走り梅雨がくる前に
  (お侍 習作197)

         お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 



長い長い冬をひたすら耐えた末の、念願の春の到来と、
その使者たる桜の華やぎに浮かれていた空気もいつしか落ち着き。
街道に沿うよに居並んでいた、樹木の梢の緑も鮮やかに。
木の間を縫うよに吹く風も青々と清か。
里では田畑を起こして さあ、種を籾を蒔くよと、
つんとする土の香りも爽やかな中、
皆して一斉に 始まりの命を植えてゆく季節がやって来て。
稲作を行のう地域では、
青々とした柔らかな若苗を育てつつ、
固まっていたのをほごした田に満々と水を張るべく、
初夏にまとまって降る雨を待つのも 例年恒例の手順だそうだが、

 そのように、四季の巡りやお天気などなど、
 自然の力や佇まいに逆らうことなくの、
 素直な日々と実直な行いを辿る
 純朴正直な民ばかり…というわけにも行かぬようで

実は春にこそ老いた葉が去るらしい、
瑞々しいばかりな竹の群れが ぎっちりと密生した緑の空間へ。
さわり、吹きそよいだ風の気配を、
震える梢が鳴り騒ぐことで伝えかかっておったのに。
そんな“気配”を、上から無粋にも塗り潰す強さにて、
ざざざんと駆け込んで来た 土足の一団、これありて。
足元へうずたかく降り積もる、枯れた竹葉を蹴散らし、
旅装束にも見えなくはない、軽快な装いの男らが、
10人近くだろうか、だのに、ぶつかり合うこともない連携のよさで、
静謐だった空間へ、横ざまに一気になだれ込んで来たというところ。
小袖に重ねた腰丈という短さの羽織と、くるぶしまでの筒袴。
足袋の上へわらじをしっかとくくった足元も、
太刀振り回すような大きい所作や
乱闘といった荒ごとには ずんと向いているのだろ。
旅装束というよりも、もはや戦さ装束かも知れぬ、
甲を守り、手首を経ての前腕の外側までを覆う、籠手という防具を、
白い晒し布を巻きつけた綱にて、
こちらもズレないようにと縛って固定したという、
何とも仰々しい装備の彼らが。
一気にという勢いにて駈け込んだ格好の竹林にて、
後方に注意を払いつつも素早く半円の陣を整えておれば、

 「…っ、来たぞっ!」
 「油断するなっ!」
 「おうさっ、任せろっ!」

彼らが飛び込んで来た時のよな、
ばさばさ・がさごそという大層な物音は立たなんだが。
それでも…枯れた枝なぞを ばきごきと、
重々しくも蹂躙し、踏みしだく存在はあるようで。
しかも、

 「何だ何だ、お役人様がたよ。」
 「こうまでの頭数でのお出迎えとは有り難てぇが、
  何ぶん、俺らの弟分は 人の言葉がよう判らねぇのでな。」

いかにもな居丈高、
哄笑とはこのことという見本のような高笑いをした男らが、
ザクザクという重々しい足音ともに現れる。
相手を見下すような気配を満たした物言いをしたは、
立ち位置もずんと高いところにいる、頑強そうな体躯の二人で。
丸太のように太く、
しかもはちきれそうな肉付きも雄々しい二の腕を剥き出しに、
狩人ででもあるかのような
獣の毛皮で仕立てた上着と袴という簡素な恰好。
やはり棍棒のように太い縄にて腰を縛り、
それを帯の代わりにしての、
ナタのような刃物を得物として差しているけれど。
そんな武装も実は要らない。
彼らが跨がっていたのが、
それは大きく、しかも凶暴そうな、四ツ脚の獣であったから。
どうやら熊の一種であるらしかったが、
口元と鼻先一緒くたにして、
モッコのようなザルのような口蓋をかぶせられていて。
それを固定する革の首輪から延ばした手綱にて、
騎乗している男らが彼らを巧みに制御しているらしく。
口蓋越しに覗く太くてとがった牙といい荒々しい鼻息といい、
どう見ても単なる乗り物というだけではなかろう、
獰猛で危険な存在であるようで。

 『あれは“ジフセグマ”いうですだ。』

そりゃあもう獰猛で、怒り狂うと手もつけられぬ。
家畜の牛や馬へも後足で立ち上がって飛び掛かり、
前足の爪にて獲物を散々に引き裂いてから
肉から臓腑まで食べ尽くすという、間違いなくの猛獣で。
それでも、普段は深い山奥に住んでおり、
よほどに山の実りが枯れでもせぬ限り、
人の方から分け入らねば会うこともないだろ生き物だったのに。

 『一体どうやって出来るもんやろか、
  連中はあやつらを飼い慣らし、手下も同然と使いよるのです。』

獣の利点というべきか、
大男が跨がってもびくともせぬほどの、
ちょっとした小屋ほどもある巨体が、なのに、
臆病者で風にも騒ぐ笹や竹の中でさえ、
さして騒がすことなく移動出来る、
特殊な機動性まで備えているがため。
気づいたときにはもう、すぐの間近にいることとなり、
役人らは元より、名のある賞金稼ぎらも、
どれほどのこと、無残に薙ぎ倒されての血祭りに遭って来たことか。
こたびは相手の居場所や陣営をようよう見極めてのこと、
大将格の二人を大熊ごとおびき出しての手下の雑兵らと分断し、
大人数にて取り囲み、
一斉に投網を投げかけて搦め捕ろうと構えたのだが、

 「ようよう考えたようやがの。」
 「よほどに丈夫な網でもない限り、
  左平次へも右平次へも 屁ぇでもないで。」

うかかかかと、下卑た胴間声にて高笑いする彼らなのへ、
こちら、蹴散らされて随分と手数を倒された役人らの陣営が、
それは口惜しげに渋面作って歯咬みする。
策に溺れたつもりはないが、
こうまでの怪物を相手にした経験など そうそうあるものでなし。
例えば、同じくらいの体格をした
相撲取りやら格闘の達人を想定しても無駄なこと。
どれほど鍛えた達人を雛型にしたとても、
相手は人とは根本的に筋肉のバネや粘りが異なる存在で。
ひょいという前足の一閃だけで、
一抱えはあろう生木を半分以上も抉ってしまえる、
獣の膂力の凄まじさなぞ、誰も想定してはなかっただろう。
それというのも、

 “これへ当たって来た支部は恐らく…。”

どれほどの被害が出たかを知らせる暇間さえないまま、
いずれも全滅に追い込まれていたに違いなく。

  ―― ヴァるるるるる………

地響きのような、だが、重々しさと凶暴な鼻息は生き物のそれ、
そのまま刃のようでもあろう、魔物のような野獣の詰めと、
それを制するつもりなぞ端からなかろう悪党どもと。

 「どないした。捕まえに来たんと違ゃうんかい。」

挑発的にそうと言い、
怯みもせずの、むしろ積極的にどんどんと、
勇ましいいで立ちの、どうやら役人たちらしい一団へ
わざわざ近寄ってゆく態度も、こうなると高慢の極み。
微塵もためらうことなくのわしわしと、
大股に寄って来る獣には、
若いのがとうとう“ひぃ”と悲鳴を上げてしまい、

 「ふはは、聞いたか兄やん。」
 「ああ、聞いた聞いたえ。お役人様も人の子やねぇ。」

嘲笑しつつの、無論のこと歩みも止めずで、
どちらが取り巻いての追い詰めているのかも判らぬ拮抗の一線が、
いよいよ接するほどとなろうと仕掛かったその刹那、

  ざざざざ、ざんっ、と

群竹の高みにて、いやに大きな木葉擦れの音がして。
大海原から岩場へ通し寄せる波濤もかくあらん、
耳を弄するほどものざわめきが立つほど、
だがだが大風など吹いてもないのにと。
音の正体を探すよに、
役人らのみならず、賊の二人も大熊どもも、
頭上をキョロキョロ見回しておれば、

  がんっとも、ごごんっとも、聞こえたような

堅いもの、打ち付けたような物音が一瞬聞こえ。
あまりに短かったそれ、
はて空耳か?と、今度は自分らの目の高さを見回し始めたところへと。

 「うああっ、兄じゃ、左平次がっっ!」

賊の大男の一人が、これまた不意に素っ頓狂な声を張り上げる。
ほんのつい先程まで、
それは挑発的な文言を紡いでいたのと同じ男とは思えぬような、
途轍もなく取り乱しているのがありありする声音であり。

 「なんだ、次郎作。」

さして年の差は無さそうだったが、
先程からの呼び合いから、兄弟らしい二人のうちの、
弟の側の唐突な錯乱へ。
おいおいと…まだふざけるかという含みをもった声、
兄のほうが掛けた…のだが。

 「………っ。」

何がどうしてか…までは判らぬが、
何がどうなったかは言われずともその場に居合わせた皆にも見えた。
どんな関取でも敵うまい巨体と、
口蓋の中で泡ふくほど怒りのほどを披露していた大熊の片やが、
四肢を投げ出し、伏せるようになってその場へ伸びているではないか。
豊かな毛並みのせいで、どこから首かも判然としない骨格だったが、
それでも顔が微妙に真横を向き過ぎているので、
何がどうしてかは判らねど、頚椎をねじられての絶命かと思われ。

 「なんでやっ、何でこんな…っ! 左平次ぃっ!」

地へ伏しても相当に高さのあった背中から
慌てふためき降りて来た次郎作とやら。
身内の危篤ででもあるかのような悲壮さで、
力なく萎えてしまった大きな頭を抱え込み、何でどうしてを繰り返す。
とんだどんでん返しとなった状況へ、
だがだが兄の方は錯乱するまでには至らぬか、

 「何や あんたら、怖がる振りして何か仕込んどったんか?」

見えにくい罠でも林のそこここへ垂らされていると思ったか、
眸を剥くと白目のところが随分と血走っている
ドングリ目をぎょろつかせ、
竹林の中を見回す賊の兄だったものの、

 「畜生っ! 俺らの仲間を ようもようもっ!」

うずくまって呼びかけ続けていた大熊が、
もはや息絶えていると悟った賊の弟。
自前のそれも十分ぶっとい腕を力を込めての懐ろへと引き付けてから、
うおう・がおうと獣じみた銅鑼声を上げ、
腰に差していた鉈を引き抜いて立ち上がったから、

 「気をつけろっ。」
 「そちら、行ったぞっ!」

こちらも唐突すぎる展開へ呆気に取られていた役人らが、
我に返ると槍や太刀といった得物を構える。
獣じゃあないが、これもまた凄まじい巨体の男だし、
よほどに可愛がっていた自慢の熊だったか、
怒りに我を忘れている様は、
成りこそ小さめながら、怒りの濃さはずんと鋭くて恐ろしいそれ。
革の鞘から抜き放った四角い刃物は、
そちらでも暴虐の限りを尽くした牙のようなもの、
竹の葉の間から振り落ちる陽をちかと受け、
凶悪なぬめりにギラリと瞬いたけれど、

  ひゅっ、かつんっ、と

風籟の唸りとそれから、硬質な金属音とが鳴り響き、
今度こそは風が吹いてのことだろう、
ざぁあぁっと枯れ葉が、
いやいや青々しい生の竹の葉も入り交じっての高々と舞い飛ぶ中、

 「う…が…?」

一体何が起きたのか、
それへ襲われた格好の本人も知りたかったに違いない。
不思議そうな、いかにもな疑問符のついた声を残し、
最愛の大熊の傍らへ、同じような姿にて伸びてしまった大男。
その手元には引き抜いたばかりの鉈が、だが、
根元からすぱりと、粘土細工であったかのように真っ直ぐ切られて
柄と一部だけという姿になり果てていて。

 「な…。」

熊が突然倒れたのみならず、
こちらは本当に血肉を分けし弟が、
何もせず何もされずに ずしんと倒れた一大事。
居合わせた役人一同も唖然とする中、
先程 吹き付けた風の蹴散らした方をちらと見やった人物が、

 「あ…あ、あ、あああっ。」

声にならない声上げて、他の仲間へも注意を促す。
こんな逼迫した中で何だなんだみっともないと、
こたびの陣営の指揮官なのだろう やや初老の武家殿が、
苦々しい顔をしつつもそちらを見やったが、

 「………おお。」

クマザサだろうか、小ぶりな茂みの手前へと、
その身を屈めておいでの人影が一つ。
恐らくは…先程竹の梢が風に騒いだ高みから、
風ではなくの このお人が降って来たものと思われて。
枯れたの生きたの、竹の葉を花吹雪の如くに散らかしたのは、
その身へまとった紅の長衣紋の裾が
ばっさとひるがえったためだろうと思われる。
こんな正念場へ、だってのに事もなく乱入して来たそのお人こそは、

 「きゅ、久蔵殿っ!」

凄腕の野伏せり狩りとして
大陸じゅうにその名を馳せる“褐白金紅”の、
双刀操る うら若き紅胡蝶。
振り向きながらすっくと立ち上がった姿は、
相も変わらず、すらりと細身で。
居合わせた役人らの中、
小柄なほうから数えたそのまま、紛れそうなほどだというに。
二振りの太刀をそれぞれの手へとつかねた立ち姿の、
何とまあ堂々としていて凛々しいことか。

 「貴様かいなっ、俺の弟いてもうたんわっ!」

他の面々が飛び上がりかかったほどもの大声で、
があとがなった賊の惣領の激高の怒号へも、
視線さえ寄越さぬ冷めたお顔のままであり。
だらりと太刀を下げたままな態度といい、
もはや関心は無しと言わんばかりな彼なのへ、

 「あ、あの、久蔵殿?」

正直な話、この捕縛の仕儀へ、
彼らにも参加してほしいのですがという打診をしてはいない。
連絡が取れなんだというのじゃなくて、
指揮官様が
賞金稼ぎなぞという市井の立場の者に頼っていてどうするかと
いきり立ってしまわれて、
自分たちだけで片付けるぞと構えてしまわれたのであり。
そんなこんなの背景もあった周到な包囲網だったのに、
結果、形勢は随分と不利なそれへと傾いており。
そんなところへ、正に飛び込んで来てくれたその上、
もしかせずとも大熊とそれから、
荒っぽい力自慢だったらしい賊の片やも伸してくれた彼だったのは、
意外も意外じゃああったが、こんな救いの神は無しと、
役人らの側が安堵の息を吹き返した…のだが。

 「……島田。」

  はい?

確か“褐白金紅”のもう片や、
くせのある豊かな深色の髪をお背まで垂らされて、
彫の深い精悍なお顔の壮年殿で。
いかにも賢者という趣きのある、
落ち着きに満ちての、聡明そうな、
知恵者として頼りになりそうな御仁でありながら。
奥深くも重厚な印象のその四肢は、
いまだ衰えを知らぬ瞬発と技を秘めての
鬼のように働く恐ろしさ。
重々しい意匠の愛刀、重たげなその手で抜き放てば。
一瞬にして切り裂かれし空間へ、
死の香りのする静寂を染ませた闇が広がり。
鋼だろうが生身だろうがお構いなくのこと、
ざっくりと裂かれての命を落とす恐ろしき斬撃を振るう、
そちらもまた恐るべき強わもの…のことに違いないのだろうけれど。

 「もしかして、ご一緒ではありませぬのか?」

まさか迷子で、あやや、いやそのと。
依然として正念場だというに、しょむない言いよう仕掛かったは、
もうお気づきかの中司殿であり。
少々頼りないというか、面白い個性をなさっておいでの彼だけど、
付き合いが長い身なればこその、汲み取れるものがあるものか。

 「……。」
 「いえ、見かけませんでしたよ?
  といいますか、ここいらはこの捕り物のために
  出入りは制限されていたはずですが。」

今なさったように、
樹木の上を翔って来られたなら意味はありませんがねと、
あっけらかんと言い放ったところ、

  しゃりんっ、と

降ろしていた刀を目にも止まらぬ素早さで持ち上げた紅衣の剣豪。
これへはさすがに、わあと身をのけ反らせた中司が退いたところへ、
すんでのところで頭へ食い込まんという際どい間合い、
重々しい何かが降って来ており。
それを刀の切っ先で弾き飛ばした久蔵、

 「うおっ!」

生き残った熊の上から、
そちらの男の得物らしいマサカリが降って来たのを、
比べものにならない繊細さが匂い立つ、
瀟洒な作りの細い太刀にて、
なのに軽々と跳ね飛ばした久蔵だったという運び。
ぐるんぐるんと回りながら飛ばされたマサカリは、
落下したところで桶ほどもありそうな太さの竹の株を
幾つか薙ぎ倒して止まったけれど、

 「貴様ぁっ!」

刃物の扱いでは歯が立たぬと見切ったか、
革の手綱をぐいと引くと、
自分がまたがる生き残りの大熊を奮い立たせ、
後足だちにさせての小柄な剣豪へと立ち向かわせる。

 「ひぃいいぃぃ………っっ!」

この非常時だというに、暢気にも久蔵へ話しかけていた中司も、
さすがに、間近に沸き立った野生の殺気へは
どひゃあと慄き、その場で腰を抜かしかかったものの、

 「……。」

望むところということか、
それとも…大人しくしているなら構いだてせなんだ相手だが、
向かって来るなら容赦はせぬぞということか。
軸足をぐんと踏みしめると、
双刀の内の片やを逆手に握り直しての、
本気の戦闘態勢になったものの、

 「  がっ、がはぁっっ!!」

竹の梢の隙間から、ちらきら降り落ちる木洩れ陽のせいで、
丁度逆光となってる大きなシルエットの向こう側。
さっきまで 口惜しやとがなり立ててた同じ声が、
何かが喉へと閊えたか、じたばたもがき苦しむような声を上げ、
熊の背から地べたへ真っ直ぐ、すべり落ちてゆくではないかいな。
降り積もった枯れ葉もさして役には立たなんだか、
ずどんという地響きは大きくて、
どう落ちたとしても
どこか打ちつけての大事になっていよう気配だったし、

 「………ち。」

立て続く想定外の展開へ、何だ何だと混乱しかかる役人ら陣営の中、
すぐ傍らにいた頼もしくも美しい佳人が、
相変わらずあまり動かぬ表情ながら、
それでもはっきりと舌打ちしたのが聞こえたと、気がついた中司が、

 「……………ああ。」

自分らが、手古摺っていた要因はまだ居残っていて。
しかも仲間が息絶え、主人も亡くした存在だけに、
これは暴れるぞと慌てふためくお仲間らの向こうから、

  ぶんっ、と

そりゃあ凄まじい大風が吹いた。
結構な広さの竹林全体が一斉に揺れたため、
足元の地べたまでもが ゆさゆさ大きく揺れたほどであり。
その大颯の、これも威力の現れか。
馬で言うなら 前脚で宙を掻くほど足振り上げてという
“竿立ち”になっていた大熊が、
背後から襲い来た格好のその風に突き飛ばされたか、
どどぉんと枯れ草の狭間へ倒れ伏してしまったものだから。

 「な…何がどうしたのでしょうか。」

こんな恐ろしい捕り物は初めてと、
若手の捕り方らは神憑りな色々に畏れをなしかかるわ。
老練な顔触れは顔触れで、
そこまで行かずとも、
少なくはない動揺にやはり声もなく立ち尽くしておれば、

 「済まぬな、騒がせた。」

泡を吹いて仰のけに倒れている賊の兄のほうや、
やはり口元に赤い泡噴き伸びている大熊を、
踏んでは気の毒とでも思うのか、注意深く避けながら姿を現したのが、

 「勘兵衛殿…。」

腰に提げた大太刀の柄、大きな手にて支えておいでということは、
今の凄まじい旋風も、
彼が放った太刀筋一閃が成したものだということかも。
これまでだって、
信じられない圧やら重さやらの一撃を目の当たりにして来たし、

 「……。」

まずはと、熊の片やと賊の弟の方を仕留めた久蔵が、
薄い表情の中、それでもその鋭角な目元をやや眇めた辺り。
自分だって手を掛けたくせに、
こんな奴らに構ってないで自分の方をまずは構えと言いたげで。

 『何でそういう仔細が判るのだ?』
 『そこはそれ、
  私はあの方々とはお付き合いが長ごうございますので。』

肉付きの薄い口元を引き絞りつつ、微妙にうにむにと たわめてらしたし、
あの印象的な紅色の双眸も、
勘兵衛殿から一時の離れぬ凝視のしようでござったのですから、
間違いはありませぬと。
もっと他の報告こそ、
間違いのないものを出してほしいものだがと、
管理官役から遠回しに窘められた中司殿だったのは後日の話。

  「…何をそうまで怒っておるか。」
  「………。」

途轍もない大物だが、
賊の惣領らは勿論、熊の死骸もこのまま置いてはいけぬぞ、
どうにかして荷車を作れ、板戸をこさえよと。
捕り物の一団があっと言う間にこんどは工部へ早変わりし、
騒動の中で倒れた竹だけでは足りなかろうし、
この重量だ、しなう竹では到底持ち上がりはしなかろと。
班長階級の人々がそれぞれの電信子機にて、
近在の支所へ資材を頼むとの連絡をしている騒がしい最中にて。
周囲の騒がしさなぞ、竹林の木の葉擦れの延長も同様か、

  「お主が飛ばされた手套を拾いにと、
   先に駆けていってしもうたのだろうに。」
  「………。」

声のみならず、忙しそうに駆け回り始めた人々も
一切 目に入らぬかのような、泰然とした物腰のまま。
その身へまとうた褪めた白の砂防服の、たっぷりとしたお袖を持ち上げ、
深色の目元を優しくたわめ、いかがしたかと見つめて差し上げつつ、
歩み寄った相手、
金の綿毛をぽあぽあと軽やかに、
緑の風に時折遊ばせていやる久蔵殿の、
すらりとした痩躯へと。
触れてもいいが許しはまだだとわきまえてのこと、
微妙な距離を残しつつ、
広々とした腕の輪の中へ招き入れておいでの壮年殿であったりし。
さすがは歳経た御仁ならでは、
尋深くしての何とも紳士的な態度としつつ、
その実…じれったいことをなさる勘兵衛が、(苦笑)
宥めるように紡いだ文言のその通り。
それを拾いにいった彼だったのだろ、
紅の衣紋の腰辺り、
久蔵がベルトに挟んでいたのは白い手套の片方らしく。
間近になった相棒の気配、
さっき尋ねたくらいだ、探していたのだろう相手だというに、
だがだが真っ向から見ようとはせぬままに、

 「これは、シチが…。」
 「さよう。支度してくれたのだったな。」

勘兵衛の持ち物だからというのじゃない、七郎次が持たせたものだから、
無下に失くすは申し訳が立たぬ…と。
そんな言い訳をしたいらしいものの、
やはり何故だかお顔を上げないまま、
しかもしかも横を向いたままの久蔵殿だったのが、
中司殿には、幼い子供が大人相手に拗ねているように見えたそうで。

 「???」

そりゃあおっかない猛獣相手に、
あれほど余裕錫々だった剣豪殿だったのにね。
何でまた、こちらの壮年殿へ、
しかもさして子供扱いされてもいないというに、
ああまで拗ねておいでだったか、腑に落ちなんだそうだけれど。

 『ああそれは、
  勘兵衛様がすべてお見通しなことを、
  久蔵殿のほうでも感じ取ってたからでしょうね。』

 『すべてって。ですからコトの事情は…。』
 『じゃあなくて、だ。』

申し送りがあったため訪のうた、虹雅渓の癒しの里という町にて。
彼らの知己だという、
蛍屋の主人や警邏隊本部長殿を相手にその話をしたところ。
何だそこは判らなんだのかと、
彼ら双方から苦笑された中司殿だったのもまた、随分と後のお話で。


  色々な意味から、
  相変わらずな方々だったようでございます。
(大笑)





   〜Fine〜  13.05.28.

背景素材をお借りしました 冬風素材店サマヘ


  *援軍を頼まれてもない、
   しかも結構緊迫してた捕り物の真っ只中へ、
   弾丸の如くに突っ込んだ 久蔵殿だったのは。
   目的の手套だけ拾って帰る気満々だったのに、
   最初の場所に大人しく待っていなかった勘兵衛を、
   あちこち捜し回ってたからだと思われ。
   気配はしたのになぁという目串の刺しようは間違ってはなくて、
   きっと勘兵衛様が微妙に気配を操作して、
   この騒動に飛び込むような“小細工”をしたのでしょうね。
   相変わらずにおタヌキ様です、はい。

めるふぉvvご感想はこちらへvv

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