木の芽どきの月
  (お侍 習作 208)

         お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 



それまでは急な寒の戻りもなくはなく、
気まぐれな春のほやんとした暖かさにくるまれていたものが。
樹木の緑もいや深まって、
一気に夏へ向けての日和が定まるかのように、
気の早い日照りまで始まるからだろうか。
風が吹いてもどこか生暖かいこの時期は、
別名“木の芽どき”と呼ばれ、
樹木の梢や 野にあふるる草木の芽が、
強い陽を浴び ぐぐんと育つことを指してもいるけれど。
そんな陽気の変化に気持ちだけが煽られた、
されど…例えば何かしらの制約に縛られている者ら、
気概が高揚してしまった弾みで もがき暴れたその末に、
とんでもないことしでかすのもまた、この時期に多いものだから。
何かしら判断に困るようなことが起きると

 『まあ…木の芽どきだからねぇ』

そんな言いようをし、
そうだねぇと皆して納得に至ることも少なくはなかったそうで。





さわわざわわと
潮騒の音に似た木葉擦れの音が、夜陰の縁で立ち騒ぐ。
陽が長くなったと言っても、その陽はとうに沈んでおり。
山野辺という鄙びた土地なせいもあって、
戸外はもはや、夜陰が支配しての暗がりが広がるばかり。
今宵は月の影もまだなくて、
頭上の夜空には満天の星が瞬くが、
それでも樹木の梢が天蓋となっている林の中では、
明るさの足しになぞなりはせぬ。
今を盛りと伸びつつあるのは、高みに萌える梢のみならずで。
足元近くの若い茂みも、柔らかな緑をその輪郭にたたえていたが、
それでもがっちりした枝振りなため、
この程度の夜風に震えはしない。

 “熊笹や萱やらともかく……。”

葉の長い芒種ならいざ知らず、
サツキやツゲのような がちりと堅い中木種の茂みが多い林ゆえ。
頭上より低い位置からの茂りのざわめきには
誤魔化されることもなくの、注意が向くというもので。

 「…どうした。斬りかからぬのか?」

闇溜まりがそのまま人の形を取ったよな、
そんな気配が ぬうと行く手へ現れる。
時には人が枝打ちをしてだろう、
天蓋にも隙間があっての そこから降り落ちるほのかな明るみが
微妙なまだらに塗り潰すその人影は。
立ったまま眠っているかのような覚束なさで ゆらゆらしており、
こちらからの声にもまるきり反応しなかったけれど。

 さく、と

乾いた下生えを踏みしだく音が立ったその途端、

 「…っ。」

およそ尋常なそれではない動作が、
瞬殺の勢いで弾けて飛んでおり。
刃を引き抜き、あるいは振りかざしてという当たり前の手順を、
たとい感覚のうちという素早さででも追うていたらば、
下から上という逆袈裟掛けに振るわれた切っ先に、
否も応もなく先制を食らわされていたところ。
目にも止まらぬ速さで、
しかもそんなとんでもない攻勢に襲われたのでは、

 “単なる農夫や樵では、苦もなく畳まれていたのだろうて。”

こちらは生憎、刀がらみの修羅場でこそ生かされる、
人外特殊な反応、それは強かに練り上げた持ち主なので。
相手が踏み出しかけたその所作の先触れの中に、
既に吐き出されていた物騒な殺気を嗅ぎ取っており。
とりあえずの楯代わり、
腰に下げていた太刀のごつりと長い把をやや斜めに差しかけただけで、
その必殺の第一刃をあっさりと受け止めており。
遅ればせながらと姿を現した、月の光が照らし出した相手方の得物は、
角度が角度でなかなか見極めも難しい、
膝頭から真上へ飛び出していた仕込みの太刀。

 「さようか。
  脛に添わせた鞘、踏み出すことで震わせて扱うのだの。」

 「…っ。」

頬もそげ落ち、唇も乾ききり、
獣のような形相は、もはや人のそれとも思えぬどす黒い隈に埋まり。
感情の毛羽だちに尖ってギラギラと剥いた眸だけが、
ぎょろりと動いて勘兵衛を見つめやる。

 「お、おらを、ころすか。」

切っ掛けはといや、
落ち伸びた野伏せりが自棄になって暴れた時期の野盗狩り。
相手もそれなりの武装をしているのだからと、
こちらも鍛治の者らが様々な刃物を工夫して、
刀もどきな武器をこさえたその中に。
随分と切れ味のいい、
しかも携帯しやすい工夫も備わったものが出来た。
ただしそれは、人を殺めることにしか使えぬ魔刀。
残虐な野伏せりも次々と狩られてゆき、
ここいらもやっと落ち着いて来たはずが、
最初は旅人、続いて猟師が何物かに惨殺される事態が続き。
仲間を仕留められた野伏せりの復讐かと、
再びの暗雲が垂れ込めたものの、

 『…土地勘があり過ぎるな。』

そうまで凶悪な野伏せりならばと、
ちょうど他の土地での仕事を済ませたばかりの賞金稼ぎが、
州廻りの役人と共に行き会わせたそのまま、
対処に当たってくれることとなり。
猟師が斬られた林の奥向きを検分した壮年のお武家様、
昼間は鬱蒼として見える一角だが、
夜陰となれば話は別で、
月光の差しようによっては却って明るい箇所がある。
そこへ誘い出されての、不意打ちで斬られたに違いないと、
もはや遺体もないのに言い当ててしまわれ。

 『…そう言えば、
  斬られたヨサクは、何でか随分と驚いた顔をしてやした。』

追い詰められての恐怖に引き歪んだ顔ではなくて、
え?何でというよな 呆気に取られたような顔。
うまく逃げ延びたと思うたが叶わなかったからじゃあないかと、
その折は片付けたのだが、

 『さようか…。』

長々と伸ばした髪を背中まで垂らした、
どこか修身の大先生のような趣きもあるお武家は、
それを聞いて何やら考え込んでしまわれると。
お連れの、そちらはずんと若々しい、
役者のように冷たく整ったお顔をなさった剣士の御方へ、
何かしら小声で囁くと、
そのまま、その日のうちに方をつけようと言い切ったのだが、

 「恐ろしいはずの野伏せりを、
  居丈高で偉そうな侍くずれを切り伏せたのが、
  いつしか拭えぬ快楽となってしもうたか?」

把と刃とのひしぎ合い。
しかも相手は足での蹴り上げ、
こちらは やや斜(ハス)に傾けた太刀を
片手で握っているだけという格好なのに。
じりともその拮抗が揺らがぬ対峙となっているのが凄まじく。

 「う…、ううぅ…っ。」

いかにも腕に覚えのありそうな、
入道のような大男も薙ぎ倒したことがあるというのにと、
ただ立っているだけで、特に力みも見せない男の手の先、
ちょんと合わされたところから、
先にも後にも動けないのが信じがたくて。
はうがふという激しい鼻息が漏れ、
口許から泡混じりの唾が落ちるが、それほど躍起になってもやはり、
全力の切っ先は揺らぎもしない。
引けば押される、慌てて押せば岩壁のような抵抗にあって進めずと、
数瞬ほどか、それとも数刻か、
無言のままの押し合いが続いたが、

 「う、がぁああぁぁっっ!!」

食いしばってた歯の間から、咆哮のような叫びが飛び出し、
踏ん張りに合わせて握り込められていたこぶしが伸びると、
存外間近にあった侍の、白い砂防服の胸倉を掴み取る。
離せとの脅しか、それともその牙もて喉笛へ食いつくつもりだったのか。
人なら ためらうそんな間合いもないままに、
その身をぐんと伸ばして来た男だったが、

 「…………かはっ」

そんな彼の背後にて、一瞬の旋風と共に閃いたは
天穹から舞い降りた青月の仕置きか、
それとも神による慈悲の裁きか。
冷たい気配が飛び込んで来たそのまま、
あとは…何が起きたかも判らなんだだろう瞬殺にて。
命を摘まれ、あっと言う間に眸を閉じた狂獣が、
せめて土に汚れぬよう、
いやさ、最期くらいは人の腕へ触れさせようと思うたか。
頼もしい腕へ受け止めてやった勘兵衛なのへ、

 「…。」

何か言いたげに眉をしかめた久蔵だったが。
そんな彼らを取り巻くように、
招集をかけられていた数人ほどの役人らがどっと駆け寄り。
彼らへ引き取られた遺骸を、嗚咽をこらえて見送る誰か、
そっとこちらへも頭を下げたことへこそ、
苦いものを感じたらしい勘兵衛だったようであり。
謂れのない呵責やつらい想いに刃向かう気概を責めはしないが、
見下げる立場にだけは滅多に立つなと、
静かな里の更夜の幕にて、
頭上の蒼月が無言で告げてござった……。






    〜Fine〜  14.05.30.


  *たまにはこんな苦々しい仕置きもあるということで。
   いつぞやに、人為の仕込みをされた狼を倒したおりは、
   久蔵さんもどこかで同情していたようですが。
   そのくらいの分別くらいは出来るだろうがと思うのか、
   人へは あくまでも冷然と構える彼なようでございます、はい。

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