残暑の幻 
(お侍 習作 202)

         お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 




暦というのは大したもので、
春の終わりの雨も少なく、そのまま苛酷なほど暑い夏となり。
これでは田圃も畑も、荒れた原野と変わらぬ。
驕った連中があの大戦で大地を蔑ろにしたから、
いよいよ何かしらの罰でも当たるのかと、
あまりの規模の旱魃へ、誰もが恐れたほどだったのに。

 「それなりの雨、と言いますか、
  早いめに野分がやって来て
  存分にお湿りをくださりましたからねぇ。」

ここいらの田圃では
ぎりぎり何とか収穫のあてが立つそうだよと。
ずんと広がる平野を縫う街道の中途にあって、
蒸し菓子と愛嬌が売りの名物茶屋の女将がおっとりと笑う。
そうさな、このごろは朝晩も涼しい風が吹くし、
昼ひなかの暑さも、木陰に入れば何とかしのげると。
床几に腰掛けた旅の人も、びっしりと額に汗をかきつつも、
いつぞやほど大儀なことはないしねぇと、
語るお顔に笑みがこぼれているくらい。
まだまだ完全に去りはしないままの、
じわり微熱の籠もっているような温気は、
暑気が苦手な身には あんまり心地のいいものではないけれど。
果てしのないようにさえ見える広大な稲穂の海が接する空が、
そういえばその色みに仄かな淡さを抱えていて。
足元から伸びる陰も、色の深さはさして変わらぬが、
心なし長くなったような気がせぬでもない。

 「さて、参りましょうか。」

口数少なくても怪しまれぬようにと、
紗のかづきで髪から顔から隠していた自分へ、
そちらは宗匠のような地味なこしらえをまとった、
連れの壮年がそんな声をかけてきて。
くるぶしまでの丈の緋袴に、筒袖の小袖。
砂防服のような外套代わり、
長いままの丈なのを
腰でおはしょりにした桂(うちき)を上からまとい、
その桂のなだらかな肩から二の腕へかけ、
懸帯という幅のある緒でくるりと押さえたは、
ゆったり羽織った肩が落ちてそのまま懐ろがはだけぬようにだが、
成程、
こちらの女性(にょしょう)ほど華奢ではその必要もあろうと。
音無しでおいでながらもその品性は隠し切れぬか、
どこか高貴な雰囲気もする二人連れを
こそり伺うように透かし見ていた商人などが
おおご出立かと、やはりこっそり視線を投げての見送ったものの。

 「…島田。」
 「うむ。」

そんな彼らとは別口の視線が
執拗、且つ冷ややかにまといついているの。
こんなにも端的な言いようで、気づいておるかと
白霞のような紗の下から、こそり囁いた白皙の姫だったのへ。
顎のお髭も老けて見せるための小道具にしている、
やや猫背で俯きがちの従者が、
笠の下から低い声にて是と応じる。
連れも少なく質素にこしらえているのは、
ただただ目立たぬためにという用心から。
どこぞの分限の娘が内密に奉公にでも出る旅路かという趣きだが、
判る方々にあっては もうお気づきでしょう、という二人連れ。
一体いつの雨によるそれか、
轍の跡も岩のように堅く乾いた街道の一本道を、
午後の陽の中、さくさくと進めば。
次の塚石が楢の木立とともに見えて来た頃合い、
他には向かいくる影も無い間合いを狙ったらしい追っ手らが、
ぐんと足早になってのこと、間合いを詰めてくる気色が、
その棘々しさごと追い風に乗って届いたものだから。

 娘御の淑やかな痩躯と、
 気骨は大したものだが老いは隠せぬ従者の影と

ここいらで一息つきましょかとでも思うたか、
静かに立ち止まったを、いやよし好機よとしてのこと。

 「綾姫様、お覚悟っ。」
 「鶴屋の御前の元へ…っ。」

ざかざかと一気に駆け寄った数人の影ありて、
二人ほどが桂姿の娘御へ、
あとの四人ほどが従者へ大太刀抜き放って襲い掛かったものの、

  「……っ!!」

まだ陽も高くての明るいうち、
昼下がりという頃合いだというに。
重々しい旅装束のまま、
足元の濃色の陰ごと、幻のごとく消えたは
一体どのような咒術による まやかしか。
白く乾いた街道の地面を何でどうしてと慌てて見回すその頭上から、
ひらはらと舞い降りて来たのが、娘のかぶっていた紗のかつぎ。
そうとも気づかず、わあと恐れて尻餅ついた一人を残し、
壮年へと襲い掛かった四人がまず、

 「…がっ。」
 「ぐあっ!」

ほぼ同時に背を反らしての身を硬直させ、
次の刻には鈍いうめき声と共に倒れ伏しており。
あとの一人は、その壮年の構えた太刀の柄頭にて背中を打たれ、
やはり敢えなく昏倒しているところ。
そちらとて、よほどのこと勘のいい手際でなければ、
この一瞬ではこなせぬ仕業で。
仲間が倒されてのこの言いようもないが、
こうまでの練達ならば、
いっそ斬って捨てる方がずっと手間は要らなかったはず。

 「久蔵、無体はよさぬか。」
 「峰だ。」

斬っての殺してまではおらぬということか、
太刀は右手に、左手ではかなぐり脱いだ桂を放り投げつつ、
ぞんざいな応じをしたのが。
裾長で真っ赤な衣紋に、金髪紅眸という
それは派手な見栄えのうら若き剣士殿ならば。

 「……ひっ!」

尻餅をついたままの最後の一人へ、
片手でふわっと、
昏倒したばかりの身内を放ってやり。

 「やはり鶴屋の御前とやらが黒幕だったか。」

姫と堂城の若様との婚儀がそれほど困るとは思わなんだ、
まま、もう手遅れだがのと苦笑を残し。
倒した輩に用はないとばかり、
くるりと背を向け、道を再び進み始めたその足をふと止め。
笠の庇をちょいと指先で上げた壮年の従者殿が、
そちらへと見せたお顔の何とも精悍だったことか。

 「ま、まさか…。」

切れ長の眸は深い鳶色、
黒に近い濃色の蓬髪に、彫の深い面差し、顎にはお髭。
屈強精悍な肢体をし、超振動という神業操る刀使いでありながら、
どのような窮地からでも血路を開くという希代の軍師。
噂にしか聞かぬが、それもそのはず。
面と向かって相対して倒された者は数知れず、
生き残りもそのほとんどが極刑なため牢獄の中という、
名のある賊ばかりを片っ端から殲滅しておいでの
それはそれは凄腕の、賞金稼ぎの二人連れ。

 「か、褐白金紅か…。」

野伏せり崩れや盗賊だけでなく、
時に、専横が過ぎる武家だの分限だのへ
手厳しいお灸を据えることもあるそうで。
そうか知っておったかという、
ちょっぴり困ったような笑みを口の端へ浮かべると、

 「御前とやらへ言うておけ。
  儂のような若輩に叱られとうないならば、
  年甲斐のない我儘は控えよとな。」

閑と静かな秋の陽の下、
響きのいい声にて言い渡された文言を、
ちゃんと聞き覚えておれたかどうか。
呆然自失の体でへたり込む生き残りの様子に苦笑を重ねると、
こちらをじいと肩越しに見やっての、
彼なりに待っていた連れのいる方へと。
再び歩み出した蓬髪のお武家の名、
島田勘兵衛というのを一味が知らされるのは、
もちっと後日のことになる。




   〜Fine〜  13.09.14.


  *この暑いのに女装なんてと愚図ったに違いない久蔵さんですが、
   では仕方がない、
   儂が不慣れな厚着をして姫御に化けようぞと。
   あくまでも“危険な役回り”を引き受けるという
   言い方をしたに違いありません、策士殿。
   そして、周囲は
   “いやそんなキツい仮装は効果がないかも…”
   という方向で危ぶんだ中、
   島田を攫われては…と、彼には純粋、でも斜めな危機感から
   自分が姫御の役をするとしぶしぶ納得した紅胡蝶さんだったと思われ。
   派手に勘違いし合ってますが、

   「別段、刷り合わせる必要もなかろう。」
   「そそそ、そうなんですか?」

   どっちの解釈も判っていること、
   今回はちょっと恨めしかった中司さんだったとな。(笑)

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