどの痩躯に、体格が一回りは違う勘兵衛の懐ろは余裕の広さ。
頬を当てた胸板の、内着越しの筋骨の感触が、
やや堅い肌の張り詰めようごと心地よく。

  「………♪」
  「せめて沓は脱がぬか。」

手慣れた様子で よいしょと方向転換しかかるのへ、
せめてもの苦言を金の綿毛の真上から落とせば。
向背へ後ろ向きのまま手を伸ばし、
かかとを掴んで引き抜く端から、ぽいぽい放る行儀の悪さよ。

 “シチが見ておれば、こんなでもないのだろうが。”

作法が洗練されてはおらぬ儂では、
叱ることも出来まいなぞと、甘く見られてもしようがないかのと。
そちらもそちらで、
相変わらずに斜めな感慨を抱いてしまう壮年殿ではあったれど。

 「…?」

何か言った?と小首を傾げ、
すぐの間近から見上げてくる、透明感をたたえた双眸には勝てぬのか。
それへ見惚れたのも寸刻、
すぐにも味のある苦笑を精悍なお顔へと浮かべて見せて、

 「ほれ、肩が冷えかかっておる。」

雨脚に遮られることもないほどの間近同士だってのに、
耳元へわざわざお顔を寄せて囁いたは、
勘兵衛からのせめてもの意趣返しか、それともそれも素の対応か。
それでなくとも、こうまで間近いお声と言えば、
閨で名を呼ばれるときくらいのもの…と。
暗さや温みや、頬を寄せてた胸板の肉惑らから、
続けざまの連想で一気に思い出しでもしたものか、

 「〜〜〜〜。////////」

たちまち真っ赤になった久蔵殿。
そんな様相、見とがめられるは業腹と、
ぱふりお顔を伏せたのを、よしよし言うた通りに従ったかと、
やはり斜めに把握してしまう壮年殿だったので。
もしも此処に さっきついつい思ったおっ母様が居合わせたなら、
こんな二人の咬み合わなさと素朴さへ、
吹き出しそうになってたに違いないと思えてやまぬか。
低く羽ばたいた山鳥が、
きちちちと鳴いて飛び立っていった初夏の午後…。






   〜Fine〜  12.06.19.


 *専門家に言わせれば、
  驟雨、所謂“土砂降り”の雨は
  気団の温度差から生じるものであり。
  殊に初夏の青時雨は、
  シベリアからの寒気団がまだ南下して来て起きるもの。
  急激な夏日に地表はぐんぐんと暖められるものの、
  上空の寒気団の温度が追いつけず、
  その落差により上昇気流が発生。
  その気流が空高くまで舞い上げた水蒸気が、
  近いめの水分子同士で寄り集まり、
  結構な大きさまで育って
  空にいられなくなると雨になって落ちてくる。
  ところが、
  地上と上空の温度差があまりに大きいと、
  水蒸気は急激な気流に運び上げられるため、
  出来上がった水分子は一気に凍ってしまう。
  それがそのまんま落ちてくるのが雹で、
  どう見たって雪の親戚みたいなのに、
  初夏にあたろう五月六月に降ってきやすいのは、そんなため。

   ……という一連の理屈をちゃんと把握したのが、
   この堂々たる年齢になってからってどうよ。(笑)

  特にこのところの、ゲリラ豪雨だの爆弾低気圧だのってのは、
  こうまで頻発するものじゃあなかった格好では、
  以前からも起きなかった訳ではなかったんだそうで。
  ただ、それがこうも注目され、災害レベルになったのは、
  やはり近年の一気呵成な集中振りのせいであり、
  ヒートアイランド現象とか地球温暖化とか、
  今時のあれこれが関わっているんでしょうかねぇ。


 *…なぁんてなお堅い話で誤魔化しとりますが。
  そろそろ寝苦しい夜がやって来ますので、
  その前にと、甘いお話を構えてみたんですけれど…。
  このっくらいの微糖風味
  はいつものことでしたね、うんうん。
(苦笑)

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