初秋の気配 
(お侍 習作190)

         お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 



  りーりんりり、りーりん、と


どこかで鈴を振る音がする。
輪郭も曖昧で、
よほどに手持ち無沙汰でもないと、
なかなか気づけまい ささやかさだが。
されど、たいそう澄んだ涼やかな響きなので、
一旦 気づくとそのまま耳を澄ましていたくなる。

 「………。」

頬に触れた風があり、その涼しさにまぶたを上げれば、
辺りはすっかりと薄暗く。
ああ、もう陽が落ちたのかと思う。
夏場はいつまでも白々明るかったのが、
そういえば、ここ数日はあっと言う間に暗くなり、

 「…久蔵、月が見事だぞ。」

こちらが目を覚ましたと気配で察したか、
少し離れたところから、
少し枯れた気に入りの声が、いい響きでそうと紡ぐ。
相変わらずのこと、
旅先のあちこちで野伏せり崩れを狩っている彼らであり、
こたびも、こちらの里から近隣を荒らす盗賊退治を依頼された。
結構な頭数だったが、
援軍を呼ぶまでもなくの即日で、対象の賊を平らげたものの、
搦め捕った顔触れを州廻りの役人が収監しに来るのが明日になるとの話。
それなり痛手を負わせてあるし、
取りこぼした者が絶対にいないとは限らぬが、
近場にそのまま潜伏して仲間の奪還を狙う…という例は滅多に聞かぬ。
よって、もはや逃げたり反撃の牙を剥いたりという恐れはなかろうが。
それでも非力な農民らには恐ろしい存在。
なので、役人らが来るまでの用心棒代わりも兼ねて、
庄屋の屋敷の離れ家に、一晩 留まることとなった勘兵衛と久蔵で。
請われてのこととはいえ、
両手では到底足らぬ数の悪鬼らを、
あっと言う間に切りつけ刻んで屈服させた凄腕のお武家様とあって。
純朴な民にはそちらもまた、途轍もなくおっかない存在だったのだろう。
奮発したらしき酒肴の膳を届けてくれたものの、
こちらの彼らもまた恐ろしい人斬りだと怯えるあまり、
支度を据えたお女中らはあっと言う間に去っていってしまい、
あらためての礼をとやって来た長老らが
“とんだ粗相を…”とやたらに恐縮してみせたほど。

 “まま、それも致し方ないか。”

あの神無村のように、
自分たちも戦うぞと意気が揚がるような里の方が珍しいのだと。
そこは勘兵衛にも納得出来たし、
久蔵に至っては、

 『………。』

一仕事終えて、それなりの緊張なり集中なりを解いたその途端、
まだまだ続く残暑の蒸し暑さが、
文字通りの肌身へ迫り来たのへとすっかり閉口し。
井戸端で手足をすすぎ、ついでに汗を拭ってから、
こちらでお休みをと 案内された離れ家に着くやいなや。
奥のほうの陽の入り込まない辺りに陣取ると、
板の間へころりと横になってしまってのそのまんま。
疲れたわけではないだろが、
まぶたを降ろして仮眠に入ってしまったほどで。

 “腰の引けていた輩の殲滅よりも、
  この暑さの方こそ よほどのこと手ごわいか。”

それでなくとも暑さには弱い若いのなのは、勘兵衛も重々承知。
案じるように首を伸ばして覗き込んでいた庄屋殿へ、
なに あの年頃の者は昼の間は得てしてああなものと、
適当なことを言って誤魔化して。
あんまり見栄えは善くない畑の向こう、
鎮守の森だろか、
青い空に沸く積乱雲のようにこんもり茂った
ブナやら椋やらの大樹の群れを、
のんびりと眺めて過ごした勘兵衛だったらしく。

  りぃりぃ・ちりり、と

涼しげな声のするほうへ、
寝転んだまま、窮屈そうに首を曲げた久蔵が視線をやれば。
うたた寝に入る前には、
軒から降ろした簾や勘兵衛の背中が
輪郭だけの黒々とした影となって、
白っぽい陽の中に映えていたはずが、
今はその姿ごと宵の深藍に飲まれたか、
気配はあるのに姿が見えぬ。
だが、

 “…月?”

確か昨夜も東に見えたと思い出し、
そちらを見やると、やっとのこと、
連れの壮年の、
案外と繊細な横顔の輪郭が見て取れて。

 「〜〜〜〜。」
 「どうした?」

にじりにじりと這って近づいた久蔵だったのへ気がつくと、
精悍なお顔をほころばせ、まだ眠いのかと苦笑する。
すぐ傍まで近寄れば、
大きな手が頭にぽそりと載るのもいつものことで。

 「………。」

子供扱いのような気がして払いのける日もあるが、
今日はそんな勘気も不思議と起こらない。

  大きくて、重みがあって、頼もしい手だ。

同じこの手が、
重い大太刀を振るっては
数多の敵を切り裂いたのを知っている。
一旦斬るとなれば、相手が誰であれ容赦はしない。
侍にとっては、そんな覚悟があっての抜刀なのであり。
まま最近では、命のやり取りには値しない輩を
手っ取り早く黙らせるため…という場面の方が、
増えつつあるのじゃあるけれど。
稀に骨のある相手も紛れているし、
そうかと思えば、
小賢しい策を弄して手間ばかり取らせる手合いもおり。

 “性質(タチ)の悪い…。”

もはやそういう詰まらぬ相手しか、残ってはおらぬというのだろうか。
いっそその方がいいに決まっているのだが、

 “………。”

そうともなると、約定を先延ばしにする理由がなくなるのかな。
勘兵衛はそこまで気づいているのかなと。
余計な想いまで浮上する始末。

  りぃりぃ・りんりぃ

涼やかな虫たちの奏でへ意識を飛ばしていても、
髪をまさぐる大きい手の感触が、若いののよそ見を許さない。

 “だが、まだまだ意気盛んではあるのだし。”

血気盛んにも飛び出さぬからといって
見た目そのまま枯れているとは限らない。
よくよく練り込まれた刀の作法は、
機能美まで兼ね備えての無駄がなく。
その動線に沿って、
延ばした髪の裾や砂防服の上掛けが
ヒレのようにたなびくのは、いっそ舞いのよう。
コツを心得ていてのことながら、
速くて鋭い自分の斬撃を、
まるで疾風閃光のようと言われたことがあるけれど。
ならば、彼の太刀筋は何に例えればいいのだろ。

 “所作動作の切れや速さは…。”

一端のもののふなら誰もが持つこと。
剛力には頼らぬ勘兵衛の刀には まだ何かがあるようなと、
頬では板の間のひんやりした感触を、
頭の側では勘兵衛の手の重さの心地よさをうっとり堪能しておれば、

 「…お。」

虫の声を霞ませて、どこかの遠くで低い雷鳴がごろごろと鳴った。
ここいらでは風も涼しいが、向こうのほうではまだ蒸すからか。
そして、お髭をたくわえたあごの線が 少し上がった勘兵衛だったのは、
自分と同様、かすかな雷鳴へ気づいたせいだったのだろうが。
そんな姿を眺める久蔵の、ぼんやりと想起する中に浮かんだのが、

 “……雷撃。”

逃れようのない白い閃光とともに降り落ちて、
重い破壊力で一刀両断する太刀は、
正しく 雷霆の矛先での薙ぎ払いも同然であり。

 「………………それでか。」

灼熱の陽が照る中であれ、蒸せ返るよな温気の中であれ、
疲弊知らずの斬撃の威力は、微塵にも衰えずであり続けており。
仕事を終えれば、ばったりその場で倒れ込むこともあった久蔵を、
ひょいと抱えて介抱出来るほどの、気力の容量の凄まじさも。
鍛練や忍耐で身についたのみならず、

 “雷王の申し子なれば仕方がない。”

南方生まれの雄々しい壮年。
暑さや湿温気に強い身を、せめてそんな特別仕様だとしなければ、
何かしら癪なのだろか、紅胡蝶殿。
白い頬にまで降りて来る手へ、時折歯を立て甘えつつ。
日いちにちと涼しさが増す夜風に、
和んだお顔でこそりと息をつく、双刀使いさんなのでありました。





   〜Fine〜  12.09.02.


 *陽のある内は相変わらずの暑さですが、
  晩は随分と過ごしやすい今日このごろですね。
  ついつい夜更かししちゃうんで、
  相変わらず 昼間は使いものにならないおばさんなのでした。

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