桜花情縁 散華契
  (お侍 習作195)
     (はなのえにし さんげのちぎり)

         お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


      2



 慈愛あふるる先代の薫陶の賜物か、そりゃあ良く出来た若様が、亡くなった先代様を引き継いでの差配となられて半年ほど。街道筋でもなかなかの評判の繁華街、商いの中継地でもある山峨の宿場にて。この春、それはお目出度い仕儀 これありて。二つ隣りの宿場の富豪の箱入り娘が、こちらの若君の噂に心動かされ、そこから進んだ輿入れ話が実を結んでの、今日の善き日にいよいよのご婚儀、華燭の典が催されるとか。ここ何日か、例年にも増す早さで訪のうた春めきにより、山野辺の里でもあるこの山峨のあちこちにも、桜の織り成す緋色の花霞が発し、それはやさしい暖かい色合いを風景の中へと差しており。行き交う人らのお顔も明るく、世の春をそのまま描いたような賑わいに沸いており。

  そしてそんな人々が、
  皆して心から祝う、今日の主役はといえば。

 ここいらの古くからの装束は、前合わせの袷に腰までの羽織を重ね、袴もまた身に添う細身のそれへ あそびのあるたっつけを重ねた代物で。狩人のように機動性を感じさせつつも、色を選べば何とも華やかな見目となるところへ。貴種の宝珠を連ねた佩を帯び、家宝の大太刀を装備して、白金を織り込んだ特別な鳥冠というつばのない帽子を、丁寧に結い上げた髪の上へ戴けば。

 「これはまた、先代様の若かりし頃を彷彿とさせますな。」

 年の嵩でもその先代よりかなりの上だった、少々口うるさい家老職の長老が。今日ばかりは説教用の口へ錠前を下ろしたか、そちらも濃色の礼服を身にまとい、恭しくも膝を折りつつ、だがだが視線は きりりとした若君から外せずにいる模様。それはそれは誠実で、人としての尋も深く、故に諍いも少ないよい領地として、お若いころからのずっと波乱なく当地を治めておられた先代が、不慮の病で薨(みまか)られ。こう言っては何だが、まだまだ世間もろくに知らない若君では、よその領からの牽制やら挑発やら、上手に躱したりいなしたりは難しいのではと危ぶまれていたものの。

 「そのように、いつまでも弱輩扱いはよせ、爺や。」

 困ったような苦笑も、若々しいお顔に塗ってしまうと…まだどこか青々しい香の方が強いものの。だからといって、弱々しさは…というと、不思議と見受けられはしない。あくまでも壮健に朗らかに。先の差配様がそうだったように、芯の強かな実直な心根を基盤にしてのそれ。頼もしい健やかさを満たした涼やかな笑みには、どんな矮小さも卑屈さも混じっておらず。狡猾さに届く歪みが一切匂うことのない、清かな明るさしかなくて。ああもうもうこのお人は、いつの間にか、ここまでの頼もしい雄々しさまで身につけておいでだったかと。涙もろくなった年寄りをほろりとさせる、他愛のない罪まで発揮しておられて。ただ、

 「それより爺や、姫はもう お支度は済まされたのか?」
 「これ、若。」

 こそりと声を小さく低め、やや身を乗り出しての囁きは、年相応の好奇心だか逸る心持ちだかが、それは判りやすくも滲んでいたので。いきなり何を聞きますかはしたないと、ぴしゃりとしたお叱りがやはり飛び出したのも無理はない。

 「案じられずとも、
  姫へとご用意しましたお部屋の、玉茅の御簾の奥にて、
  すっかりと支度も済まされまして。
  今は、若と共に婚儀の間へとおいでなさるのを、
  お静かに待っておいでです。」

 姫がこの宿場へ到着したのは今朝の未明。こういう祝いごとは、午前中に手をつけるのが重畳なのだそうで。花嫁としての装いも含めての式次第が、そのように始まるようにと、何と昨夜遅くに故郷を発ったという一行は。夫となる方やそのお身内以外の里の誰にも見つからぬようにという、それもしきたりから。ほんの数人という傍づきだけを連れての、そりゃあひっそりとおいでになられて。

 『両親や親類縁者一同は、
  婚儀をお披露目する意味合いもあってのこと、
  明るくなってから賑やかしく参ると聞いておりますれば。』

 こういう仕儀への応対や人あしらいに練れておいでらしい、まろやかな笑顔も愛嬌たっぷりのお女中が、まずはとそう説明し。

 『それはおめでたい華燭の典だという華美さや壮麗さは、
  嫁ぎ先で安全を確認しての身支度整えてから発揮するもの。』

 何せ、祖先に武家のおわした家系ゆえ、こういった段取りの中にも 用心深い色々が組み込まれているのです、悪しからずと。他愛ない悪戯のようなもの扱いで、説明の途中からころころ笑ってしまわれたゆえ。伝統的なしきたりや作法には、今の世では意味の分からぬ代物となっている仕儀がそのまま残っているのも ままよくあること。

 「花嫁が緊張しているかも知れぬということなら、
  まま、婚礼までご対面は待とうかな。」

 まだまだ幼い娘さんだと聞くしと。実はほんの数回しか逢ったこともない相手、どんなお顔だったか思い出せないので早よう見たくなったのだよなんて、冗談めかして口にして、これ若様とまたぞろ叱られておいでだが。

 “…そうまで複雑なしきたりがあった土地だったかな。”

 お嬢様からすれば好いたらしいお人との婚儀かもしれないが、実質は…互いの資産や領地というもののつながりを深めようという、家と家との政略的な婚儀に違いなく。そうでなくとも宿場の名士、大きな組織なり信頼なりを背負うもの同士の婚姻には、余計な憶測を招きもするし、逆に想いもよらない余禄があってのこと、それがとんだ“落とし穴”や“弱み”とも成りかねぬ。多少の艱難は負う自信もないじゃあないが、得体の知れないものは出来れば御免こうむりたいなと。何やかやと慌ただしかったのがようよう落ち着いた、式当日の今になって、その胸のうちへちょろりと掠めた根拠のない不安のようなものがあったのへ、むむうと引っ掛かってしまったらしき若君で。

 “………これが“まりっじぶるー”というものかな。”

 男もなるもんすか、それ。(こら)

 「そうそう。
  こちらからお贈りした紫水晶の冠を、
  お嬢様…いやさ、嫁御はつけておいでかな?」

 「さて…。」

 何せ爺やさんも男性なため、お支度を覗くという訳にもいかなくて。同じ居室の向背、壁際に控えていた女官へ視線をやれば、

 「…。」

 短く頷き、頭を垂れたまま後ずさりで部屋から出てゆく。そのまま花嫁の控えの間へ行くほど悠長ではなくて、すぐのお外に控えていた伝令役の女官を統括担当のところへやったらしく。小走りで戻って来た部下の知らせをふむふむと聞き、そのまま速やかに居室へ戻ると、

 「お贈りした冠、確かにまとうておいでとのことです。」

 玉茅はさほどに真っ直ぐで密度の高い茎ではないので、それを綯った簾では、御簾といってもそれほど厳密に締め切られているでなし。

 「これこのようにと、
  お座処(おまし)におわす姿を見せても下さったようですが。」

 白い絽のかづきをその冠で髪へ留め、お顔や結われた髪を覆っておいでの様子は、神聖な霞のかかったような神々しさで。錦の絹のやはり袷を幾枚か重ねての、襟元やお袖へ五色七彩の絶妙な色襲(あわせ)を覗かせておいでだったのが、お膝に小さな手を置いてらした様子によう映えて。小柄な御身を何とも可憐に飾っておいでで…と。気を利かせてのこと、詳細を見て来たと伝える女官だったのへ、

 「……っ。」

 床几のような椅子へと腰かけていた若君が、いきなりすっくと立ち上がる。んん?と、居合わせた爺や、いやいや家老方や女官頭が怪訝そうに瞬きをしたものの、それへの説明ももどかしいか、どこか荒々しい足取りとなっての無言のまま、居室から出て行かれる うら若き御主様であり。

 「わ、若っ!?」

 ここに及んでやっと“いかがなされたか”と声をかけた家老へ、振り向きもせぬまま応じた彼は、

 「安登宮の箱入り娘は、
  背丈こそ相応に小さいが、体つきは私と変わらぬほどのはずぞっ。」

 お世辞なら問題ないが、それでも…可憐だったとかお膝へ小さな手を置いていたというのが、見たことを言ったにしてはあり得ない図だとの警鐘を鳴らす。人柄も悪くはないし、少々夢見がちで内気な少女ながら、作法も学問もきっちりと身につけていて、結婚相手には申し分ない女御だと、そこはきっちり把握していた。ほんの一月ほどで可憐と謳われる身となっただなんて。下手をすれば やつれてのことかも知れぬし、

 “まさか、…まさかな。”

 この自分を謀かるような世情とは思えぬと、どこかで油断していただろうか。どんなに出来た人物であれ、何から破綻するかは判ったものではないからと。いつだって慎重に、よくよく考えてから振る舞って来たし。何より、

 “若頭にも注意を払うよう、常に言い置かれていたというに。”

 世慣れが足らぬ自分では、どんな盲点を見落とすやも知れぬから。万が一の破綻も無きよう、私も重々用心し注意を払いますと、そうと言っての背中を押してくれた、それは頼もしい右腕であり、

 “……さよう、共犯者のようなものだのに。”

 この不安は何なのだろうか。いつになく足音も高くのドカドカと、荒々しい様子にて自分の居室のある棟から、来賓用の居室の居並ぶ、特に本日は遠来の客人らのためにと整えてある間が続く棟へと到達し、

 「差配様?」
 「御前?」

 勝手が判らぬだろうお客様への案内役にと詰めていた、当家の女官や小間使いらが何事かと立って来たのを、やはりいつにない手荒さでぐいと押しのける彼であり。

 「わ…若様?」

 不安そうな声がしたのへは、さすがにハッと我に返ったか、そのまま突き進みかかった足を止め、気を取り直すとにこりと微笑って肩越しに振り返る。

 「済まぬな。気が立ってしまった。
  というのも、怪しいものがいるとの連絡があったのでな。」

 急いでいたことへの言い訳をし、えっとにわかに不安の空気が立ったのへ、

 「もしかしたら危ないかもしれない。ここから離れておいで。
  ああだが、人は呼ばなくていい。
  何でもなかったなら、
  何と臆病なと私が花嫁のお身内から呆れられてしまうからね?」

 やや自嘲気味に笑みを重ねた彼だったので、ああ何だちょっとした用心でのことですねと、女性陣もほっと胸を撫で下ろし。それでも言い付けは守らねばと、次々に目礼を残して順番にお廊下を去ってゆく。10人少しほどの女性らが廊下を完全に去ってしまったのを見届けると、ほうと吐息をついてのそれから、礼装ながら、それでも用心のためにということか。懐ろに手を入れると、そこへ仕込まれていた白鞘の小刀を確かめ、先に連なる長い長い板張りの廊下を見透かした。役所や戦さがらみの施設でもあるまいしと、この屋敷もまた、基本 和の作りとなっており。廊下の片側には庭を望める障子窓がはまっており、それと向かい合う側には部屋が幾つも連なる作り。砂壁とふすまとが規則正しく居並ぶ廊下にも、今は誰の姿もなくて。ところどころが開け放たれている障子の中、ガラスのはまった雪見窓から、春めいた陽が甘く降りそそぐだけの空間であり。

 「………安登宮の姫、私です。」

 手前では不用心、さりとてあまりに奥まっても不便という段取りから。中程のお部屋を使っておいでか、閉ざされたふすまの向こうに かすかだが人の気配がさわりと立ったのが聞こえて来て。

 「若君ですか? 姫とは まだお目にはかかれませぬぞ。」

 なめらかなお返事は、傍づきの女衆頭のお声か。式の当日は、婚礼の場で初めて顔合わせとなるのが向こうのお家のしきたりとは聞いていたけれど、

 「こちらにはこちらの段取りがあります。」

 そうそう引いてばかりもいられぬと、返事も待たずにふすまへ手をかければ。

 「…っ。」

 そもそもふすまは よほどに押さえつけぬ限り、抗い閉ざすことは難しい代物。他愛ないほどすらりと開いたのへ、むしろ拍子抜けしたくらい。そうして開かれた部屋は、廊下と同じく板張りで。深い奥行きの先には、訊いた通りの御簾が下がっておいで。細長い玉茅の茎を連ねた簾を錦の帯で縁取った、なかなか瀟洒な出来だったが。特に窓など負ってもないのに、なるほど、向こうにおわす人の輪郭がほのかに見える透けようでもあり。

 「いきなりのご無礼をお許しください。」

 まずはと謝辞を述べてから、だが、ひざまずくでなしの立ったまま、ずいと一歩を踏み出せば。御簾の傍らに、濃色の袷と羽織をまとった細身の娘が立っている。この女衆が、手際のよくて口上も立つという女官かと見て取り、

 「先程、当家の小間使いが 姫様の御機嫌を拝察しに参ったと思います。」

 お姿を拝見して来たと語ったからには、特に無礼もないまま、来ての戻った彼女だろ。そして、そんな彼女へ…ちらりという格好であれ姿を見せもした姫でもあろう。一体何用だろうかという緊張からか、傍づきらしい娘御が固まっての動かぬままなのもこの際は意に介す事なく、若き差配様は言を連ねる。

 「そのご様子をお聞きして、
  ですが、わたくし、おやと違和感を覚えましてね。」

 「…なにを。」

 奇妙なことを仰せかと続けたいらしい、女官の声を遮って、

 「確か、姫様は人へお手をお見せになるのは恥ずかしいと、
  いつもお袖へ仕舞っておいでだったのでは?」

 「……っ。」

 正式なご対面の機会で気づいたのが、含羞みからのことか、赤子のように福々しいお手々を、だのにいつだって袖に引っ込めておいでだったはず。指先が見えるかどうかというのを、作法としては誤りながら、通しておいでだったはずと。そんなささやかなことを、だのに不審と突き付ける彼であり。

 「な…っ。」
 「御免っ。」

 身を乗り出して制しかかった女衆の手よりも早く、こちらも踏み出しての御簾へ手をかければ。そこへと据えられた折り畳み式の床几に腰掛けていたのは、白が基調の袷の衣紋をまとった娘御。霞のようだったと評された絽のかつぎも、紫水晶を散らした銀細工の冠も可憐な。ちょっぴりふんわりとした 柔らかな印象の、とはいえ…なかなかに屈強そうな若君と同じほどとは見えぬ小柄な存在が、ちょこりとお行儀よくも座っており。

 「…貴様、何奴かっ。」

 この厳粛な婚礼の日に、しかもしかも花嫁のおわすはずの間で何をしているかと言いたいらしい若君のお言いようは。やや乱暴であったものの、

 「至極ごもっとな文言ですよね。」

 ふふふと微笑った謎の娘御。こうまでの大それたことをしておいてのその様が、小馬鹿にしているとしか見えなくてだろ。結構端正なお顔を、異様なくらいに引きつらせ、

 「答えろと言うのだっ!」

 人払いしたのを幸い、乱暴に声を荒げて重ね聞く若君で。

 「謎を楯にし、その口を封じられはせぬだろと、
  命までは取られぬと構えておるなら大きな間違いだぞ?」

 鞘を懐ろに残しての、白刃を抜きはなった若き差配殿、依然として傍らへ控えておいでの女官殿を見やると、

 「どちらから訊いてもいいのだからな。
  さあ言え、安登宮の姫はどうした? 貴様は何物だ?
  どうやってここへ侵入出来たのだ。」

 「欲しがり屋さんですねぇ。」

 どっちが優位か判らない。それは落ち着いている花嫁御領は、絽のかつぎの下でにこりと微笑う。その様子がますますと癇に障ったらしく、

 「何が可笑しいっ!」

 無防備な身で何を余裕ぶっているかと、それへも腹が立ってのこと。ここは自分の居城だから、何が起きてもこれまで同様、どうとでも丸め込めるさと決め込んで。頭上へぶんっと振りかぶった小刀を、そのまま力任せに振り下ろしたものの、

  ぎゃりんっ、がしゃ・きんっ、と

 少々耳障りな金属同士の、咬み合い、そのまま軋む音が立った次の瞬間、

 「うわぁっ!」

 多少は心得もあったらしい若君が、その手どころか身体ごと吹き飛ばされ、さっき自分で掻き上げた御簾に背中から絡まり半分、入って来たふすまにどんとぶつかり転げて止まった。そうまでされたほど、途轍もない衝撃に襲われたのを、腕がもげたとでも思ったらしく。うわあ・ああぁ…っと大きな声を長らく上げて、手を押さえたまましばらくほど騒いでいたが、

 「どんな無体をしました? 久蔵殿。」

 おやおやと眉を下げた姫様からのお声へ、ん〜んとかぶりを振ったのが。こっちはそれどころではないと、何枚も重ねた袷が窮屈らしく、右から左から手をかけては襟元を引いてのくつろげ中。金の綿毛も相変わらずに華やかな白皙の麗しい容姿が、女性用の嫋やかな衣紋でなお引き立っておいでの紅胡蝶殿ならば。

 「米こそ。」
 「やですよ、私はただ口上を並べていただけ。」

 言葉でもって苛ぶってたように言われるのは心外ですし、それと“米”は辞めてください“米”はと。心から嫌そうに、細めた目元をなお眇めたこちらさん。清楚な花嫁よろしく、きっちりと白い婚礼衣装をまとっているものの、実は立派な殿方の、林田平八という 元お侍様だったりし。何とも微妙な組み合わせのお二人だったが、何でまたこういう顔合わせで、しかもこんなところへ居合わせたかと言えば。

 『いやな仕儀が進んでいるらしくてですね。』

 平八と、その相方の 片山五郎兵衛との二人連れは。呼び名こそ電信という、かつてあったのと同じものながら、あの大戦のあとでは電波障害もはなはだしくて不通状態のそれとは別口。理論も電波も新しい機巧のそれを大陸中に広めんと、中継塔や発信拠点をあちこちの山野や宿場へ設置して回っておいで。そんな活動と並行して、世間のうわさや情報も収集しており。これはと思う話は、かつてのお仲間で、今はあちこちで野伏せりを狩っておいでの“褐白金紅”こと、賞金稼ぎの島田勘兵衛と久蔵という二人へも、逐一知らせているのだが。

 『表向きには良く出来た跡取りという顔をして、
  実のところは…野伏せり崩れや野盗顔負けの悪鬼がいるようで。』

 まだ先代が健在のころより、こそりと女遊びを覚えてのやりたい放題。手飼いの若頭を手足とし、ご城下では足がつきかねぬとの遠出して。近隣の宿場の場末の酌婦たちや、どうかすると途中の農家の娘御などなど、目についた端から力づくでの悪さをして回っていたらしく。涼しいお顔で口を拭うての知らぬ存ぜぬで通していたが、そんな悪事がとうとう父御に発覚。当然のことながら、何という恥知らずかと激怒されての叱責を受けたその末に、それらの事実を明らかにし、勘当放逐と運ばれかかったことを恐れたそやつは、自分の立場が脅かされるくらいならと、

 『何と、父御を殺してしまったらしい。』

 それだけならば何の証拠もない話だが、それが平八らの耳へと入ったは、皮肉なことにその直後に派手にやらかした、芝居がかった美姫誘拐からのことというから、ある意味、因果応報なのかも知れぬ。芝居一座の看板娘が、性の悪い与太者に絡まれたのを助けたそのまま、屋敷に引き取り奉公させた…というのは真っ赤な出鱈目。評判の美人を是非とも手に入れたいと、無体な与太者からして手配させての大芝居。屋敷に連れ込んでからというもの、抵抗する気も失せるほどの監禁状態を敷き、それは酷い扱いをし倒したものの、

 『飽きたのとそれから、肩書に箔が付く見合い話が持ち上がったからって。』

 外づら大事と 何とかこらえて来はしたものの、何かというと父の名がいつも付きまとうのがむかついていた。自分の手柄で名のある嫁を貰い受ければ、もうすっかりと大人でございが通るから、年寄り連中やうるさ方も順番に整理出来もしようし、と。そこいらの知恵をつけたのは若頭らしかったのですが、

 『彼女の口から色々と露見してはまずいということから、
  何と、遠方の女衒へ売り飛ばしたんですよね。』

 すんでのところで、こちらは別口の野伏せり退治のついで、仲間だった女衒を捕らえた格好の平八や五郎兵衛だったのへ、そんな怨嗟を口にしてそりゃあ口惜しがってた女性がいたもんだから。話を聞いてて…これはもしかしてと。色々不審なところも掘り返せば、まあ出るわ出るわ、悪事の数々。

 「この辺りでは、言葉の通じないほどの遠くへと売り飛ばすことを、
  お屋敷で奉公務めや行儀作法を教わって、
  御大尽のところへ、望まれて輿入れしてったって言うんでしょうかねぇ。」

 肩まで降りるかづきを脱ぎ去り、床几からよっこらせと立ち上がった平八。こちらだって、こんな大層な格好は生まれて初めてまとったもんだから、あちこちが重いやら凝ったやらと。体をほぐすのに、腕を回したり背伸びをしたりしておれば。やっとのこと、刃同士の激突の衝撃で ただ突き飛ばされただけと判った若君が、それでも短刀を掴んでいる手を押さえ、よろよろと立ち上がる。自分の裕福な将来がかかっていた、金づる花嫁になりすましていた存在は、やはりどこにも武器は持っていない。手ぶらだし、動きも緩慢で、彼奴がしたんじゃないなら、誰がああまでのつらい一撃食らわしたのかと。もはやあの寛容さはどこへやら、目だけをぎらつかせ、ささくれ立った尖った顔付きで、周りを見回した若君だったものの、

 「……っ、ひいぃ。」

 お顔のすぐ間際へと、抜き放ったまんまの白刃をかざされて、思わずの声が壊れた笛のように漏れいでる。勘弁してくれと、みっともなくも手を合わせ、拝みまでしたそのお相手は。付き添いの女官になり済まし、御簾の傍らに立っていらした金髪の美人。さっきから口数も少ないし、何やらもそごそと行儀も悪いが、花嫁に代わっての手配のあれこれを指図していた、人懐っこくて世慣れた人のはずと。若が思っているのは、今は花嫁の御仁のこと。今の今だけ入れ替わっているのであって、

 「ああ、だめですよ、久蔵殿。
  切りつけてしまっては証言が取れません。」

 「〜〜〜。」

 「もう忘れましたか。
  さっき、若頭さんを半死半生にしちゃったでしょうが、あなた。」

 ちゃんと筋道立てての証言が出来そうだった黒ネズミ、性能が随分と落ちる戦後版カスタマイズな機巧躯のチンピラどもや、それを指揮していた 若頭といった顔触れを、実は…口を利けないんじゃないかというほどもの深手、ついつい負わせてしまったばかりゆえ。それの二の舞いはいただけませんとクギを刺しておいてから、懐ろに入れていた電信の子機にて、どこへか連絡を入れる平八であり。そんな会話だけで十分だったか、

 「ひぃい〜〜。」

 その場へへなへなと座り込んでしまった若差配に肩をすくめておれば、電信先の相手がすぐにも出てくれて。

 「…あ、ゴロさんですか?
  ええ、無事に大将を取っ捕まえましたよ。
  でもネ、万が一にも逃げられちゃあ困るからったって、
  こたびのあれこれは、ちょっと凝り過ぎじゃあないですかね。」

 よく通る声でのそんなご意見へ、今は萎れて不甲斐ないばかりの不埒な若を、手持ちの縄にて縛り上げていた久蔵が、うんうんもっともだと深々頷いていたりして。こんな性根の腐った奴なぞ、襟首掴んで捕まえたそのまま、問答無用であっさり切って捨てて構わぬだろに。屋敷の中なら見ている者もロクにいないのに、花嫁になりすましてまでと手を打っての、誤魔化す必要がどこにあるのかと。こんな仕立てにされたこと、方がついても未だに不審に思っているらしい彼らだが、

 【 あのな、ヘイさん。
  そやつを斬ってのその理由として、
  やらかした悪事をそのまま暴いてしまっては、
  輿入れするはずだった娘さんが恥をかくだろうが。】

 それに、その町の人たちの多くも、これまでは誉れとしていた若の醜聞やら 先代へ手をかけたという前代未聞の不祥事やら、聞きたかなかったことを知ることになる。それらはまま真実だから、どう隠してもいづれは明らかになるやも知れぬが、

 【 今の今、そこの差配が
  “行方をくらまして”の大騒ぎになっちまうってのに。
  怪しい人物がぞろぞろと入り込んでの
  いかにもな仕儀だったとしては不味かろう。
  嫁御だけじゃあない、
  これから一からの再建となるというに、
  余計なおまけつきになってしまっての
  周辺の里から白い目で見られるのは気の毒だろて。】

 そうという段取りを刷り直している暇間にも、左右の間からのふすまがすらりと開き。輿入れのお付きになりすましていた、実は州廻りの役人らが次々と姿を現して。自慢の若が聞いて呆れる、今こそ年貢の納めどきと肩をがっくり落としておいでの、とんだ放蕩息子をそらそらと引っ立ててゆく様を、ふと見やった窓の外、年季のはいった大きな桜が緋白の花々が無言のまんまで見送ってござった。





      ◇◇◇



 白く乾いた土壁に、枝の輪郭くっきり刻んで。結構な樹齢か、大きな一本桜が、その枝々を埋めるほどの桜花をびっしりと濃密にまとわして。富貴ながらも幻のような嫋やかさまでもを匂わせる、不思議な存在感で風に揺れられており。

 「……ではな。こちらも突入にかかるから。」

 こちらは 問題の宿場からやや離れた別の宿場にて。同じ関係筋の人買い組織への手入れへと、突入を待つ身の壮年二人連れ。微妙に血気盛んになっていたいつもの連れを、言葉だけで何とか宥めた五郎兵衛殿が。いかにも軍用なのだろう武骨な双眼鏡を目元へ当てて、敵陣にあたる古宿を眺めやっておいでの相方へと声をかけ、

 「ヘイさんでは
  機巧に強くとも攻勢には不利かも知れぬという配置なのは判るが、
  ならば、逆に久蔵殿だけでもよかったのではないか?」

 平八が無事なのは助かるが、逆に久蔵が…この程度の段取りも任せられぬか、信用が置けぬかという方向で怒ってはいないか案じてだろう。五郎兵衛がそうと訊いたのへ、

 「なに。今は怒からせてもおこうさ。」

 双眼鏡を降ろしつつ、くくと短く微笑った勘兵衛。いづこの祠から出て来やった仙人かと思わすような、長々した褪めた白の砂防服姿も相変わらずの壮年殿。人を食ったような発言のまたいつものことではあれど、だがだが、そんな軽やかな笑みを、ふと 皮肉まじりの陰惨な性のそれにして、苦々しくも噛みしめて見せ、

 「それよりも。
  性懲りのない跡取り殿に、
  八方ふさがりへ追い詰められた身の絶望がいかほどか、
  しかと味わってもらわねばならぬからの。」

 「いかにも さよう。」

 こたびのやや強引なガサ入れの始まりとなり、天をも恐れぬ“親御殺し”の発覚の引き金ともなったもの。本人には何の落ち度もないというに、一方的な横恋慕よりも性の悪い、遊び半分なんてな けしからなさから、拉致されての数カ月も責め苛まれた女性があったという、あまりに痛々しい事実には、どっかの名家の親御が娘の経歴に泥を塗られぬ前に何とかしてくれと言って来たのよりも何百倍も重大事、何とも同情を禁じ得なかったので。娘御と言っても芸人としての年季も相当に積んでいた身。人と扱われぬ修羅場も見たろうし、荒くれを相手にせねばならぬような場も芸と愛想で収められようほど、そこいらの小娘よりかは何かと練れてもいた女御であったに。

 “鋼仕立ての機巧侍らに取り囲まれては歯も立つまい。”

 どこまでの者らにまで知られていたことか、差配の城にはそのような者らまで こそりと抱えられていたらしく。表向きには安寧な土地だけに、正当な契約での雇われとは思えない。そんなまでもの絶望の淵にあっても、一縷の望みに賭けてのこと 機会を見過ごすまいと諦めずにいた彼女であり。延々と復讐心を絶やさずにいられたは、強靭な気丈さがあったればこそだと言えて。

 “なれば、そうまでの地獄を耐えた彼女にも伝えてやらねばならぬしの。”

 どんな命乞いをし、どんな取り乱しようをして取っ捕まったか。その後の先では、どのような所へ押し込められて、一生をそこで過ごすのか。忘れたいと諦めなかった彼女は、助かった今、もはや そんな余禄は要らぬかもしれないが、と。そうと思っての苦笑が浮かんだものか、だが今は、精悍なお顔に真摯な気魄を満たすと、

 「さあさ、こちらの悪鬼どもへも最後通牒を叩きつけねばな。」
 「うむ。」

 人間どもの小賢しくも見苦しい諍いの数々も、怨嗟の涙や怒号、絶望への悲哀も慟哭も。どれほど激しかろうと、それがどうしたとの澄ましたお顔のまんま。さわりさわりと風に泳ぐそのたび、ほろほろほころびてゆく潔さを愛でられるばかりの桜たちが、こちらでもただただ清かに咲き誇っているばかり……。






   〜Fine〜  13.03.24.


  *前説が長けりゃ長いだけ、
   事件の下敷きがご大層な割に、
   いつもの彼らは最後にちょろりと出て来て
   “だ〜っ、鬱陶しいっ!”で終わるパターンを
   そろそろ何とかしたいです。(おい)
   背景説明はないけれど、彼らが暴れてるだけな話のほうが、
   実は書くのも楽なんですがね。
   それだと ただの暴れん坊賞金稼ぎ話になっちゃうので、(何やそれ)
   たまには“こういう悪どい奴も退治してるんだよ”というの、
   織り込みたくなっちゃうんですよ。
   特に久蔵さんへは、教育的指導の必要もありますしね。(偉そう…)

  *それにしても、女子高生噺の余波でしょうか、
   キュウさんとヘイさんがタッグを組むと、
   お怒りの質によっては、
   誰が止めるんだって展開に成りかねませんな。(迂闊〜)こら
   このシリーズに限っては、
   シチさんがストッパーになってくれそう…かもでしょか?

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