echig019 「山岳巡礼」のトップへ戻る 越後百山一覧表へ戻る
登頂年月日 1995..5.08 |
天候 晴れ | 単独 | マイカー | 二等三角点 | |||||
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焼山温泉の1.5キロ先(5.10)−−−鉄製の橋(5.25)−−−アケビ平上端付近(6.10)−−−ルート誤りに気付き折り返す(6.40)−−−アケビ平上端付近(6.55)−−−昼闇谷に入って遡上−−−谷から尾根へ取り付く(7.25)−−−休憩5分−−−カール地形の下端(時刻?)−−−山頂肩の平坦台地(9.10)−−−昼闇山頂手前(10.05-10.10)−−−肩の台地(10.45)−−−カール地形の下部(11.45)−−−昼闇谷−−−アケビ平上端(12.35-12.45)−−−鉄製の橋(13.20)−−−駐車地点(13.35) | |||||||||
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【ツボ足登頂の記録】 緊張を通り越し、恐怖心と戦いながらの登攀。滑落の不安を押さえながら、標高差500メートルの雪壁状の斜面を這い登る
▼≪敗退≫・・・2005.05.05 3日前、5月5日に軽い気持ちでこの山を訪れた。準備が万全とは言えなかったためか、頭の中で描いていたルートと、現実との擦り合わせがうまく出来ず、ルートを誤ったのかと思って途中諦めて引き返してしまった。 しかしそのルートで誤りはなかったのが、スキーを携えこれから登って行く単独行者に聞いてわかったが、再度登る気力もなく断念した。 そのときのルート判断ミスの要因は、ネットで「冷たい沢を渡渉」とあったが、そのような沢に出会わなかったこと。そしてアケビ平は雪に覆われた平坦に近い大きな台地と推測していたが、緩やかな杉の林がつづくだけ、むしろ谷の西側に大きな台地が見えて、それがアケビ平ではないかと勘違いしてしまった。 ▼≪再挑戦≫・・・2005.05.08・・・写真集はこちら 3日前の敗退が尾を引いて気持ちの収まりがつかない。再挑戦することにした。今度は2万5千図を拡大コピー、ネットの記録と入念に照らし合わせて検討、準備は十分にやったつもりだった。いくつかあったネットの記録はほとんどすべてが山スキーによるもの、ツボ足のコース取りとは異なる所も多くなると思われるが、そこは現地判断しかない。 能生ICを出て国道8号線を西へ向かう。早川橋西詰で左折、早川に沿ったR270を走り焼山温泉の道標で右折する。すぐに橋を渡るが右手の焼山温泉とは反対の左の細い道を上がって行く。橋から1300m地点で残雪、車はここまでだった。「注意」という赤い字だけが目立つ看板が立っている。路肩のスペースに車を止めて出発、3日前より雪はだいぶ減って、今日は路面の出ているところの方が多くなっていた。 右方に下って行く道を見送り、左にU字状に左折する林道もまた見送り、道なりに直進して10数分鉄製の橋を渡る。この橋が出来たのは最近のことらしい。ネットで「冷たい沢を渡渉した」というのは、橋の出来る前、ここを渡渉したものと推測される。 橋から雪の林道を150メートルほどで左手の杉林の中へと入る。ここがアケビ平の取り付きで、見とおしのない杉林の中、つまりアケビ平の緩い傾斜を、コンパスで方向を確認しながら進んで行く。林床はすべて雪に覆われている。杉林に入ったら真っ直ぐ進まずに、右(西方)方向へ進んで谷の上縁部分に近いところを登って行くと方向を取るのに楽だと思う。 濃いガスではないが霧で見通しが悪いのが気になる。杉林の中央部分あたりにルートを取り、40分ほどで杉林を抜けると落葉樹林となる。そこがアケビ平の上端部。さらに少し登って西側を探すと藪が切れて昼闇谷へ降りられるところがあるが、それに気付かずにさらに登ってしまった。かなりの急勾配を30分、昼闇谷へ降りるところが見つからないのまま、誤りに気付いてひき返す。 とにかくこの山には赤布やテープのたぐいはなく、その上すでに山スキーシーズンが終ったのか、足跡もまったく見当たらない。自力のルートファインディングしかない。 雪の詰まった昼闇谷を遡上して行く。西側の斜面から崩落した岩石が無数に散らかっているのを見て、なるべく東寄りにコースを取って行く。谷に入って約30分、沢が詰まってきた感じになったところで、右手に藪の開けた沢状の斜面がある。これを登って尾根上に出ることにする。急勾配で怖い。12本爪アイゼンでも安心でききない。高さは50メートルほどだが落ちたら大変だ。キックステップで慎重に登りきる。 相変らず霧で見とおしは悪い。このままだと山頂を目指すのは無理となってしまう。 何とか晴れることを祈りながら尾根状の上りを行くと、大きな雪原が眼前に展開した。これがカールと呼ばれる扇状地だ。そのとき、まるで魔法のように上空に青空が広がり、雪に埋め尽くされた大きなカールの全貌があらわれた。カールを取り巻く昼闇山から高松山の稜線、烏帽子、阿弥陀山、それに背後の鉾ケ岳などが目に飛び込んできた。 昼闇山へは右手に見える稜線へ登りつかなくてはならない。それはカール壁の急峻な雪壁を攀じることでもある。どのようなコース取りがいいのか、しばし観察するが判断がつかない。直登を避けてなるべく斜登行をと考えた。しかし登り始めると思ったようにはいかない。その急峻さは緊張を通り越して「怖さ」として迫ってくる。ピッケルは不用と考えてストック一本。雪は腐り、蹴りこんだキックステップがほんとうに利いているのか、滑落したら停止は不可能、ケガではすまない。 何とか少しでも楽な斜面をと模索して、ときには横伝いに移動したり、小さな窪みがあるとそこで一息入れたりしながら、結局は急斜面を直登に近いコースで攀じて行った。両手を雪壁につき、一つのステップに3回の蹴りこみをかけて安全を確保、体力の消耗が激しいはずだがそれすら感じる余裕がない。 高低差500メートルの雪壁を何とか無事に登りきった。毛勝山の凍った雪渓急斜面、冬の八ヶ岳地蔵尾根の下り、あれに似た恐怖感だった。
ここまでくれば昼闇山までは200メートル余、あと一息、しかしかあの急登は並々ならぬものがありそうだ。 台地の右側にコースを取って先へ進む。尾根が1本にまとまったところで、右手の雪堤上に這い上がり、少し藪こぎをする。藪はアイゼンが邪魔になるがすぐたま雪の急登となる。 再び藪を通過してから恐怖心を掻きたてる最後の急登にかかる。一歩一歩のキックステップに時間をかけ、十分な安全を確認してから次の一歩を踏み出す。 ピークに手のかかりそうな地点で大きな雪の割れ目に阻まれる。私には到底ここを通過する勇気も技量もない。あと10分、或いは5分くらいか、ここまで登れば山頂に達したも同然、潔くひき返すことにした。 帰りも後向きでキックステップを確認しながら慎重に肩まで下った。しかしこれでおしまいではない。さらに500メートルの雪壁の下りが待っている。のんびりと休憩する心地ではない。 登りのときより幾分コース取りを変えて、傾斜のゆるいところを選んで下りたが、それでもほとんど後向きで一歩一歩キックステップを利かしながら下るのは登りと同じだった。 早く安心のカール底に着きたい、はやる気持ちを押さえ押さえて下りきったときは体の力が抜けるほど嬉しかった。 考えて見るとほとんど休憩らしい休憩は取っていない。そんなゆとりはなかったというのが本音であり、すでに脱水症状の初期で足に力が入らない。体力消耗と精神的な過度の負担で体は綿のような疲労感に包まれていた。 昼闇谷への急斜面の下降で最後の緊張を味わったあとはアイゼンを外し、アケビ平で始めて腰を下ろして安堵の胸をなでおろせた。 ほとんど休憩もとらず、8時間半近くの完全燃焼登山は、一方で大きな満足感にも浸してくれた。焼山温泉で汗を流してから帰路についた。 【反省その他】 ■ピッケルを携帯していれば恐怖心はかなり違っていたかもしれません。 ■私の恐怖心は、歳とともに単に臆病になってきただけなのか、自分ではよくわかりません。他の登山者がスイスイ登っているとしたら、この私はダメ登山者ということになってしまいます。 ■山頂から火打山、焼山方面の展望をものに出来なかったのは残念ですが、一応昼闇山を登ったという実感が持てた気がしています。 ■この時期は腐り雪でアイゼンが利いているのかどうか大変不安でした。登山適期は4月のもう少し雪の状態が良いときかもしれません。 ■昼闇山は山スキーに人気の山だと言います。山スキーヤーはこの厳しい急登をどのようにして登っているのでしょうか。下りについては、スキーを履けばそれほどの恐怖感はなく降りられるような気もしました。 ■ガスで見とおしが利かないと、カールから稜線へのコース取りの見当がつかないと思います。ガスのときは断念すべきでしょう。 ■私のコースとはちがって、もっと安心して登れるコースが取れるのかもしれませんが、見る限りそれと確信できそうなルートは見当がつきませんでした。 |