透析の始まるまで

 平成11年2月、吐いてばかりで、急に具合が悪くなる。
食べてもいないのに、血糖値は高いまま。△△病院に入院となる。
血糖値は300以上、食事をすればすぐに吐く。その繰り返しだった。
食事をしないのに、血糖値が上がることもあるということを、この時初めて知った。

この入院が、すべての始まりでした。

この時は、まだ自分のことは何でも出来たし、同室の人ともおしゃべりも出来た。
訳もなく話しすぎて人を不愉快にさせるのでは、と心配するほどでした。
しかし、体のほうはクレアチニンが高くなり、透析を考えなくてはならない時期にきていた。

シャントの手術を予定した秋がくる前に、私は母の異変に気が付く事になる。

8月の休み、いつものように田舎にいく。妹たちと合流して、楽しい夏休みになるはずだった。
どことなく、調子がわるそうだったのに、本人の「大丈夫だよ。」に安心していた。
ところが、気持ちが悪くなる。
めまいもするようだった。
昼間、五平もちを食べたときは元気だったのに。
本人の表現力がなく、想像しかなかったが、とにかく、母を自宅に連れ帰る。
あくる日、△△病院の救急外来へ行く。結果は即、入院!
これには、私のほうが慌てしまった。
母も多分、慌てていたはずである。でも私は母の気持ちを察することができなかった。
入院して2日ぐらいだっただろうか。母が、病院の中をうろうろしはじめたのである。
病院の中で迷子になったのだろうと、最初はおもっていた。
しかし、そうではありませんでした。

我が家に電話がかかった。

「今、何処に居るかわからない。迎えにきてほしい。あやまってほしいことがある。」と言う内容のものでした。午後10時を過ぎていた。
私たちには、何がなんだか理解ができなかった。
夜遅くだったので主人が、病院に駆けつけてくれた。着いた時、母はベッドで休んでいたそうだ。
そして解ったことは看護婦さんと一緒に、電話をしていたと言うこと。
その前に点滴を自分で抜いた、ということが解った。
他人に叱られたことなどない母はショックだったにちがいない。
どうしてよいのかわからなかったのだろう。
その後の母は顔つきが変わってしまった。
早く退院させたほうがいい。そう思った私は看護婦と話をし、早急の退院を願い出た。
やっと、一週間後退院することができた。
家に戻った母は、病院でのことをずっと、言い訳をしていた。その話しはつじつまが合わず、わたしは、悲しさとやり切れなさから母に辛くあたっていた。
今考えると、この時期が私にとって一番辛かった。どんどん小さくなっていく母はもう、私の知っている母ではなく別人であった。母の前で泣き出したことも会った。悲しくて悲しくて…
だけど何も解決はしなかった…

しかし、しばらくすると、母も落ち着き病院のことがうそのようであった。
このままで、シャントの手術が受けられるだろうか。不安を抱えながらその日を迎えることになる。この時点では、母が呆けている、と口に出して言えず、心の中は重くやるせなかった。

透析導入
 手術の日、Nさんや妹夫婦も来てくれ、終了をまつ。
3時間位で終わる予定がなかなか終わらない。結局、5時間後に病室へ戻ってきた。その時、母の顔を見て、私たちは息を飲んでしまった。そのくらい母の顔は変わっていたし、言動もおかしかった。
手術をしたばかりだからと、みんなで慰めあっていた。そうでも言わないと、各々が不安だったのかもしれない。その時も、まだ私の中に危機感はなかった。
普通に入院生活をしてくれるだろうと思っていた。看護婦もそう思っていたに違いない。廊下の一番奥の6人部屋、人も通らず静かな部屋であったのが、あくる日の朝、ナースステーションの前に移動していた。4人部屋のメンバーを見たとき、少なからず私が動揺した。
一人では生活の困難な人の集まりであった。歩けないばかりか、話すことも解らず、その中に母が居ることだけで動揺していたのである。しかし、後で考えるとこのとき同室した人たちからは、いろいろなことを教えてもらった。

点滴ははずしそうになるし、話しはまともにできない。この時の付き添いは骨が折れた。
しかし、時間が経つにつれトイレもいけるようになり、正直ほっとした。ただこのときも、看護婦に話は私にしてほしいと言うぐらいで、呆けているのでは、などと口に出して言えなかった。

10月半ば、透析にはいる

透析

透析室から帰ると工事をしているとか、工事をしている人がいっぱいいるとか、意味不明のことを話す。そのように見えるのかと考えてみる。が、理解はできなかった。
透析室の母がどのようにしていたのかは解らないが、何とか日にちだけは過ぎていった。透析が順調なら退院して外部の施設で透析を受けることになる。△△病院でこのまま透析を受けたいことを何度もお願いしたが、結局☆医院になる。

12月の始め、☆医院へ、通院が始まる。

はじめ、この病院の異様な雰囲気に私が飲み込まれてしまった。
ベッドに横たわる大勢の人。
その傍らには、赤色の筒が並び、どくどくと血液が流れるのがみえる。
音は聞こえないのに波打つチュウブが人間の鼓動を伝えているようだった。
点滅しているランプはその人の命を表し、人は黙ったまま、前を見ていた。
この時の母の気持ちはどうであったのだろう。
多分、不安だったに違いない。けれど、私に母の気持ちをくみ取るだけの余裕がなかった。
病院から言われたとおりに、血圧を測り、体重を量る。透析の順番を取りベッドへ寝かす。体温を測りながら、テレビのイヤホーンをセットする。テレビの見やすいようにベッドの高さを調整する。昼食用の箸と止血ベルトを用意する。
隣のベッドをのぞく余裕もなければ多分、挨拶もしなかったように思う。誰も何も言わずただ見ているだけでした。