ツアー参加者 24名 トルコ航空(Turkish Airlines) 44番Gate TK51 出発/11:40 到着/17:45(12時5分) (時差 -6時間) 実際は、2時間遅れで離陸。 成田空港発13:50→アタチュルク空港着19:35(11時間45分) 航空内にて両替(1TL=48円) ホテル着21時30分 イスタンブール上空
マウスポインターを近づけると、画像拡大します。 コンフォートクラスの座席や美味しい食事はNETに沢山載っています。「中間食」の写真を下に載せておきます。 コンフォートクラスの前方、ビジネスクラスの後方に設置されています。(注:この画像は拡大しません)
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2日目(4月21日) イスタンブール観光@、その後チャナッカレへ
出発8:10→ブルーモスク→ヒッポドローム→地下宮殿 →アヤソフィア→昼食→チャナッカレへバス移動(320km)ホテル
9時10分 通称:ブルーモスク 正式名:スルタンアフメット・ジャミイ到着 10時まで見学。 1985年に世界遺産に登録されたイスタンブール歴史地域「ブルーモスク」です。 モスクの内部を彩る青いイズニックタイルの美しさで知られ、「ブルー・モスク」 の愛称で呼ばれています。綺麗でしたが、人人人でした。
「ヒッポドローム」(10:00〜10:10) はブルーモスクの西隣にある4世紀に完成した戦車競技場の跡地! 現在は広場となっており、ここに残された3本の柱が見所となってます! 地下宮殿へ行く通り道、数分間の説明があったのみ。
「地下宮殿」(10:10〜10:30) 宮殿という名前がついているけれど、実はここ、ビザンチン帝国時代(5世紀)から 続く地下貯水池。黒海に近い水源から19キロかけて水が運びこまれ、ここから アヤソフィアやトプカプ宮殿などに供給されていたのだとか。 「涙の柱」、 柱の土台部分にメデューサの顔(横向き、上下逆さま)の写真を忘れないように!
「アヤ・ソフィア」(10:40〜11:20) アヤ・ソフィアは、ビザンチン時代(360年)にキリスト教会堂として建てられ、 オスマン・トルコ時代(1453年)にはモスクとなった世界的に有名な大聖堂です。 アヤソフィアとは、「神の知恵」を意味しています。今は博物館となっています。 ドームの直径は31m、高さ約56mで世界最大級です。
昼食(11:30〜12:20) イスタンブール〜ゲルボル デラックスバス移動 296km 途中1回休憩 トイレ1TL,チャイ3TL ゲルボル〜ラープセキ ダーダネルス海峡 フェリー 20分(17:00〜17:20) ラープセキ〜コリン・ホテル・チャナッカレ 35km 18:00着
ホテル到着後、Kipaという田舎のスーパー見学(トルコ人はなんでもKg単位の購入とか) ヨーグルト 小さなバケツでした。 写真は、ホテルのプールサイドからの夕日です。
3日目(4月22日) トロイの遺跡、ベルガマ遺跡
ホテル発(8:20)−33km→トロイの遺跡(8:40-9:50)−219km(1回休憩) →ベルガマ遺跡(14:20-15:50)−106km→イズミール,Crowne Plaza Izmir 18時着
トロイの遺跡 / 世界文化遺産 1998年(8:40-9:50) ブラッド・ピット主演,トロイは2004年のアメリカ映画でさらに有名になった遺跡です。 紀元前30世紀に始まる青銅器時代に建設され、その後エーゲ海交易の中心地として繁栄 と衰退を繰り返した結果、全部で9層にもわたる都市遺跡が形成されています。 木馬で有名なトロイ戦争は、第7期(BC1300〜BC950年)だそうです。
ベルガマ遺跡(14:20-15:50) 紀元前2世紀から1世紀にかけてペルガモン王国の都として栄えた遺跡です。 典型的なヘレニズム都市として繁栄は続いた。トラヤヌス神殿この頃の構造物。 しかしその後アラブの攻撃を受け、19世紀には神殿をドイツに持ち去られ、 ヘレニズム都市の面影は奪われました。 写真は、神殿の地下、診療所に通じる地下通路です。
4日目(4月23日) 聖母マリアの家,エフェソス遺跡,パムッカレ
ホテル発7:45−82km→聖母マリアの家(9:00-9:30)−5km→エフェソス遺跡(9:40-11:00) −192km(昼食)→パムッカレ(15:30−17:30)→ホテル着18:00
聖母マリアの家(9:00-9:30) ここ「聖母マリアの家」は、紀元30年ごろエルサレムで、キリストが磔刑死後、 聖ヨハネは聖母マリアを連れて、この地エフェソスを訪れ、余生を過ごし この地で亡くなったという。今は教会になっています。
エフェソス遺跡(9:40-11:00) アルテミス崇拝で知られたギリシア人が建設した。 世界最大級の大規模な古代都市遺跡の他に、アルテミス神殿の遺跡、イエスの母マリア が晩年を過ごしたといわれる地に建てられた礼拝堂『聖母マリアの家』、聖ヨハネ教会、 考古学博物館などがあり、トルコの重要な観光地の1つになっています。 世界遺産には登録されていない。 写真は「セルシウスの図書館」です。
こちらは大劇場の遠景。でかい。2万4000人も収容できたそうです。 いや〜、すごい都市遺跡でした。 現代人のボク達が見ても驚きの連続。 見学していた1時間半もの間、ずっと「スゲー」「はぁ〜」と言いながら 写真をパチパチ。当時の市民はどう見ていたんでしょうねぇ〜。
ヒエラポリス・パムッカレ / 複合遺産 1988年(15:30-17:30) ヒエラポリスは紀元前190年に建設された都市の遺跡。多神信教、ローマ人、ユダヤ人、 初期キリスト教徒の要素が混じり合い、発展してアナトリアの環境を形成。ローマ帝国 時代にも地震で破壊されるがその後、復興。しかし1354年の大地震で廃墟と化す。 写真は、温泉プールから見た「ローマ劇場」です。
パムッカレはトルコ語で「綿の城」という意味。 このあたりが綿花の一大生産地であることによる。大地上部から流れる石灰成分を 含む湯が長い時を経て結晶化し、大地を覆ったもの。あたかも純白の雪山のような 不思議な景観が高さ約200mに渡って形成されている。 裸足で足の裏が痛かったです。
5日目(4月24日) コンヤ(メヴラーナ博物館)→ カッパドキア
ホテル出発7:30−456km→メヴラーナ博物館(14:00-14:50)−127km→ カッパドキア(18:00-19:30)
今日は、東京から岡山までの距離をバス移動です。 出発して1時間半後、ディナルという街で1回目の休憩。 皿を逆さまにしても落ちないヨーグルト。 ヨーグルトの上には、蜂蜜とケシの実が乗ってます。 これをかき混ぜて頂きます。美味しかった。5TL
コンヤ「メヴラーナ博物館」(14:00-14:50) イスラム神秘主義のメヴレヴィ教団を創設したメヴラーナ(導師)・ルーミの 霊廟を博物館にしたそうです。 メヴラーナの棺、世界最小のコーランの写本、金を織り込んだトルコ絨毯等が 展示してありました。撮影禁止。
カッパドキア/複合世界遺産,1895年 「三姉妹の岩」(18:00-18:10) ユルギュップという町にあり、「妖精の煙突」とも呼ばれています。 カッパドキアは、太古の火山活動で形成された凝灰岩が風雨で浸食を受け、 岩盤の固い部分が残されたものです。風変わりな自然の彫刻に、 中世以後イスラムの迫害を受けたキリスト教徒が地形を利用した穴居生活 を送った歴史も加わった、一種独特な観光スポットとなっています。
洞窟住居訪問(18:20-18:50) 現地ガイドさんの案内で、民家として現在も使用中のカッパドキアの洞窟住宅を訪問。 チャイ(トルコ紅茶)をご馳走になりながら、住宅の内外を見学・写真撮影させて頂いた。 家族三世帯が確固たる役割分担の元に秩序がうまく保たれ、昔の日本にもあった 良き家族の姿を垣間見たようでした。 男性は羊飼い、女性は絨毯織りと、男女の仕事がはっきりと区別されています。
クズルチュクール(Kuzilcukur)=ローズバレー(19:10-19:20) オルタヒサールの北3kmにある奇岩が広がる渓谷です。全般に岩の色がピンク色をしており 「ローズ・バレー」ともいわれます。 薄曇り、岩肌が赤にはなっていませんでした。 グランドキャニオンの夕焼けを思い出しながら眺めていました。
6日目(4月25日) 終日、カッパドキア観光
ホテル発8:00→ギョレメ野外博物館(8:30-9:15)→鳩の谷(9:20-9:30) →ゼルベ野外博物館[妖精の煙突](9:50-10:20)→絨毯工場見学(10:45-11:15) →昼食→ラクダ岩(13:40-13:50)→きのこ岩の交番(14:00-14:20) →ウチヒサール(14:30-14:40)→カイマルク地下都市(15:00-15:40) →一度ホテルの戻って休憩→洞窟の雰囲気の中で、ベリーダンスを楽しみながら 夕食(19:50-21:30)→ホテル着22:00
ギョレメ野外博物館(8:30-9:15) 4世紀以後イスラムの迫害を逃れ、奇岩に洞窟を掘って造ったキリスト修道院や 教会が多く造られた地域で、その数は300ほどあり、一部が公開されています。 *環境保存の為フレスコ画は撮影禁止。 「聖バルバラ教会」「蛇の教会」などを見学しました。
鳩の谷(9:20-9:30) ここでは昔実際に伝書鳩を飼っていたので小さな穴が沢山あけてある。 鳩の糞はワイン用のぶどう畑の肥料などに使っていたという。 現在も鳩は住んでいました。
ゼルベ野外博物館 きのこ岩(9:50-10:20) 「妖精の煙突」も多数点在し、岩山には1950年代まで人が住んでいた という無数の洞窟が掘られていて、多数の修道院跡もあります。 広さの点ではギョレメを凌いでいます。しかし岩の浸食が進み、 崩落の危険が進んでいるため、政府は見学の中止の検討も始めている といわれます。
らくだ岩(デヴレント)(13:40-13:50) デヴレントと呼ばれるこの場所は、らくだの形をした岩があることから 「らくだの岩」とも呼ばれています。 ここにくる観光客はまずこのらくだの岩の前で記念撮影。 またデヴレントは「イマジネーションの谷」と呼ばれるほど、 さまざまな形の岩が集まっています。
カッパドキアでは、交番もキノコ岩の中。(14:00-14:20) お店が2〜3軒あり、皆さん買い物タイムでした。
ウチヒサール(14:30-14:40) ネウシェヒールの東7km、町の中心に大きな一枚岩の岩山がそびえ、 中をくり貫いて多くの部屋や住居を造り、全体で要塞となっている町です。 ヒッタイトの時代(紀元前1700年)から造られたという古い歴史を持ちます。 岩山自体、カッパドキアのどこからでも見えるランドマークとなっています。
カイマルク地下都市(15:00-15:40) 地下都市は、キリスト教徒がアラブ人からの圧迫から逃れるために造られたものだです。 カッパドキアに300以上もあるという。カイマクルの地下都市は、地下8階もあって、 4,5千人が住める広さがあるんですって。地下4階まで見学しました。 頭を何度もコツン。どうしてトンネルがこんなに小さいの?
夕食+ベリーダンス(19:50-21:30) ベリーダンスは、もとはアラビア半島から伝えられたもので、 さかのぼればエジプトの古代王朝に至るといわせています。 前座は民族舞踊。次にベリーダンスのお姉さん登場。 ベリーダンスのダンサーは結構ふくよかです。 痩せているダンサーは経験が浅いそうです。
CCR(Cappadocia Cave Resort & Spa)ホテルの手前でわがままを言って 5分間停めて頂きました。 綺麗な夜景が撮れました。感謝!感謝! 2連泊の部屋は、3階左から三つ目の部屋。 洞窟ホテルなので一つとして同じ部屋はありませんでした。 私達の部屋は中の下。
7日目(4月26日) ミニハイキング→国内便でイスタンブールへ
ホテル発8:50→ミニハイキング(9:10-10:00)→トルコ石の店(10:10-10:30)→昼食 →カイセリ空港着(13:15)→アタチュルク国際空港着(16:20)→イスティクラル通り ・トラム乗車体験&散策&夕食(17:40-19:30)→ホテル着(20:30)
6:30 ホテルからの景色 熱気球 乗らなかったのは私達を含めて三名のみ。 10,11,14,18,20,24人乗りがあるらしいです。「妖精の煙突」すれすれまで降下は ベテランだそうです。空の上からみるカッパドキアはそれはもう最高!でした。 と皆さん言ってました。うらやましい〜
ミニハイキング(9:10-10:00) 現地添乗員が見つけたというTourist Hotel横のハイキングコース ゼルベ野外博物館(きのこ岩)ミニチュア版 のろのろ歩いてはとまりの25分、最後の15分はチャイタイム。 正直、なんじゃこれは? と言った岩礁地帯歩きでした。
トルコ石の店(10:10-10:30) 正確に言うと宝飾店です。トルコ石はトルコで取れるのではなく、 アトラス山脈周辺(アフリカ北西部)の砂漠で産出されます。店の名前は「AGAD」 「トルコ石の見分け方知っていますか?これ、どちらが本物ですか?」 「わからないでしょ?」「ニセモノはただの"トルコの石"ですよ。」 「街中で買ったらもっと高い!ここのはお得ですよ。保証書もつけます。」
Hanedanというシルクロードのキャラバンサライをまねた店でマス料理。 旅行5日目 コンヤからカッパドキアに向かう途中に二ヶ所の隊商宿があった ことを思い出しました。「Karavan=商人」「Saray=宮殿」 という意味だそうです。 昼食後カイセリへ
カイセリ空港は軍と共用でありセキュリティが厳重でした。 14:30→16:00 の予定がイスタンブールからのジェットがこない。 14:55→16:20になってしまいました。 空港がせまくて、お店もない。ちょっと退屈しましたが、自前の ガイドブック見ながらこれまでの旅を振り返ってました。
トラム(路面電車)乗車体験(17:50〜18:00) イスタンブールの最もにぎやかな通りのイスティクラル通りには、観光用と思われる トラム(路面電車)が走っています。一両、小さい、ぎゅうぎゅう詰め。 歩行者天国の、両側にはファション関係の店などがあり、人通りも多くにぎやかな通り の真ん中を走っています。何とか片側の店やパンスタンド・栗スタンドを眺めながら 体験しました。 感想 昔(大正時代)の荒川線?
名物、トルコののび〜るアイス。(Dondurma) 各地にあったのび〜るアイス、衛生的にお勧めできない。信用できる店で食べましょう。 ということで、旅行7日目で初めて食べました。ハーゲンダッツの甘さ控え版。 何故の〜びる。 サーレップと呼ばれる山蘭の球根を乾燥させた粉末が入っているからだそうです。 お土産に買ってきた。真夏に作って食べてみよう。
8日目(4月27日) イスタンブール観光A
ホテル発8:10→皮製品の店(9:00-9:40)→グランドバザール(10:50-12:00)→昼食 →トプカプ宮殿(13:50-16:00)→一旦ホテルに戻って休憩→ディナークルーズ(19:15-21:15) →ホテル着(22:10)
皮製品のお店(Naturel)(9:00-9:40) 皮ジャンのファッションショーを見た後で買い物タイムにはいります。 女性のモデル、男性モデル、ついには客まで引っ張り出されファッションショー
グランドバーザールに行く途中に咲いていた「紫のチューリップ」 チューリップ トルコが原産だと知ってましたか? オランダじゃないんですよ。 チューリップの原種は、「アネモネ」赤いケシのような花です。
グランドバザール(10:50-12:00) イスタンブールの旧市街にあるグランドバザールことカパルチャルシュには 約4,000軒ものお店が出店しています。(広かったです) 貴金属から衣料品、陶器やアクセサリー、絨毯まで売られています。 出入り口だけでも20数箇所と、中はまるで迷路のよう。 公衆トイレは有料で1TLでした。
トプカプ宮殿(宝物館・ハレム両方観光)(13:50-16:00) トプカプ宮殿は15世紀中頃から約370年間オスマン・トルコ帝国のスルタン(君主) が住んでいた宮殿です。現在のトプカプ宮殿は1,467年に完成しました。 「トプカプの短剣」 金やエメラルドによって装飾された長さ35cmの短剣(ダガー)で、 エナメルの七宝画が施されています。柄の頭には、巻き時計が埋め込まれています。
「スプーン職人のダイヤモンド」 86Caratもある大きなダイヤモンドの周囲を49個ものDiamondで取り巻いたもの。 漁師が拾ったこのダイヤの原石を、あまりの大きさにダイヤモンドとは判らずに、 市場で3本のスプーンと交換したという伝説が残っています。 (他にも、ゴミ捨て山からこの原石を拾った人が、市場で3本のスプーンと 交換したとも言われているようです)
ボスポラス海峡ディナークルーズ(19:15-21:15) K.S社、今年から初めてディナークルーズ。小船。雷雨に合い大変でした。 第二ボスポラス大橋(ファーティフ・スルタン・メフメト橋)は、 イスタンブールを征服し、「征服者」と呼ばれたオスマン帝国の皇帝、 メフメト2世に因んだ名称だそうです。 第二ボスポラス橋(Second Bosphorus Bridge)の通称でも知られています。
(第一)ボスポラス大橋 1,973年建設、別名ボアズィチ大橋、全長1,074m。第二は1,090m。 雷雨もやみ、しっかり動画で撮影してきました。 でも、パンツまでびっしょりのボスポラス海峡ディナークルーズでした。
9,10日目(4月28/29日) イスタンブール観光B→帰国
ホテル発8:50→ガラタ塔(9:30-9:50)→エジプシャンバザール(10:30-11:30) →昼食→アタチュルク国際空港14:00→成田着29日11:00,解散
ガラタ塔(9:30-9:50) 12階建て、高さ61m。その最上階に高さ53mの展望テラスがあり、360度のパノラマ が楽しめました。小さくかわいい塔ですが、ビザンチン帝国時代の528年、アナス タシウス帝が灯台として建設させたのがその始まりだそうです。第4次十字軍遠征 で破壊されますが、1,348年に後に残ったがれきを利用して建設されたそうです。
ガラタ塔から見えるブルーモスク(スルタンアフメット・ジャミイ) 6本のミナレット(尖塔)が綺麗に見えました。
エジプシャン・バザール(10:30-11:30) エジプシャン・バザールは、イェニ・ジャミイ(モスク)の裏手にありました。 こじんまりとしたマーケットで、スパイス・バザールという別名にふさわしく、 バザール内ではたくさんのスパイスが売られていました。
ドネルケバブ(肉の回転焼き) 手前はビーフ、奥はチキン。 パンにはさんでもらって2.5TL(120円)
アタチュルク国際空港着14:00 写真は、喫煙所。成田行きゲートの反対側。 滑走路に向かって右側、フードコートの2階、テラスにあります。 16時55分が遅れて17時40分。三回も喫煙。 添乗員さんも知らないとのこと、案内しました。 愛煙家の方、安心してくださいね。
写真:ボスボラス大橋です。
写真:五箇山上空 全体感想:トルコは良かった。バス移動が長く心配していたけど。 野菜、果物、肉、ヨーグルト、全て良し。80点の旅行でした。 20点の減点 ・日本パンフレットの場所には全て案内されたが、現地添乗員の順番パンフレットと違い過ぎ。 ・現地添乗員 バスの中 私の説明が終わるまで寝ないで下さい。十数回聞いた。かんべんしてよ。
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