echigo009    「山岳巡礼」のトップへ戻る  越後百山一覧表へ戻る

越後百山 未丈ケ岳=みじょうがたけ(1553m)
登頂年月日 1994/.5/28 天候 晴 同行者 単独行 マイカー利用
東京(3.00)===小出IC===泣沢トンネル登山口(6.25-45)−−−道を間違えてロス45分−−−三又尾根取付(8.00)−−−松の木ダオ(8.50-9.00)−−−未丈ケ岳(10.25-11.30)−−−松の木ダオ(12.25-30)−−−三又(13.00)−−−泣沢トンネル(13.35)===巻機山登山口へ移動

未丈ケ岳二等三角点にて
六日町から奥只見へ通じる長いトンネルに入り、途中の泣沢待避所で重い扉を押し開けて外に出ると、まぶしい朝の太陽が降り注いでいた。 駐車場の広場には数台の自動車の外、テントも3つ4つ張られていた。名にしおう豪雪地帯は雪が融けたばかりで、草の芽もまだ小さくて昨秋より一層広々と感じる。張られたテントは渓流釣り、山菜採りの人たちだろう。末丈ケ岳に登る人は数少ない。薄紫の煙がゆらぐ小屋から、小父さ んが話しかけて来た。訛りのひどい新潟弁だが「未丈ケ岳へ登るのか」と聞いているらしい。 「道は毎年青年会が手入れしている。ここから3時間ほどだ」と教えられて出発した。

広場の隅に末丈ケ岳の道標がある。道は泣沢沿いに下って行く。早くも残雪の上を歩く箇所が出て来る。左岸へ徒渉する橋が流失したのか、あるいは流失を避けるため積雪期撤去となっているのか、橋脚の鉄パイプや敷板が斜面に散在しいた。幅3メートル、靴をぶら下げて徒渉。深さは膝下だが流れは急だ。一 歩一歩足探りで渉る雪融けの水は、わずかの間にしびれて来る。
この先、2〜3箇所ある橋もすべて落ちていたが、流水に浸からずに徒渉することができた。
沢沿いをなおも下って行くと、ブナの大木が茂る平坦道となり、その先に二つ目の道標がある。明瞭な踏み跡が左へつづいているが、これは釣り人のもので、道標の矢印は直進である。矢印どおり直進した先は、高さ10メートルほどの急崖の上で、潅木にしがみつくようにして下ると、沢芯に降り立つ。崖下はそのまま水流へと変わって、わずかな平坦もない。片足立ちでバランスを保ちながら靴を脱ぐ。前回はこの流れを渡らなくてはならないということがわからずに退却した。水流は幅5メートル、深さは膝まで。渡り終わると、冷たさを通り越して痛いという感覚で、思わず岸に飛び上がりたいほどだがそんな平もない。

徒渉を終って、道らしいものはないが左上へ急崖を攀じり上がると、そこに登山道があった。 鉄製の橋を渡ったところが案内書の三又である。ブナの原生林が広がり、その林床はまだ一面厚い雪に覆われている。雪上に登山靴の真新しい足跡が残っている。今朝のものに間違いない。考えもせずにこの足跡を追った。前方の高みには未丈ケ岳への稜線が望まれる。
どこまで行っても、一向に尾根に取りつく様子もないし、沢を離れようとしない。山菜採りの背負子がブナの根方にあったが人影は見えない。地図と照らし合わせるとどうもおかしい。とっくに尾根の急登を登っていなくてはならない。間違いに気づいて三又まで戻った。45分のロスだった。

未丈ケ岳山頂の雪田
とにかく三又の先で尾根に取りつかなければならない。雪で覆われた林床の薮をかきわけ、歩きやすいところを選んで、右手の尾根目がけて登って行くと、数分で尾根道へ出ることができた。雪は消えて、踏み固められた明瞭な道だった。
あとはコースを心配することもなく、ひたすら末丈ケ岳目指して高度を稼いで行くのみだ。間もなく背後には、紺碧の空に対比するような残雪の荒沢岳や越後駒ヶ岳が姿をあらわす。ブナに混じってヒメコマツの巨木が目を引く。その昔、地元場之谷村の人々が奥只見方面へ通ったという山道であるが、今もって手づかずの原生林を残し、訪れる人も少ないこの山域は秘境の趣を漂わせていた。その中にひっそりと聳立している末丈ケ岳は、これからも秘峰としての資格を保って行くことだろう。
974メートルピーク北側を、残雪を踏んでトラバースすると、赤土裸地の空き地に出た。ここではじめて10分間の休憩。実に静かだ。小鳥の囀りが新芽の梢をわたって行く。目の前に見えるのが1204メートルピーク、未丈ケ岳へはそこからさらに350メートルの高度差がある。
ひと休みして腰を上げた。傾斜がきつくなって来た。潅木の枝が登山道へ張り出している。苦手なヤマウルシがかなり目につくが、避け切れずに手で押し分けて行く。ウルシアレルギーの私は、あとのカブレが心配だ。ときおり雪渓が現れるようになったが道ははっきりしているし、先行者の足跡が残っているので心配はない。 雪渓上で水筒に雪を詰め込む。ふと見ると南方に見事な双耳峰。尾瀬の燧ケ岳だった。藍色にやや霞んではいるが、山影も鮮やかだ。

未丈ケ岳から毛猛山方面をのぞむ
ヒメコマツの巨木が見事な1204メートルピークまで来ると、落葉樹林の芽吹きが目にしみる未丈ケ岳が目の先に迫ってきた。あと一息に見えるが、まだ高度差300メートル以上を残している。ブナやヒメコマツが姿を消して、潅木帯に変わるあたりから道は険 しくなって来た。岩角や潅木につかまりながらの登りを、アズマシャクナゲの花を愛でながら、黙々と高度を稼ぎ、やがて笹と低潅木の広がりに変わると、空がいっペんに大きくなった。山頂南端への到着だった。山頂三角点は、あと少し緩く登った先にある。右手には潅木越しに大きな雪田がかいま見える。話し声が聞こえる。
登り着いた山頂は猫の額ほどの小さな山頂で、ニ等三角点があるのみ、山名表示一つなく、まことに地味なたたずまいであった。それにしてもこの展望の見事さはどうだ。雲一つなく、大気もよく澄みわたって、山岳展望にはこれ以上は望むべくもない好天に恵まれた。
しばらくははやる気持ちを押さえかねて、右に左に、いたずらに目をめぐらすだけだった。
一番目を引くのは何と言ってもま近くそそり立つ越後三山、真っ白な衣をまとったままの姿で、紺青の空と強烈なコントラストを見せていた。岩稜の荒沢岳は意外に迫力不足なのが気に入らない。
目の前の残雪豊富な山は何だ、地図と照らすと毛猛山だった。近いだけに力強い眺めだ。遠く妙高山など頚城の山々と北アルプス北部の連嶺。守門岳、浅草岳、御神楽岳、粟ケ岳、飯豊連峰、皇海山、平ケ岳・・・・ 山頂東側の大雪田には数人のパーティーが休憩していた。このパーティーも私と同様、尾根への取付を間違えたとのこと。一緒に山座同定のひと時を過ごして、彼らは先に下って行った。スケッチをしたり見飽きることのない眺望を繰り返し楽しんでいると、あっと言う間に1時間がたってしまった。ようやく私も山頂を後にした。

下山にかかると10人ほどの登山者が登って来るのに会った。それほど山慣れたという感じもしない年配者や若い男女だった。こんな寂しい山に、こうした登山者に出会うのがちょっと意外であった。
30〜40分下ったところで、先に下って行ったパーティーを追い越 し、登山口着は1時半を回ったところだった。
明日登頂予定の巻機山登山口へ移動の途中、栃尾又温泉に立ち寄って入浴。1軒宿の温泉は日本秘湯を守る会々員温泉であるが、隣のクアハウスしか入れてもらえなかった。
子供の頃からウルシアレルギーの私は、帰宅してから顔は腫れ上がり、両手は水胞となって崩れ、ひどい目にあった。いくつになってもアレルギーはなおらない。


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