夏の樹下の 
(お侍 習作 215)

         お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 



朝方はあれほどやかましく鳴き合っていたセミでさえ、
余程に居たたまれぬか 息を潜めるほどに、
それはひどい暑さが垂れ込めている昼下がり。
道は白く乾き、塀に沿うた陰も短くて、
その裾がほころんでいたほんのわずかな隙間を一目散に目指したか、
こんな酷暑の中、いやに素早く翔った猫が一匹。
小さな影をあっという間に塀の中へと潜り込ませてしまう。
一応は漆喰らしい煤けた塀が取り囲むのは、
そちらも随分とくたびれた屋敷で。
塀の上へまで伸び放題となった、山茶花や槇らしい木々の隙間から
大人が背伸びでもすれば何とか辛うじて望める、
奥向きに位置する母屋の屋根も。
瓦の隙間から土が覗くわ、そこへ雑草が生え始めているわ、
誰かが生活の場にしているとは到底 思えない荒れようで。

 「だからこそ、人目を憚る取り引きには打ってつけ。」

肉付きの薄い口許を歪め、
自分にとっては十分思うつぼだとにやにや笑ったは、
錘形の深編笠を、顔がほとんど隠れるくらい深々とかぶった痩せた男。
自分の後背に数人ほどの連れを従えた、
一応は中級程度の幹部格、若しくは少数集団の頭目かと思われる。
年のころは中年手前か、
笠を固定する顎紐の上、あまり品性よろしきとは言えない笑い顔から察するに、
ことを成すためにはどんな手段を使ってもという なりふり構わぬ手合いならしく。
それがいけないとは一概に言えぬが、
他者からの信頼や、僅かばかりの矜持のようなものさえ食ってのし上がらんとするような、
まま、その場しのぎにばかり長けた、技量の小さい成り上がりというところだろうか。

 「かしら、もうしばらくすれば、手形を持った賄い役がやって来る。」

様子見に走らせていた手下だろう、
藍縞の着物の裾を帯へと端折った走り自慢らしき男が、
影を引き引き、飛ぶように翔って来て、
深編笠の男へ掠れた鋭い声を掛けたのへ、
よーしよしよしと何度もうなずき、

 「いいか、手前ら。
  相手は州廻り役人とはいえ、下っ端の腰抜け、
  日頃はせいぜい兵糧や日用品の買付けくらいしかしてねぇよな相手だ。」

背後に下がっている手下数人へ、そうと鷹揚に説き始め、

 「こないだ飲み屋で隣り合わせた折、
  この里まで兵糧の米を買い付けに来たって話していたのを聞きつけて、
  行く先々へと人をやり、上手いこと誘導して…」

 「本来の取引相手じゃあねぇ
  俺らが待ってるここへ来るよに仕向けたってわけでしょう?」

上手いこと持って来やしたね おかしらと、
冴えてるなぁと褒めるつもりでの話の横取り、
先にオチを口にした蓮っ葉な若いのを…じろりと睨んでから、

 「…まあ、そういうわけだがな。」

辺境の地の自警団が結束固めて結成した “州廻りの役人”たちは、
昨今ではそれぞれが見回る地域の里の者らからも大層な信頼を集めており。
ある意味で収入源である 禄の代わりの兵糧や、
賞金首として指定した賊への懸賞金やらが一手に集まる、
ある意味、結構なお宝が常にうなっている金庫を保持しているともいえて。
見回る地域が広がり、所属する頭数も増えるに従い、役職も分業化されてくれば、
誰も彼もが腕に覚えのあるもののふばかりとも言えなくなってきているのは明白。
いかにも商い向きの人の良さそうな、しかもやや初老でお髭も白くなりかけの、
事務方だろう男の話を耳に入れ、
そやつが一人で結構な取り引きを担っていると聞き、
こんな算段を組んだ子悪党ども。
この仕事が終わればたらふく飲んで食ってが出来ようぞと、
この暑い中、辛抱強くも立ちん棒を続け、待つこと幾合か。

 「お。」

そちらは顔を隠す云われもないか、小さめの綾藺笠を半白の髪を結った上へと据え、
噂のお武家らしい御仁が、
屋敷を巡る煤けた漆喰の塀をやや訝しみつつも歩んでおいで。
この暑いのに、それこそ蓄積があるものか、
それとも歳が行って感覚が鈍くもなるのか、
撫で肩にやや丸みのある背中という体躯へ、それでもきちんと羽織をまとい、
その裾からは長い太刀の鞘が尻尾のように背後へ飛び出して覗いておいでで。

 「ほうほう、これはこれは。」

深編笠の賊くずれ、いかにもお武家の係累を気取ったような口調を装い、
初老のお役人へ鷹揚そうな声を掛ける。
他には人の姿もない以上、自分へだろうと察したか、
塀ばかり見やっていた顔をこちらへ向けたご老体、
目じりや口許にもしわの目立つ、だが、穏やかそうな表情を、
さぁてと戸惑うように揺らして見せれば、

 「お務めごくろうさんでございます。
  中司様のお使いで、兵糧の米を用意してまいった
  我ら、すぐ近場の東の里のものでございますれば。」

 「おお、そうでござったか。」

担当の役人の名前を告げられ、それでやっと信用していい相手だと察したようで。

 「こちらの宿場の番所まで、お運びすれば良しと申し付かっておりますが、
  なにぶん、初めてのお使い、たしか手形を預かってこよと言われておりまして…。」

支払いの大枚をまんま金子でやり取りするのは危険だし、何より嵩もあっての大荷物。
そこでと、これも世情が落ち着いてきた証、
大きい宿場で換金可能な “手形”で売買の取り引きをするのも、
今やさほどに珍しい話ではなく。
更に言えば、信用あっての代替証書でもあるがため、
扱いは勿論のこと厳重だが、
それを持っているということがその人の格を物語ることにも通じており、

 「おお、そうかそうか。」

手順が今一つ不慣れな顔ぶれなのだなと、
すっかり信用しきったか、自身の着物の前合わせへ手を入れて、
紙入れを取り出そうとしかかったお武家さま。
そんな人の良さを目の当たりにし、
こそりと下卑た笑みを見合わせ、目と目を見交わし合った相手方。
彼もまた、薄い唇を醜く歪め、
この馬鹿な爺ィよと言わんばかりの顔でいた深編笠だったが、

 「…時に、中司殿はどちらにおわすか?」
 「あ?」

丸くなった背中のせいか、懐をまさぐる格好になったそのままやや俯いてしまったご老体。
顔が見えぬが、気のせいか…そのお声がずんと張りのあるものになったような気が。

 「あ、ああ。中司殿は、その、ほれ。兵糧の傍でお待ちになって…。」
 「では、向こうに立っておわすのは人違いかの?」

彼らには背後にあたる、通りの先を見通せという所作、
頭を小さく振っただけでそれへ従わせた言いようへ、
だが、まだ気づかぬままにすんなりとしたがって振り返った彼らの視野に入ったのは、
入道雲のようにむくむくとした濃い梢の生い茂る、なかなか立派なクヌギの大木の下、
女性かと見まごう痩躯の連れに肩を貸されてなんとか立っておいでの

 「…っ!」
 「な、何で奴がっ!」

この取り引きの中での証明書のような役回り、
先鋒として宿場に向かった役人に “中司”という人がいて、
彼の名を出すことで “鬼さんこちら手の鳴る方へ”と、
このお使いのお武家様をも誘い出せたようなもの。
なので、本物にうろうろされては困るという、たいへん身勝手な事情から、
その身を拘束していたはずのお人が、
何でまたあんなところにおいでなのだろうかと。
賊の一団がキョトンとしたその後背から、

 「そうか、やはりあれこそは、中司殿に間違いなしか。」

特に感情的ということもないけれど、
それでも おやとこちらの一団に何かしら嫌な予感を及ぼすような、
そんな違和感をまとった声が立つ。
そう、先程までは見たままそのまま、初老の人の良さ気な初老の御仁だったはずの存在が、
まるで急な土砂降りの予兆、俄かにわいたそれは雄渾な入道雲のように、
妙にその存在感を大きく膨らませたような感触があって。

 “…え?”

夏には付きものの怪談話をするには、まだまだ明るい昼の只中。
だというに、
居合わせたそれなりの悪たちが、
こぞってこめかみからたらりと汗を一滴こぼすほど、
嫌な予感というものに、その背条を凍らせて固まってしまう。
もしかしてもしかしたら、自分たちは相当やばい破目に陥っているのかも。
なかなかに要領のいいおかしらについて来たがもはやこれまでかと、
手下の面々が腰を引く中、

 「てぇい、雑用係の爺さんが威勢を張っても何ぼのもんよっ。」

矍鑠としてはいても、そこはやはり寄る年波には勝てまいと、
深編笠のおかしら、破れかぶれか振り向きざまに、
腰の太刀を引き抜いて、その切っ先を横薙ぎにぶん回す。
いくら何でも要領だけでは生き延びられずで、多少は剣を振るえる身でもあり。
堂にいった正眼の構えから繰り出す一閃で
ちんぴら程度の相手なら、蹴散らすくらいはお手の物。
帳面捲りが専門のお武家なら、あるいはこけおどしが利くかもしれぬと、
それなりの名品でもある太刀をば振り下ろして見せたのだったが、

 「…なっ!」

振り下ろされた凶刃を、目にも止まらぬとは正にこのこと、
いきなり真下から途轍もない力が陣風をともなって吹きあげて。
それほどの素早き何物か、鋼の刃をガツンと弾いた。
まとっていた衣の端や裾がはためいたほどの勢いとともに、
真っ向から駆け上がってきた何かしら、
どんな早業でかかったか、お武家の腰にあった太刀以外は考えられず。
しかもしかも、

 「ぎゃあぁあっ!」

ただ鉢合わせさせて弾き飛ばしたあしらいならば、
覚えがないでなし、こちらからも二の太刀をと瞬時に考えた深編笠の賊だったれど。
太刀や持ち柄といった手の先だけじゃあない、
腕から肩からびりりとしびれて、
そのまま引き千切られたかと思ったほどの重い衝撃が脳天へまで駆け上ったものだから。
そこまでのなけなしの威勢もどこへやら、
うわあっぎゃあぁあっと、みっともないほどの奇声を上げて、
尻餅ついての後ろ手に後じさりするばかりとなった賊のおかしら。
そんな手合いを、ややもすると呆れたように見下ろした御仁こそ、
お顔とお髭へ米粉を溶いた汁を付け、せいぜい老いた風を装っていた、
褐白金紅の片割れ、島田勘兵衛、その人であったそうな。




    ◇◇


兵糧を買い付ける手続きをするためにととある宿場へ向かった中司が、
どういうことだか行方不明となってしまい、
まま、いい大人なのだから、そのうち番所までやって来るだろうと
兵糧の取り引きの方の話は代わりを立てて遺漏なく進められていたのだけれど。

 『はて。あの少々おっちょこちょいな御仁は、
  それでも役人なのだから、
  電信子機を使うなぞして何とか連絡をしてくるものではなかろうか。』

部隊を離れるような役務につく折は、本隊との連絡用に、携帯型の電信機を持つのが習わし。
それへさえ気が回らぬような動転状態にあるのかもしれぬと、
日頃から顔を突き合わす機会の多い褐白金紅の勘兵衛殿、不審に思ってこの段取りを組んで下さり。
取り引き役の役人に扮した勘兵衛が一味に引き回されていたのも、その手合いの行動からアジトを導き出し、
拘束されているやもしれない中司を助け出そうと構えたからで。

 「なので、やや身動きに難がある年頃の男に身をやつして油断させたのだがな。」

水溶き粉は乾くと突っ張るので、
肌に塗れば老人のしわのようにも見せかけられる。
濃い目のを染ませれば髪やひげに白いのが混じっても見えるのでと、
そんな簡単な仕立てで別人に扮していた壮年殿も、
今は宿の湯を借りて、顔やら髪やら元通りの張りと深色とを取り戻しておいで。
矍鑠と、どころか、
いまだに大太刀振るって名うての賞金首をばっさばっさと仕留めて回っておいでの、
そりゃあもうもう有名すぎるほどの賞金稼ぎに捕まったのだと訊かされて。
一味の面々がとほほんと、腰を抜かすは座り込むは、
虚脱の極みの態度を見せたのは言うまでもなかったが、

 「助けてもらっておいて言うのもなんですが。」

蒸し暑い蔵へ放り込まれていたがため、少しばかり脱水症状を起こしていた中司殿。
壁も厚けりゃ扉も頑丈、声を張っても漏れはすまいという監禁場所に押し込められていたものが。
分厚い鋼の扉を水羊羹のようにあっさりと切り刻み、
さあさ出ませい、とっとと現場へ向かうぞと、
その、役者のようにきらびやかで艶やかな、
麗しの風貌とすんなりとした痩躯の どこにそんな馬力があるのやら。
そちらにも何人か見張りがいたのを一気にからげた
久蔵一人に楽勝で救出されたのは…置いといてとした中司氏も相変わらずで。

 「どうせ変装なさるなら、髪も染めればよかったのでは?」

何だったらお髭も剃ってしまわれたなら、
無理から年寄りに扮するのではなく、経験の浅い若いのですという方向で誤魔化せたかもと。
後半の方のお言いようは、
枕元に居合わせた久蔵殿が、表情も変えないままそれでもありありと判る桁のそれ、

 「…

間違いなくの“殺気”を漂わせ始めたから、慌てて紡ぎだした第二案というところか。
広くはない板張りの間に、布団を敷かれての養生中。
そんな自分と勘兵衛と彼しかいないのだから、この殺気は間違いなく自分へ向いてると、
いくらおとぼけな中司でも判ったからこその言い分の転換ぶりへ、
勘兵衛がくつくつと大ぶりな拳の陰で笑って見せてから、

 「つまりはそういうことだ。」
 「…はあ。」

こんな程度のドタバタに、
何でまた自分の所有物の勘兵衛が その頼もしい見目を変えねばならぬ。
そうと物語る強い強い目ヂカラを向けられては、
当の勘兵衛でさえ強くは言えずで、あのようなややこしい扮装を余儀なくされたらしく。
宿場の中ほど、番所に詰める役人らの宿舎の一室を借りた療養室にて、
賊に閉じ込められていた時よりもおっかなかったなぁと、
はぁあという深い吐息をついた中司殿。
そんな彼らをどう眺むるか、
そろそろ宵の近い里には蝉の声が戻って来たよで。
みぃんみんみんという合唱のお声が、だが、
今日ばかりは妙に大人しく聞こえたそうな。





   〜Fine〜  15.08.16.


 *久方ぶりに勘兵衛様の殺陣回りです。
  …というほどの真剣本気な代物でもなかったですけれどもね。
  やっぱり書くからには格好良くしたいし、でもでも、
  集中力がなかなか続かないしで、
  ほんに憎っくきお人でございます。

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