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人の手が入っていないように思わせるほど、道幅も広くはなくて起伏も多く。見渡すそこここには緑があふれ、そのくせ足元は…アスファルトというよりも石畳ながら、それでも踏み固められてのきっちりと整備されており。緑の切れ目ごと、庭やこしらえも立派な、いかにも矍鑠としたお屋敷が見受けられもするのに、あまり人の姿は見かけず、車の通行量も皆無と言っていいほどで。少し歩きたいと所望され、目的地の手前で降り立ったハイヤーが元来た駅の方へと去ってしまえば。ゆるやかな傾斜(なぞえ)になった小径の両脇、まだ色づくには早いスズカケの梢やら、結構な高さの萩の茂みやらが風になぶられて。さわさわと涼しげな音を立てるばかりの静寂が、どこからかふわり戻って来、来訪者らをやわらかくくるみ込む。
「相変わらずに静かですね。」
「ああ。ほっとする。」
鄙びているといや鄙びている土地だが、かといって純粋な“片田舎”でもない。それなりの整備はされている、いわゆる“高原の避暑地”というところだろうか。車が通れば便利だが、その分 空気は悪くなるし騒がしくなろう。多くの人が誰も彼もと入り込めば、景観も人工的なもので埋められての、せせこましい息苦しいものとなってしまう。それではせっかくの佇まいが損なわれてしまおうからと。名主らに財力があったその上で、だのに故意に、至便さを制限してでもこの静けさの方を重視したらしく。そういう贅沢が通じる、いわゆる華族の末裔たちのうち、戦後のその後も企業を興したり資産協賛という形で何とか生き残っての息が続いていた、言ってみれば旧家の別邸ばかりが居並ぶ保養地である。名所旧跡があるでなし、温泉が涌くでもなし。多少標高があるせいで空気が澄んでいての、夏は涼しく気候がよくて。あとは夜景が綺麗というくらい。財界の勢力図の移ろいのあおりも手伝って、持ち主が転々とした挙句、不便なところだからと敬遠されて、尚のこと人の足が遠のいた感もあって。そんなせいか、夏場のいわゆるバカンスのシーズンであってもさほどにぎわいを見せることはなく、通年で閑散としている土地柄。静かでいいというところを好む傾向(むき)の風流人や、都会の喧噪から逃れて隠遁・静養したいとする人らがわずかながらも訪のうことで需要はあって、過疎化が進んでの寂れきるでもないまま存続を続けている、知る人には知られた一種の隠れ里のような土地だ。
「夏に来て以来だから、2カ月振りですか。」
「うむ。」
ここまでの道中に縮こまっていた体を延ばしがてら、久方ぶりの景観やさわやかな風を身に浴びて。どちらからともなくの声が出た。彼らもまた短期滞在をしに来るクチではあるが、夏や冬に長い休みをまとめて取って…というのではなく。数カ月毎に何日か、正にセカンドハウス扱いしての不定期にやってくる顔触れであり、滞在するのも貸し家や貸し別荘なぞではなく、れっきとした彼らの持ち家で。
「高階さんが、今年は柿が豊作ですと仰せでしたよ?」
「そうか、楽しみだの。」
他愛のない会話を歯切れよくも交わしつつ、では…と歩みを運び始めたときは、深色のくせのある髪をうねうねと延ばした長身の男と、手入れのいい金絲をきゅうとうなじで束ねた若々しい青年という、街を出た折にそうだったそのままの二人ぎりしかいなかった彼らだったのだが。さわわ、ざわわと揺れる木葉擦れの音の中、ひょんな拍子で異郷から紛れ込んで来てしまったのは、果たして“向こう”か、それとも彼らの方だったのか……。
◇
数日ほど前に久々の連絡を入れて、お世話になりますというご挨拶をしておいたのが、ずんと昔からの代々、別邸の番を請け負って下さっているご一家のところ。屋敷の持ち主である主人が不在だった間も、結構小まめに手は入れていて下さっており、それが仕事だとはいえ、よく気がついて心を配って下さる気のいい初老のご夫婦で。丁度別宅までの道なり、坂の途中にお住まいなのでと、屋敷の鍵を受け取るべく立ち寄れば、塀の代わりのニシキギの植え込みの向こうの前庭で、このあたりではもう落葉が始まっているそのお掃除をなさっておいでの奥方の姿が見えて。
「蔦さん。」
「あれ勘兵衛様。七郎次様も。」
もうお着きだったのですか、お電話下さればウチの人が駅まで車を出しましたのにと、庭ぼうきを傍らの庭木へ立て掛けながらという、至ってざっかけない所作動作の末ながらも、それは腰の低い会釈をしつつ。高階という表札が掲げられた門柱のところまで、歩みを運んで下さって。
「お家の方はいつもの通りに支度しておりますよ?」
寝室やリビング、キッチンにサニタリーといった、各部屋、施設の掃除整頓は言うに及ばず。電気やガス、水道の調子を点検し、簡単な自炊もなさるのを見越して、数日分の食料品も揃えておいたという意味であり、
「電話の回線の方もいつもの通りに。あと、お車をご利用なら、いつでも仰有って下さいませね?」
「ああ、そうさせていただきますよ。」
携帯電話が普及してはいるその上、ここいらも中継塔はあっての使用に支障はないそうだけれど。生業の関係で回線経由の情報のやり取りも要りようなのでと、それもまた確認を取っていただく手間の内。いつもすみませんねと、壮年殿の傍づきにあたる、美貌の青年が殊勝に頭を下げて見せてのそれから、
「それであの…、ちょっとお訊きしたいことがあるのですが。」
「はい。」
何でしょうかと屈託のないお顔で見上げて来た小柄な婦人は、だが、
「…あらあら、今度は猫ちゃんもお連れなのですね。」
七郎次という名らしい青年が、何ぞ訊き始めるより先に、その視線を奪われてしまったものへの声を上げて下さって。そして、
「…あの。」
「あ・ああ、すいません、何でした?」
お声を遮ってしまってとんだ不調法をと、居住まいを正した奥方の視線が戻った先、何か訊きかけていた金髪白面の青年は、ちょっぴり困ったような苦笑を頬に貼りつけたようなお顔になると、
「あの…“あの子”ってここいらの子なんでしょうか?」
「え? あの…お二人様がお連れんなった子じゃあないんで?」
勘兵衛様へあんなに懐いておいでだからてっきりと、まあと丸く開いたお口に手をやってから、ややこれは重ね重ねに失礼しましたという恐縮の笑みを見せ、
「けど…そうですねぇ。あんな、血統書つきみたいな毛並みの綺麗な猫は、この辺で飼ってる家もないと思いますしねぇ。」
少し離れたところの別荘地で飼われてたのが逃げた…にしても、あんな遠くからほてほて歩いて来たにしては綺麗すぎますしと、自身へは心当たりが無さそうなお言いようをなさるので、
「そうですか。」
微妙に複雑なお顔をしたまんま、白皙の青年は一応は納得したらしかったが、
「それじゃあ…ああそうだ。旦那さんへ、高階さんへも訊いといて下さいますか?」
自分らが来た方を振り返って、
「そこのなぞえの茂みからひょっこり出て来た子なんですが。」
そうと簡単な説明を始めて、こんな“小さい子”をそろそろ暮れ始めるというに私道の傍へ置いとく訳にもいかないし、かと言ってはぐれた親御さんが探しておいでなら、連れ去っては心配なさっているかも知れませんし。何かそういう声をお聞きになったなら、遅くなっても構いませんから知らせてくださいと、念のためにという心くばりへ、
「ああそうですね。判りました。」
いつもながらいいお声で、しかもお若いに似ず丁寧な気配りをなさるお方だなぁと。しっかり者の青年へ、にっこり愛想を送った奥方のその笑みが、ますますのこと深まったのは。その“小さい子”を腕に抱えた連れの男が、すぐ傍らへまで歩み寄って来たからで。
「勘兵衛様、お久しゅうございます。」
「ああ、蔦さんも息災なようで何よりだ。」
昔からのことながら、結構な上背があるお方なので、その双腕へすっぽりと抱えていなさる小さな存在が、ますますのこと、より小さい可憐なものにも見えてしまい。
「そうしておいでなのは何年ぶりに拝見しますか。勘兵衛様には犬や猫がよく懐きましたものねぇ。」
その小さな和子が、くるると喉を鳴らしての柔らかく身をよじって、自分の耳を押し潰すほどもうにむにと、男の頼もしい胸板懐ろに、擦りつき甘える様を披露したものだから。まあまあと夫人の頬笑みも濃くなるばかり。
「…それでは、また明日にでも。」
「ええ、ええ。こちらへこそ、御用があればいつでもお呼び下さいませ。」
さほどむさ苦しい彼らではないけれど、それぞれが随分と年経て育った男二人だけという構図の中、か弱いほどに小さな存在が加われば、その可憐さもより引き立ってのこと、誰しもおおと目を瞠るものだろて。確かにかわいい存在ではあるが、それを抱えていた方々はといえば…何だか微妙に様子がおかしい。ただ単に、予定外の拾い物を抱えてしまったというだけの困惑ぶりには見えなくて、
「……とりあえず、別荘へ向かいましょう。」
「ああ。」
着替えも備品もきっちりと揃っている先ゆえ、さしたる手荷物もないまま、道なりに歩み始めた二人。それでも心なしか…双方共にその肩が落ちて見えたのは、決して秋の斜陽の頼りなさがそう見せたという気のせいではなくて。連れの七郎次ほど何でも似合うという性分でなし、それでも今日はビジネス向けの堅苦しいそれではない、秋らしいセピアがかった色合いのジャケットにボトムの方は生なりの木綿。カーゴパンツほど砕けてはないながら、トラウザータイプじゃあない普段着のチノパン風のものへと、目の詰んだトラッドなボタンダウンのデザインシャツ。その下へと重ね着た、濃い色のシャツの襟元を覗かせた着こなしの壮年殿のその懐ろに、ちょこりと収まっている存在へと、二人の視線がつと及び、
「……ねこ、ですか。」
ついつい呟いた七郎次の声が、何をか確かめるような、それでいてひどく力ないそれだったのも無理はない。そんな溜息を追うように零されたのが、当の仔猫を抱えた連れの…やはりどこか力のこもらぬままに低められた声音であり、
「しかしだな。この子のどこが猫だというのだ。」
儂にしかそうは見えておらぬというのか?と、勢い込んでのそうとまで言い出しかかる勘兵衛の機先を制し、
「ご安心を…と言っていいものか、私にも小さな男の子に見えておりますよ。」
ご案じなさるなと宥めるようにやんわり微笑ってみせてから、だが…ややもすると自嘲気味に付け足されたのが
「ですが、皆さんが口を揃えて子猫だとお言いだ。」
「う……。」
ハイヤーを返してから歩き出して程なく。淡い紫や緋色の小花を散らした萩の茂みから伸び伸びた、龍の髭のような枝がゆらゆらと揺れているその根元から。ひょこりと顔を覗かせた陰があったのがそもそもの発端で。枝のぎっちりと絡まりあった株の根元のどこから滲み出して来たのやら。羽二重餅かぎゅうひのように柔らかそうな肌に包まれた、そりゃあすべらかな頬をし。肘や膝という関節が不要なくらいに寸の足らない腕脚の、ちんまりとした肢体に、運動着のような何ともそっけない型のTシャツに短パンという簡素な恰好をまとった坊や。まだ五、六才くらいだろうかというほども幼い子供が、じっと佇んでのこちらを見やっており。
『…おや。』
まず気がついたのが七郎次。幼い子供といやあ数えるほどしかいない、過疎化の進んだ里だというにと。小さな子供だというだけでも珍しかったその上に、その和子の姿、風貌。見目がなかなかに風変わり。他人のことは言えないながら、その子の髪もまた、丁度今降りそそぐ秋の陽がそのまま染み入ってしまったような金色で。しかも絹の真綿のようなふわふかに柔らかそうな綿毛であり、瞳の色合いも玻璃玉のような澄んだそれ。野ばらの蕾のように形の立った口許には品があり、それでいてあどけない頼りなさが何とも愛らしく。
『勘兵衛様。』
そちらは気づかなんだのか、それとも“ああ和子か”くらいにしか思わなかったか。立ち止まらぬまま通り過ぎようとしかかったのへ、だが、七郎次がそれではあんまりと声を掛けている。というのが、その和子、通せんぼでもするかのように道の真ん中で待ち構えていた訳ではないながら、されど…すぐ前を通り過ぎかかる勘兵衛を、殊更にじっと見上げていたからで。勘兵衛の知り合いとも思えぬが、もしかして大人に助けてと言いたいのやもしれぬ。そんなところを察してしまったらしい七郎次、自分が相手をしますから ちょっと間だけ足を止めて下さいませんかという声を掛けての、さてそれから、
『坊や? こんなところでどうしましたか?』
身長差があったのでと、お膝に手をつき、身を屈め、まずはとそんな風に訊いてみたのだが、
『……。』
返事はない。聞こえてはいるようで、話しかけている七郎次を真っ直ぐに見やって来てはおり、
『ここいらの子かい?』
『…。(否)』
かぶりを振ったから、言葉も通じてはいるらしく。だが、
『ここいらの子供じゃあないってことは、親御さんと来たんだね? お母さんは? それか、お父さんと来たのかな?』
それほど急くような訊き方もしてはないのだが、ちょっぴり間延びしたように じぃとこちらを見やってそれから、
『……。(否)』
ううんとかぶりを振っての、やはり何にも言わないまんまであり。もしかしたらば口が利けない子であるものか、なかなか要領を得ないのに手古摺っておれば、
『…え?』
不意に、寄り添うようにしていた萩の茂みからつと離れ、七郎次の視野からたたたっと小走りに駆け出して。ああ親御さんでも来たかと身を起こしがてらにそちらを見やれば、坊やが駆けてった先には、
『いかがしたか?』
少し先に進んでいたところから、こちらへと戻りかけていた勘兵衛の姿。そちらへと目がけて駆けてった和子であり。やはり随分な身長差があるにもかかわらず、わざわざ屈んでやらぬ不器用な彼の膝元へまで達すると、上着の前合わせの裾へと小さな手を掛け、ねえねえとでも言いたいか、子供の力でしきりと引っ張り始める彼であり。
『……懐かれてますねぇ。』
『??? そうなのか?』
そんな大きなお子様がおいでとは伺ってませなんだ。そこまで言われてからやっと、馬鹿を申せ…っと焦った御主。当然と言おうか心当たりなぞなかったらしく、それにしたって、
『勘兵衛様がこんな年頃の和子に懐かれる図なんて、私、初めて見ましたもの。』
なので、こりゃあてっきりと。どこまでが冗談なのか、その青い眸がちょっぴり座りかかっていた供連れの青年へ、
『笑えぬ冗談もたいがいに致せ。』
こんな年端も行かぬ子供の前で何をと、そっちの意味合いからも灸をすえる勘兵衛であり。そこへはさすがに、相済みませぬと恐縮した七郎次でもあったけれど。そちらへと向き直りながら、案じるように言ったのが、
『…それにしたって、このまま此処へ捨て置けもしませんよね。』
口を利かぬまま、されど、
『…あ、これ。お主は此処におらぬか。』
ではなと歩き始めれば…妙に勘兵衛へと懐いてか、手を放さぬまま後追いをし、彼らから一向に離れようとしない和子であり。こんなところへ独りで取り残されるのは心細いのか、さりとて、このままついて来られては、ますます親御からはぐれはせぬかと困っておれば。
『あら。』
これから向かう先だった別荘番夫妻の家から帰るところだったものか、丁度通りかかったのが顔見知りの…確か 志野とかいう娘さん。向こうからもこちらに気づいたようだったので、ご挨拶を交わしてののち。この子をご存じないですかと訊こうと仕掛かるその前に、
『かわいらしい猫ですね。都会ではこういうのをお飼いなんだ。』
そんな風に言われてしまい。
『……はい?』
その時はさすがに“奇妙なことを”と。からかわれでもしたかのように取り合わないでいようとしたところ、
『わ、わ、かわいーですっ!』
『猫だ。』
パタパタパタッという、踏み固められた土の道を蹴り叩くような元気のいい足音がして。私道へと折れる取っ掛かりの側から駆けて来たのが、この里には彼女らだけじゃあないかという幼い童女が二人ほど。
『これ、コマチ、オカラ。失礼するでねぇだ。』
馴れ馴れしいと叱った志野の声に、ここいらの訛りがついつい出てしまったけれど。こちらへ寄れば、こちらは息抜きに来ている身、暇でいるところへと顔を出してくれちゃあ仲よくしてもらってもいる縁で、やはり顔見知りではあった相手であり。来訪者二人も、そのくらいで不快になったりはしない。ただ、
『すごいです! 東京の猫は、こんなふわふわしてるですか?』
いかにも幼い片やの少女が屈託ない声を無邪気に張り上げ、そちらさんに比べると、ちょっぴりお姉さんなもう一人の方もまた、
『ホンだなや、しゃれたネコだで。』
わあわあと騒ぐほどじゃあないと斜(ハス)に構えつつも、愛くるしいものへは関心も向くということか。少々大きめに張られた視線は、やはり…向かい合ってた勘兵衛のお腹辺りへと小さな両の手をかけてしがみついてた、こちらの“和子”へとそそがれており。
――― ネ コ ?
誰も彼もがこの愛らしい和子を“猫”だと言う 不思議。もしかして…そんな名前の子供だとか? いやいや、初めて“見る(会う)”という反応だったぞ? じゃあ…これって一体どういうことでしょか?
「蔦さんで確かめるつもりだったのですけれど。」
「うむ…。」
その高階夫人までがあの反応だ。確かに、この里の方々には親しくしていただいてる身ではあるが、蔦さんほどの年頃の大人まで一緒になって、ああまで口裏合わせてからかわれる覚えはないし、そも そんな冗談へこんな小さな子供を使うものだろか。
「男二人に預け切るだなんて、扱い損ねて泣かせぬか怪我でもさせぬかと、親御さんなら心配になるもんでしょうに。」
すぐさま、なんちゃってとタネ明かしするならいざ知らず、そんな気配もないままだ。年端もいかないその上に、口だって回らぬ様子の覚束ない子。それにしちゃあ随分と落ち着いているのも、不思議な存在だからだとすれば いっそ辻褄が通るような気さえして来る七郎次であるらしく。
「…だが。」
いくら理詰めでそうは言われても。目に見える実物は…といやぁ、どこから見たって人間の和子なだけに。勘兵衛の側はそうそうすぐさま丸め込まれるように納得する訳にも行かないらしい。金の髪して目は不思議な赤。口は利かずの、だが、人見知りもしない。ままならぬ事態にあるというに、不安から激しく愚図ることもなく。大人のように寡黙な、どこか不思議な存在感のする子供。
“そういえば…こんな年頃の和子にこうまで懐かれるのは。”
先程、七郎次が不思議がったその通り、どこか堅物が過ぎて見える勘兵衛へは、子供が懐いたためしはない。だが、蔦さんが微笑ましいと口にしたように、犬猫には昔からやたら懐かれていた方でもあり。ねえねえと引っ張られたのへ根負けした勘兵衛が、どぉらと屈んでの腕を延べたれば。そんな呼吸が前からあったかのようななめらかさ、重さを感じさせぬほどもの軽々と、衣擦れのばさばさとした音もなくの、ひょいと伸び上がってするりと…それこそ猫のような軽やかさで、壮年殿の尋深い懐ろに難なく収まった坊やであったのへ、
『…見ましたか、今の。』
『うむ…。』
百聞は一見に何とやら。こんな幼い和子が、相手から抱えてもらわねば上がれぬ高さへ、もたつくなら判るがこうまで手際よく、しかも静かになめらかに、翔け上がれるものだろか。猫だというのは信じがたいが、さりとて…尋常な和子ではないらしい、その一端ではあったに違いなく。
「重くはないですか?」
「いや…。」
むしろ、このくらいの子とは思えぬほど軽い。それこそ、仔猫を抱えている程度の負担しかない。
「いくらハロウィンが間近いとはいえ、こんな片田舎でそれにまつわる祭事もはなかろうし。」
「そもそもハロウィンに、こういう騙し討ち系のしきたりはないぞ。」
往生際悪くも“ネコなんかではあり得ぬ”と頑張っていた側の勘兵衛がそう言い出したのへと大きく頷き、
「ですよね。じゃあやっぱりネコなんですて。」
「…七郎次。」
そんな縋るような声を出さないで下さいましなと。随分と年嵩であるはずの御主へ、やっぱり力ない笑みを返した七郎次が、だが、そのままゆるゆるとかぶりを振って見せ、
「これもその証拠なのかも知れませんしね。」
そう言ってから、まずは ひとつ…とでも数えるかのように、自分のお顔の間近で立てて見せた人差し指を、そのまますっと降ろした先。そろそろ日暮れの時間とあって、蜂蜜色の陽の照らす中、彼らの足元から長く伸びた陰が二つ。その内の片やが抱えた塊は、5、6歳の子供にしちゃあ ずんと小さかったその上に、頭のあたりへ大きめの三角のお耳が一対、ちょこりと乗っかっていたのである。
「ほら、今 ひくくって震えましたし。」
「そ、それはこの子が髪を揺さぶった陰で……。」
「勘兵衛様、往生際が悪いです。」
TOP/NEXT→***
*タイトルがなんだか意味深というかなまめかしくなってますが、
そんな大層な含みのあるお話じゃあありません。
ほこっと思いついた中篇ものの現代パラレルでございます。
あんまり肩を張らずにお楽しみいただけると幸いです。(苦笑)

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