逢魔舊森深淵
(おうま ふるもりのふかま)

          お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より (お侍 習作198)
 


濃密な闇がわだかまり、
まるで刻が止まっているかのような、そんな錯覚を齎すほど。
随分と古い屋敷ゆえ、
柱も傾き、壁も落ち、あちこちに隙間も生じており、
よって ぴちりと密閉されているでもないはずなのだが。
敷地があるのが鬱蒼とした森の中であり、
かつては栄えていた名残り、建物の造りも入り組んでいるがため、
崩れかけていても重なり合う部分はまだ多く。
奥向きへ入ればその重なりも増してのこと、
幅の足らない暗幕でも、
互い違いに重ね合えば それなり闇を生み出せるように、
暗がりは深まり、ますます人を寄せつけぬ。

 「………。」

陽の中にあれば、何とも奇抜と人目を引く風体、
くるぶしまであろうかという深紅の長衣紋も、
背中に交差させて負うた細身の双刀も、
そしてそして、凍っているかのような無表情も。
この暗がりの中では他との区別さえ無いも同然の拵えのはずが、

 《 よう来やしゃりましたなぁ、お武家様。》

頭上からとも足元からともつかぬ声がした。
明らかにこちらを把握している存在が、
言葉づら通りの挨拶か、いやさ隠れても無駄だと言いたいか、
そんな言いようを降らせて来たのへと。

 「…。」

返事の必要はないとしたか無言のまま、だが、歩みは止めて、
多少は暗さにも慣れて来た眸で、少し先の鴨居辺りを見上げてみる。
この廃屋は、
元は東方の権門が別邸として使っていたという曰くのある建物で。
床を高く作り、土や埃を入れぬために土足厳禁とした、
東方にはよくある古風な仕立てで。
ワラをぎっちりと圧縮した厚手の板の表に、
丁寧に編み上げた葦草を張るという、
何とも手間暇をかけた床材を敷き詰めた部屋は、
何層にも重ねた和紙を張られた引き戸で区分けされていて。
個室や作業用の空間は別として、
奥向きの主人の居室も兼ねられた大広間は、
その周辺の空間を
まるで打ち掛けの裾を広げるように四方八方へと連ねており。
仕切りの“襖”と呼ばれる板戸を開放することで、
いかような広さにも出来る仕様。
大人数を招いた宴ではすべてを開放して広間とし、
用心しいしい休む折は、全てを閉ざしてところどこに用心棒を配置すれば、
仰々しい構えをせずとも、単なる目隠し以上の要衝になる仕組みだそうだが、

 “消気の…?”

薄べり一枚隔てただけという隠れ簑は、
気配を読むに長けた相手には効果がない。
よって、伏せさせる駒には消気の術も必要となり、
そんな一族だったからか、
暗殺や陽動、諜報を専門とする存在も
世に多数輩出したとか訊いてはいたが。

 「……。」

用心のためというよりも、正確を期したいがため、
相手の居場所を探って立ち止まったは、絞り上げたような痩躯の剣士であり。
切れ長の双眸はさして動かさぬまま、
だが、確かに何かしらの感応でもって、周囲の気配をまさぐっておいで。
彼もまた幾多の修羅場を踏み越えて来た練達であり、
あの大戦を経験したお人の大半が、
生き延びるため已なく身につけただけというその才や技を、
求道のためでもなく、修養のためでもなく、
強いて言やあ 生きていることへの証明、手ごたえとして、
大戦が終わってもなお、鋭くあれよと磨き続けた 異才の君であり。
もはや斬り裂く甲斐ある相手もないご時勢となる中にあっては、
戦さ終焉の混乱に乗じて無体を繰り返していた野伏せりを狩る、
名うての賞金稼ぎとして日々を送っており。

 「……っ。」

昔は張りもあったのだろう畳も、今や単なる腐れ床に過ぎず。
さほど気張らず降ろした足の下で、
その下の床板ごと軋んでの、ぎちりという重々しくも湿った唸りを、
不平のように上げてくれた、正にその刹那、

  ―― ひょうひゅい ひゅんっ、と

幾重にも重なった風きりの唸りが宙を舞う。
様々な方向から方向へ、それぞれが侭に飛び交った何かがあって。
剣士殿にも油断は無かったろうけれど、
さりとて、速さも手段も生身の人の為せる仕儀でない攻勢。
この先の、最深部へは踏み込ませぬとする仕掛けか何か、
予測のつけられぬ暗闇から一斉に飛び掛かり、
踏み込んだ存在をぎちぎちと搦め捕っている…はずが。

 「……なっ?!」

お互いにぶつかり絡まり合った、丈夫そうな捕縄のような仕立ての紐が、
塊となって足元へ落ちているだけであり。
手持ちの龕灯(がんどう)でそれを照らし出しての確かめた存在が、
うっと息を引いたところへと、

  正しく、疾風のような一閃で

衣紋の裾とて、その端がひらりと揺れただけ。
ぶつかりもせずにすれ違っただけのよな、
そんな音なしの通過を為した、
紅蓮の衣紋をまといし青年が通ったその後へ、

 「う。」

黒ずくめの何物か、
その身へまとうた堅そうで重そうな装備ごと、
ぱしりという鋭い音立てて切り裂かれ、黒々腐った床へと頽れ落ちており。
だが、

 《 ほお、なかなかの使い手や おへんか。》

さいてうろたえる様子も無いままの、
どこか雅な訛りを感じさせる最初の声が再び聞こえた。
今の一瞬の立ち会いを、
仔細まで把握したかどうかはともかく、
見た上での物言いではあるらしく。

 “だが、気配は無いまま、か。”

今さっき斬って捨てた対象は、その身をほぼ機巧化した甲足軽という存在、
よって、動力系の稼働を押さえることで単なる無機物となり、
結果として気配を殺すことも可能じゃああるが。
置物化して居ることへ気づかれないだけでいいならともかく、
こちらへの攻勢に出る以上、まるきり消し去れるものでもない。

 “この場に…。”

当人が居ずして、だが様子だけは伺えるという
特別仕様の機巧・機器もないではないそうだけれど、

 『大戦をくぐり抜けた久蔵殿や勘兵衛殿ならば、
  電気制動の脈をさえ、感じ取れてしまうことでしょうからねぇ。』

生身の人間の呼吸や気配に比すれば、
無機物相手だけに拾うのは至難と思われがちですが。
機種やはたまた整備の善し悪しに拠っちゃあ、
あれで結構、ぶ〜んとかむ〜んとか微かに響いておりますからねと。
猫のそれのような目元をきゅうとたわめ、
存外他愛ないのだと笑って見せた工兵殿が言ってた通りで。

 「…そこ。」

呟いたが早いか、
鞘に収めていた太刀を引き抜くと、
あっと言う間にその姿が消えており。

 《 ……っ。》

暗がりの中だが、自分だけは見回せる身と高をくくっていたものか、
微かに狼狽を示す鼻息が聞こえて、それから、

 「あ……。」

そこは土壁のはずが、
真横から突き立てられた太刀を深々と飲んでの、
ゆらゆらりとひるがえる様子は、
どうやら巧妙に陰らせ、暗幕におおわせた穴蔵だったようで。
幕の向こうで何者かがもがいている気配があってのち、
膝から落ちてのこちら側へ倒れ込む格好、
やはり闇溜まりの中へと倒れ伏したは、
そちらはやや簡素な胸当て程度の武装で間に合わせていたから、
姿を隠しての小細工を担っていた小者であるらしく。

 【 …ゅうぞう殿、聞こえますか?
  建物の中に居残るは、
  奥向きの広間の頭目格とその取り巻きの、8人のみとなりましたよ。】

肩先へ降りるほど、くせっ毛が大巻きに流れるため、
毛先ほど軽やかに揺れる綿毛のような髪が、

  それは華やかな金色だと

判ったのが、長々と連なっていた畳の間の終焉へ至ってから。
ここまでは辛うじて屋根も壁もあっての、
しかも外回りの棟の影も差してのこと、
どこまで続く暗闇かと思わす暗がりの一辺倒だったものが。
突き当たりの壁に刳り貫きや段差をこしらえ、
骨董品でも据えたのだろう飾り棚を配した、小意気な作りの大広間は、
この屋敷の主要空間だったのだろうに、
皮肉にも最も荒れ果てた様相を呈している。
天井板は垂木ごとあちこち抜け落ちていたし、
足元も此処までの畳さえ無くの、単なる板張りの間と化していて。

 「お前様が、
  このお嬢ちゃんの身代金を運んで来やった、役人の手先かえ?」

高さも大きさも不揃いな燭台へ、
大小も長さもばらばらのロウソクを灯した中。
手足を縛り上げただけでは足りぬか、
泣き顔へさるぐつわをはめられた小さな少女を盾にして、
妙に薄ら笑いをした痩せぎすの男が、
床の間の段差前に床几を開いて座している。
その前には、立っていたり座っていたりと数人の男どもが控えており。

 「……。」

8人と聞いたが ざっと見には7人しかいない。
どこかに潜むあと一人が、小者とは限らないのは定番の仕様。
一番の腕利きか、それとも口だけ達者な頭目か。
どっちにしたって差はさして無しと、あっさり見切って賊らを見回す。

 「途中に迎えを置いといたのやが、
  気に入ってもらえなんだようやねぇ。」

訛りの強い物言いと声は、先程通った経路で聞こえたそれと同じであり。
こうまで離れたところから、
向こうを見の、声を届かせのしたということになるけれど、
それへ気づかぬ のほほんとした役人相手では、
あんまり効果のない仕立てに過ぎなかっただろうし。
気がついたとて、脅威に感じなければ同じこと。
身代金とやらを運ぶという手筈になってたらしいこちらの人物は、だが、
その両手や背中は勿論のこと、痩躯に添うた衣紋のどこへも、
何かしら膨らんだ荷を持って来ているようには見えなくて。

 「まさか、手形で勘弁せぇて言うんやないやろなぁ。」

こういう取り引きや交渉に、現金や延べ棒以外が通用すると思うのかと、
暗にどういうつもりかと問いかけて来た痩せ男だったれど、

 「……っ。」

振り向くこともないまま、
しかもだらりと降ろしていた手だったはずが、
気がつけば…肘が頭と同じ高さに並ぶほどにまで上がっていた、
寡黙なまんまの紅衣のお侍。
そうまで途轍もない早業で、彼が何をしたかと言えば。
話しかけることで気を逸らした隙に、背後から忍び寄った残りの一人、
そのまま切りつけるか、刃をかざして脅しにかかるか、
そんな小細工を企んだらしいのへ。
羽交い締めにせんと寄って来た、そやつの丁度お顔の真ん前で、
すいと…鯉口切って数寸ほど引き上げた、
背中の太刀にて迎え撃ってやったまでのこと。

 「ひい、ぎゃああっっ!」

せめてぎりぎりまで用心していればともかく、
油断しまくり、舌なめずりして掴み掛かって来たのだろう伏兵は、
自分から飛び込んだ刃に鼻先を切り裂かれ、
ぎゃあとのけ反ったそのまま、床でもがき暴れる始末であり。

 「な…っ。」
 「貴様っ。」

仕掛けた側のくせに“何をしやがる”といきり立つのもよくある流れ。
そうなることも見越していたので、
人質の少女が 凄惨な事態へ“きゃあ”と眸をつむって、
僅かながら身をすくめた一瞬をこそ見逃さず、

 「…っ。」

踏み込めばどうなるかも怪しい足場、
それでも、最初に踏み締めた敷居の真ん中から、
奥向きへ真っ直ぐ連なる根太(ねだ)だけは、

 【 左右へ添わせて、強化効果が出るように鋼の添えを打ち込みました。】

足元の空洞にて、文字通りの陰ながらそんな手助けをしている存在がおり、
その声に身を任せてのこと、大きく踏み込むと、
そこも暗い中を それでも大した目測でダンッと飛び出した、
目にも止まらぬ瞬風一閃。

 「な、なんや? どないしたんや、トウゴロー?」

大声でわめきながら もがき苦しむ仲間への声かけが、
その場へのどんな呪文となったやら。
周囲に灯したロウソクの灯火が大きく揺らぎ、
ハッとし、何かくるぞと身構えたときにはもう遅く。

 「わっ!」

手元へ何か、予測のないものが襲い来たような気がしたのだろ、
痩せぎすの頭目が、反射的にその手を振り払ったものの、
あ、しまったと掴み直しかけた手が、結果、何も捕らえぬまま空を切る。
広間の最奥に身構えていた、
一味の眼前に立っていたはずの剣士の姿もなくて、
何だどこだと見回したのと、

  ぱき、ちりり・きりぱきり、という

微かな軋みの音とが聞こえたのがほぼ同時。
何の音だと見上げた、虫食い状態の天井が、
月を覗かせていた大穴だけを居残して、次の瞬間、

  ばんっ、と

文字通りの粉々に、粉砕したから物凄い。
天井板は勿論のこと、垂木も桁も棟木も一斉に、
最初から空いていた空間だけ整然と動かないという、
何とも不思議な眺望から、
どさがさ・がららと、轟音 蹴立てて降り落ちて来てのこと、
下に居合わせた賊らをも、一遍で埋もれさせてしまった、
膨大千万な破壊力の凄まじきことよ。

 「……………あ。」

お屋敷近くの広場で遊んでいたらば、
怖い怖いおじちゃんたちに無理から連れ去られ。
薄暗い屋敷へ連れ込まれての、ほぼ二日という長い間、
たった一人で頑張って頑張って、ただただ耐えていた小さな少女は。
足もつかない宙空にいると気がつき、
次には誰かに小脇に抱えられているのだと判って。
その誰かというのが、
さっきの広間でおっかないおじちゃんたちと向かい合ってた
まだお若いお武家様だと気がついた。
ちょっぴり不自由な格好で、
それでも首を上げてのお顔をじいと見上げておれば、
夜空にたった一人で浮かんでいるお月様みたいに、
冴え冴えと綺麗じゃあるけど、一人は寂しそうにも見えなくなくて。
お武家様はお強いから大丈夫なのかなぁ、
さっきだって、
おっかないおじちゃんが沢山いたところへ一人で来たのって、
怖くなかったのかなぁと。
助かったからという安心からか、
助け出して下さったお侍様のことを、はやばやと案じている
とんだ気丈夫さんだったのだけれども。

 「久蔵。」

頭数の差に安堵し切っていたものか、ああまで偉そうだったのが一転、
わあわあ助けてと、情けないお声を上げてじたじたしている賊らを
悠然と見下ろしていたお若いのへ、向背からのお声かけがあって。

 「いやぁ、上手くいきましたな。」

別のお声がのんびりした物言いをしつつ、
よいせよいせと登って来た瓦礫の山。
夜空の中に白い着物をたなびかせ、
そこに先に立っていた、上背のある別のお武家が待つところへと。
ひょいというひとっ飛びで戻った金の髪したお侍様は、

 “……………あ。”

そこまでの石のお面みたいに動かなかったお顔から、
急に血の気が通った普通のお顔へ、あっと言う間に戻ってしまわれたので。

 “そっかぁ。”

おしもとの間は、他所見もダメだし お喋りもダメなよに、
あのお侍様も、一人で片付けなさいと言われたそのまま、
誰かに聞こうとしてもダメと言い聞かせての、
余計なことを考えないでいたんだなぁって。
全部出来たのでやっと、
お父様のところへ帰る段になって、ホッとして微笑ったんだなぁって。

 『そりゃあ可愛いらしいことを言って、
  久蔵殿を感心なさっていらっしゃいましたよ?』

 『…お父様ってのは もしかして。』

助っ人として陰ながらの活躍を見せた平八が、
後日の虹雅渓への電信での便りの中、
その後のこぼれ話として、
おっ母様へと聞かせてくれたのでありました。


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