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越後百山 刈羽黒姫山= かりはくろひめやま(890m)
登頂年月日 
2006.09.20
天候 小雨 単独 マイカー 二等三角点  地図・石黒北東

長野自宅(4..00)===磯之辺登山口(6.40)−−−黒姫山(7.30-7.40)−−−登山口(8.20)

百名山と言えば深田久弥の日本百名山が元祖、最近では
刈羽黒姫山山頂
○○百名山とか××百名山などさまざまな百名山がブームのようにして出現している。越後百山もその口、日本山岳会越後支部の手によって選定されたという。
数多くある百名山と称せられるものの中で、全山踏破の最も難しいのがこの越後百山だと思う。名にしおう豪雪地帯、加えて高さこそたいしたことはないが登山道のない山がいくつもあり、私の力量では登れそうもない山が15座ほどある。

というわけで越後百山は85座登れれば御の字と思っている。今回はピクニックほどの黒姫山へ出かけた。黒姫山という山は3つある。長野県北信の黒姫山が有名、それに新潟県青海町の黒姫山で日本300名山、それと今回登った柏崎市南部の黒姫山、こちらは刈羽黒姫山と呼ばれている。

長野から高速で上越経由柏崎ICへ。インターを出て252号線を南下、高柳町で812号線へ入る。黒姫キャンプ場などの大きな看板のところを右折して磯之辺集落へ。ところが家並が途切れて少し進むと、大きく右カーブするところで通行止めのゲートに遮られてしまった。どうやら中越大地震の被害で復旧作業をしていしるらしい。地図を見ると山古志村とはそれほど離れていない。
この先には磯之辺集落があるから代替道路があるはず。左に橋を渡って林道が延びている。普通車通行が精一杯という感じの狭い林道で、一般車通行禁止の立て札、おそるおそるこの道へ入ってみた。すれ違いの待避スペースはほとんどなく、対向車のないことを祈りながら進む。運よく村人に会って尋ねると、このまま行くと磯之辺集落へ出られることがわかった。

何とか磯之辺集落へたどりつけてやれやれ。道路がこのような状況で大地震以来2年間、このコースから黒姫山へ登る登山者はほとんどなかったのではないだろうか。車道終点まで行ってみたが登山口が分からない。磯之辺集落へ戻って教えてもらう。
集落から先に枝道がいくつもあるが本道を進み、車道終点の手前路肩が広くなっているところで右手の一段高いところを見ると建物(登山者用トイレ)が見える。トイレのあるところが登山口の大きな広場、かなりの台数が駐車できる。ただし今回は広場への導入部が草に覆われていたので路肩に駐車した。

霧雨の中を出発。すぐに黒姫山キャンプ場を通過するが、草は延び放題で荒れていた。
この2年間登る人も少なかったと思われるが道の方は明瞭で木段なども敷設され、登山道にははびこる草木などもない。ただジョロウグモの巣が絶え間なく張りめぐらされているのには参った。あまり人の歩いていない証拠だ。ストックを振り上げて一つ一つ取り払って行かなくてはならないから面倒なことこの上ない作業がつづく。
しばらく歩くと草に埋もれそうな石仏を見る。植生もブナが目立つようになる。世界的にも有数な豪雪地帯、木々の根元付近はすべて斜面下側に這うよう曲がっている。

幸い雨は止み雨具を脱ぐことができた。
40段ほどの石段を登ると開けた台地に出る。ここに鵜川神社が建っていて展望も開けるが、あいにくの天気で遠景はもやにかすんでいる。天気がいいと守門、浅草、毛猛、未丈ケ岳などがのぞめるかもしれない。
山頂まではここから一投足の距離、20体以上もの石仏が居並ぶ脇から最後の登りになる。途中テレビの中継施設があり、その先が石祠や二等三角点のある黒姫山山頂だった。
山頂にはしっかりした避難小屋もある。樹木に囲まれて展望はほとんどない。

展望もない山頂で長居は無用、すぐに下山にかかる。画材用にと思ってヤマブトウのつるなどを取りながらのんびりと下った。

これで越後百座は59座登頂となった。


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