更夜深森雪閑
(よふけのもり ゆきのしじま)

      お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より*(お侍 習作193)
 



ぎしぎし・きゅうきゅうという、軋むような音が足元から立つのは、
他でもない、深い雪を一歩一歩踏み締めての進軍だから。
森の中だというに、足跡のないところを進む一行で、
ままそれは、この森が落葉樹も抱えていてのこと、
鬱蒼とした木々の梢での天蓋で、完全に空を塞がれていないせいもあろう。
それを示すように、
辺りは仄かな月光とそれを受けた雪のお陰様、
結構な夜半だというに真っ暗闇ではない。
彼らの視野の大半を埋める雪の白は、水気が多いか薄青く光って見え、
手元暗がりにならぬは、更夜の道行きには僥倖なようでもあるが、

 「ううっ、体が固まっちまいそうだぜ。」
 「ぼやくな。」
 「一刻を争うんだ、仕方がねぇ。」

吐息の湯気をまとわせつつ、ぼそぼそとしたやり取りを交わす男らは、
こんな雪道を、しかも夜更けだというに、急いで踏破する理由があるらしく。
口数が少ないのは獣か何かを用心してか、
簑笠まとった数人の陰が、黙々と歩む様は、
雪の中で ますますと寒々しく映る光景であり。
彼らも気づかぬ梢の高みでは、
羽根の白いミミズクが、小首を傾げつつ見送っておいで。
そんな存在の真似だろか、
気配もなく佇む影がもう一つ、
やはり無言で眼下を見下ろしていたが。
そんな視線にも気づかぬまま、数人の男らは先を急いでおり。
やがて、その歩みの行く手に何かを見つけると、
見るからに足早になり。
さしたる間も置かず、それへとの合流を果たした模様。
そちらもまた数人の男らであり、
この寒い中、だのに火も焚かずの、音なしの構えで待っていたようで。
中の一人がひそめた声で開口一番に訊いたのが、

 「…どうだった。」
 「いけませんや。今年は居残りも無しなようで。」

冬場は深い雪に塞がれてしまう里が多い、
北領の山間という辺境地区にて。
春を待つために人々はどうするかと言えば、
余裕のある里ならば、
雪の間は山を降りて別の地に仮住まいをし、
だがだが、染料の草だの 宝石細工なら鉱物だの、
それらを洗う澄んだ清水だのが、
どうしても要るような仕事や産業で食っているのでと、
春になったら元の村へ戻る…という住み分けも出来ようが。
ぎりぎりの細々とした暮らしようでいる里の場合、
そんな大掛かりな引っ越しへの費用もないため、
已なく雪の中に押し込められるまま、
溜めていた食料を食いつなぎ、炭も倹約しつつ、
長い冬を半ば冬眠も同様に押し黙って過ごすこととなる。
無論、その間もワラ細工だの木工だの懸命に働いて、
春になったら下界に売りに行くのであり。
中には、上等な織物を丹念に仕上げることで、
その筋では ずんと知られている里も幾つか。
そういうところはそういうところで、
贔屓筋が 炭やら米やら、
どうかすると警護の者までもを配置してくれたりもするのだが。
よほどに有名なところでもなければ
そこまでの目配り手配りも行き届かずで。
心ない野盗や目先の金ほしやの女衒(ぜげん)などが、
来年の絹なんてどうでもいいと、
織工の娘らを攫ってゆくこともなくはない。

 「居ないもんは しゃあねえか。」

 「あれだな。
  去年辺りに根こそぎ攫われちまったか、
  それで恐れて残りは離散したか。」

 「ったく、どこの誰だよ。
  そんな計画なしなことしやがんのはよ。」

忌々しいと舌打ちをしたのは、
森の中にやや開けたところにて、
斥候だったらしい男らの戻るのを待ち受けていた顔触れの中でも、
一番上背があっての 少しばかり年嵩の髭面で。
縁の裂けた笠の下からちらちら覗く顔は、ただただ野卑であり。
口の回りをほぼぐるっと、濃い髭に覆われているのが、
どこか獣のように見えなくもない。
そんな彼が一味の頭目でもあるらしく、

 「ぼやいても仕方がねぇ。」

一際大きな吐息を白く吐き出すと、自分の背後に視線を投げて、
そこに佇む大きな塊を、節槫立った手で軽く叩いて見せ、

 「今回はこんだけで良しとしよう。
  なに、結構いい女が粒ぞろいだで、
  織工としては役に立たんでも、
  好きもんに高こう買うてもらえようさ。」

にんまりと笑った口元が、
この寒い中だというにてらてらと光って、
それが何やら淫靡な含みを想起させ。
残りの男どもも、
それへ釣られたように野卑な笑いようをしかかったが、

 「  ……っ、ああぁあっっ!」

強いて言えばそんなような、
言葉にならない呻き声が突然聞こえたのがその間合い。
寒さこそ厳しいが、それが風さえ凍らせているものか、
至って静かな夜半であるがゆえ。
そこへの不意打ちのような物音には、
すわ、熊か狼かと、一斉にびくりと身を竦ませた男たちだったが、

 「何だなんだ、また こん中かよ。」
 「気が動転しておかしくなってる奴が居やがんだろうさ。」

先程、入道髭の頭目が叩いて見せたのは、幌のついた大きな荷車で。
車輪も大きく、重々しくも頑丈な作りの荷台には、
どうやら…あちこちから攫った娘らを押し込めてあるらしく。
さっきのは そこから聞こえた声だった模様。

 「縛った上にサルグツワもかましてあるから、
  逃げ出すのも無理だろし、
  自害だってそうそうは出来ねぇと思うがよ。」

 「毛皮をたんと掛けてやってあんだ、
  寒いってこともねぇはずだがな。」

何せ大事な商品だからなと。
冗談ではなくの そういう方向からの気遣いはしてあるがと、
それでも文句があるってのかよという、
立派に身勝手な憤慨をして見せかかったところへ、

  ばたた、がた、どさどん…という

畳み掛けるよに何やら慌ただしい物音がし続けるわ、
ごっつい建材でこしらえた荷車だのに、
それがゆさりと、幌から雪が落ちるほども揺れるわで。

 「何だどうした?」

これはさすがに尋常ではないと感じられ。
まさかに気の違ってしまった女が出たのかも、
しょうがないな引きずり出して仕置きするしかねえかと、
頭目が顎でしゃくって手下へと指図をし、
そちらもあんまり気は乗らないか、へいへいとの不承不承ながら、
簑のワラ裾をばさばさ鳴らしつつ、荷馬車の後方へ飛びつくと、
おざなりな仕切り代わりの垂れ幕を乱暴に掻き上げたその時だ。

  ―― ひゅうっ、と

夜陰の静寂(しじま)をなめらかに裂くような、
遠くからのしまきが、だが、
素早く近づくその直前で、不意に掻き消えたかのような。
寒々しくも不気味な響きが耳の底を掠めたのと、
それが瞬時に消えたことへの嘘寒さとに、ぎくりとした輩たちだったのへ、

  がたたっ、どが・がたん、だんっ、という

先程よりもけたたましくも重い物音が、
荷馬車の中から鳴り響いたのが容赦なく圧しかぶさる。
そして、

 「ぎゃあっ!」

今度こそはくっきりとした悲鳴が聞こえ、
ぎょっとした賊らが揃って振り返った先、荷車の向背部で、
指図を受けての中へ上がり掛けていた男が、
ずでんどうと足元へ転げた格好で伸びているではないか。

 「イサブロ、どうしたっ。」
 「しっかりしねぇか。」

歯が立たぬ相手から薙ぎ倒された甲虫よろしく、
蓑を下にし、腹を天に向けて引っ繰り返っている仲間へと
駆け寄りかけた二人ほど。
そんな彼らがちらと投げた視線の先では、
風が出たのか、ばさりと揺れた仕切り代わりの垂れ幕の陰に、
ちらりと浮かんだ人の顔が一つ。
中には明かりもないはずだのに、
ロウソクか火皿のそれか、確かに黄色がかった灯火が灯っており、
しかもそれが ふっと、明らかに吹き消されて消えたと同時、
お顔のほうも暗がりへと没したものだから、

 「な…っ。」
 「いいいい、今の今の、見たかよおい。」

青白い顔の、しかもあの位置ということはすっくと立ってた何物か。
娘らは縛られての床へ座り込んでいたはずだから、
そのうちの誰かではありえない。
髪もざんばらだったし、
するりとしたお顔には明かりの炎を吹き消したくらいだ、
さるぐつわなんて影もなかった、ということは。

 「ででで出たーーっ!!」

物怪か精霊か、
そんな高尚な単語なんて知りはしない、野卑な女衒の盗賊一味。
ただただ“おっかないものが出た”と叫んだそれが、
何かの合図であったかのように、

  ばっさぁっ、と

荷車の天蓋が内側から粉砕される。
支えのためだろ、肋骨のように渡されてあった骨組みの木材も、
一瞬で木片と化して夜空へ飛び散り。
幾重か重ねてあったのは防寒というより防音のためか、
光さえ、もしかして半端な刃さえ通さぬ頑丈さだった帆布の幌も、
ずたずたに細かく引き裂かれての、薄汚れた雪のように舞い飛んだのだが。

 “これほどの強くて湿った布を、
  よくもまあ音も立てずに切り裂けたものだな。”

変装のためにとまとっていた薄汚れた袷を、
今や ばさりと脱ぎ落とし、
動きやすい日頃の武装へと立ち戻っての。
こちらも…目立つだろう銀の髪を隠すため、
頭へかぶっていたかつらを取り去りながら。
先程、他の娘らを遠ざけるためにと
呻いたり暴れたりしたのをそれこそ合図としてのこと。
樹上から荷馬車の中へ飛び込んで来た、
援軍たる深紅の衣の侍を、今は苦笑交じりに見送っていたは。
雲居銀龍という、名うての賞金稼ぎの女傑であり。
絞り上げたような痩躯に、年齢不詳で通る美貌と裏腹、
神憑りな太刀筋にて、
鋼の野伏せりであろうが機巧の侍だろうが区別なく、
水菓子のように切り裂く凄腕であり。
そんな彼女には地元でもある北領のあちこち、
殊に、ここいらの山間の、織物で秘かに有名な里ばかり、
数年に渡って襲っている、不届きな輩がいると聞き。
貧しいためか討って下さいとの届けも出せぬを不憫に思い、
判った、一気に鳧をつけてやるとの二つ返事をした女傑。
実は女衒の組織だとまで調べ上げたその末に、

 「……っ。」

しんと静かな雪の中では、
張り込みにも手勢か手際が求められようからと。
手際の優れたるを選んでのこと、
彼女だけでも辣腕だのに、声を掛けた協力者が馴染みの二人ほど。
凍てつく中でも長々と張り番をこなせる元軍人にして、
その背中に翅でもあるのじゃないかと思うほど、
余裕の滞空を誇る跳躍で、
咄嗟に散り散りに逃げ掛ける賊らの行く手へ先回りし。
既に抜いていた細身の双刀の一閃も鋭く、
毛皮や鋼の装備もろとも、野盗らを畳んでしまう手早さよ。
その鮮やかさへ快哉を送りたい気分のまんま、

 「勘兵衛、こっちは片付いたぞ。」

別動隊の主幹へと連絡を取る銀龍だ。
せいぜい女子供にしか脅威を与えられない級の、
大した腕でもない輩が相手だが、
一番の肝だったのが、攫われて移送中の身だった娘らで。
彼女らを売り飛ばすのが目的の、しかも組織立ってた連中だったので、
まま、いきなり傷物にはされるまい。
彼女らにしても、あまりの恐怖から騒ぐほどの元気もなかろうから、
見せしめのための折檻もないだろうと踏んではいたが、
それでも…そんな彼女らを人質という楯にされては面倒なのでと。
監視も兼ねてのこと、
紛うことなき女性である銀龍が娘の一人に化けての紛れ込んでおり。
首尾よく(?)攫われてののち、
合流場所に入った一味が揃ったところで、
女性たちを自分から遠ざけるため、意味不明の声で騒いでのそれから。
その位置を目がけてという、
最小限しか傷めない驚きの突入が敢行出来た 紅衣の若いのから、
愛用の太刀を無事に受け取ると。
一応の用心にと、娘らの護衛を兼ねて身構えていた銀龍だったが。
雪だまりのあちこちへばたばた倒れ伏した賊共の数を確認しつつ、
幕切れを告げるため、
別な地点に待機しているもう一人のお仲間へ、
電信の子機にて連絡をとりながら。
胸のうちにて思い出しているのは、打ち合わせのおりのやりとりで。

 “出来るか?なぞと問うたは、てっきり挑発かと思ったが。”

どんなに鋭い刃でもどんなに剛腕をもってしても、
堅くもない意外なものが切れないもので。
生木や濡れ紙、風に揺れる柳なぞは、
練達が呼吸を捕らえるか、
若しくは、考えなしの ずぶの素人が、
たまたまいい間合いへ巡り合わせて裂くことが適うか、でしか、
そうそう切り裂けるものじゃあない。
だというに、あの能面のような澄まし顔の若いのと来たら。
ぶっつけ本番の奇襲にて、やすやすとやってのけたのだから恐ろしい。
新たな雪でも降り落ちたかくらいの気配のみにて、
幌の上へひらり舞い降りると同時、
足場も要らぬということか、
幌の帆布を音もなく十字に切り裂いてしまった凄まじさよ。
外からなだれ込んだ月光に、娘らが慄いて引いてくれたは好都合だったが、
それがなくとも他へは毛ほども傷なぞつけなんだに違いなく。

 「…ああ。お主の嫁御、きっちりとしおおせたぞ。」

背に負うた鞘へ、双太刀収めるその所作も、
鮮やかなほどに凛々しきもののふを捕まえて、
相変わらずに“嫁”呼ばわりの銀龍様は。
一体どこまで判っておいでか、
そして、少し離れた雪原で、
別手の誘拐班を畳んでおいでの壮年殿は、
いつまで説明をサボるつもりか。

 “面白がっておるからな。”

きっときっと、そちらの月の下では、あのね?
うっそりと垂らした蓬髪の陰にて、
精悍な口元を こそりと和やかにほころばせ。
それはくすぐったげに
元同僚からの嫁褒めを聞いているのだろう勘兵衛なの、
さしもの久蔵にも容易に想像がつくらしく。
あんのタヌキめがとの吐息をつきつつ、
その白い靄の中で、だがだが、
知らずのうち薄い口元をやはりほころばせ、
にまにま苦笑しておいでだったりもするのであった。






   〜Fine〜  13.02.14.


  *聖バレンタインデーだというに、
   こんなすったもんだを書いてる
   途轍もない履き違えおばさんです、すいません。

   勘兵衛様の方は方で、
   女衒たちの総元締めの天幕張った夜営地を、
   州廻りの役人たちとともに奇襲にかけている最中であり。
   移動用の山のようなでっかい野牛を、
   たった一人で立ち塞がっての、
   鮮やかな一刀の下、瞬殺で昏倒させたりしてるんですよ。
   雪原の只中へとひとり立ち塞がって、
   こう、ばささぁっと、
   あの白い砂防服とか毛皮の外套とか、
   ついでに髪の裾までも
   超振動の余波にて舞い上げつつという雄姿は、
   紅衣の嫁御も見たかったに違いない。(まだ言うか。)

   「向こうは無事でしたか、それはよかったですよね。」

   それにしてもあのお女中も無謀なことを言い出されましたよね。
   おとりとなって娘らに紛れ込むとは。
   いつもの伝なら、久蔵殿が受け持つところじゃないですか。

   「久蔵殿ならば、年格好にも無理がなくの馴染めますのに。」
   「よぉし、貴様 命は惜しくないと見た。」

   あはははと笑いつつ、余計なことを言い足した中司さん。
   存外早々と合流を果たしていた銀龍様本人に、
   背後からの不意を突かれたそのまま、
   のほほんとしたところを、きっちりと絞られたらいいと思います。
   (忍たまにハマッて以降、
    中司さんが事務員の小松田さんと重なってしょうがない。笑)

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