山行報告−餓鬼岳・唐松岳

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餓鬼岳=がきだけ(2647m) 唐沢岳=からさわだけ(2632)

長野県 2003.09.15-16 単独行 マイカー
コース ●長野市自宅(5.00)===白沢登山口(6.20-35)−−−紅葉の滝(7.20)−−−魚留の滝(7.45)−−−最終水場(8.05-10)−−−大凪山山頂の道標(9.17)−−−休憩(9.45-10.00)−−−百曲り下(1.35-40)−−−餓鬼岳(11.30)−−−餓鬼小屋泊
●餓鬼小屋(5.50)−−−餓鬼岳(5.55-6.00)−−−餓鬼のコブ(6.25)−−−唐松岳(7.25−40)−−−餓鬼のコブ(8.32-35)−−−餓鬼岳−−−餓鬼小屋(9.15-40)−−−百曲り下(9.51)−−−大凪山道標(10.37-45)−−−最終水場(11.37-45)−−−白沢登山口(13.10−13.30)===自宅(15.00)
左が花崗岩の岩峰「唐松岳」
快哉の山行!!
   思い出の“気合チラシ寿司”


  天気良し
  山良し
  小屋良し
  人良し

『からさわだけ』と言えば誰だって穂高の涸沢を思い浮かべてしまう。唐沢岳へ登った人はおろか、その名前さえ知らない人が多いかもしれない。
日本300名山の餓鬼岳は11年前の7月初旬に登頂済み、今回は登り残した唐沢岳が狙いである。
北アルプスもずいぶん登ってきたが、私の踏んでないピークがぽつんぽつんといくつか残っている。今年もそれを一つづつ拾い歩いている。

自宅から登山口までマイカーでわずか1時間20分、東京や奈良にいたときを思えばなんとありがたいことか。白沢登山口の駐車場は、以前は数台がやっとだったが、ずいぶん広くなっていた。3連休にあたり、駐車場は満杯、かろうじて空きスペースへ割り込み駐車できた。
今日は餓鬼小屋泊まり、時間はあり有り余るほど余裕がある。のんびりしたペースで出発。地道の車道を少し進むと沢沿いの登山道へ入り、平坦の道を進む。しばらくして桟橋で沢を渡ったり、小さな高巻きを繰り返したりして行く。岩を噛む足下の渓流が美しい。木々が紅葉するとさぞかし見ごたえがあるだろう。気にならないほどのアップダウンだが、これを何回も繰り返すとボディプロ−のようにだんだん効いてくる。ここは急がずに流れを観賞したりしてゆっくりと足を運ぶのが賢明だ。何しろ標高差1600メートル以上の急登を登らなくてはならない。
最初のポイント“紅葉の滝”を通過、まだ紅葉にはだいぶ早い。次の”魚留の滝”で落差のかなりある良い滝だ。足も慣れてきたところで沢を離れ、ようやく勾配が急になる。だらだら気分も引き締まってきた。

唐沢岳山頂からの鹿島槍ケ岳
一汗かいて登りきると最終水場に出る。連続した小さなハシゴや桟橋もここで終る。まだ喉は乾いていないが、冷蔵庫で冷やしたような支沢の流れを味わう。実に美味い。
時間があるのでゆっくり休めばいいのに、習い性というのか、一服するかしないかでもう立上がってしまった。
こらからしばらくは急登に次ぐ急登が待っている。足場の悪いガレの急登を攀じて行く。今朝方小屋を発った登山者とすれちがうようになる。昨夜は超満員だったらしい。1畳に2.5人というすさまじさだったとか、今日は3連休の最後の日、そんことはあるまい。

急登を登りきると大凪山々頂の道標地点、ここまで2時間42分、ずいぶんゆっくり歩いたつもりだが、登山口道標の4時間よりだいぶ早かった。適当な休憩場所がないのでそのまま先へ進む。ときおり樹間に見え隠れする餓鬼岳を目で追いながら、二つばかり突起を越え、日当たりの登山道脇で休憩。上空には青空が見えるが、谷からはガスが勢い良く上がってくる。下界は厳しい残暑の真っ只中なのに、ここでは日向が恋しいような肌寒さを感じる。
このままだと小屋着が早過ぎるので、時間調整に30分の大休憩のつもりで座りこんだが、結局15分で立ちあがってしまった。

コメツガ原生林の比較的なだらかな道を、息抜き気分で行くと百曲りの下に出る。ここからが最後の急登、つづら折れにぐんぐん高度を上げて行く。名前のとおり100に近いほど道は右左と屈曲を繰り返して餓鬼小屋へと登り着いた。
まだ11時を回ったところ、宿泊申し込みには早いので、取り合えず餓鬼岳山頂でしばらく時間をつぶすことにする。
かなりガスが上がってしまった。上空は東西真っ二つに分かれて、安曇野方面は白一色でまったく展望はない。西方は青空が残り、野口五郎岳など後立山の山々がいくつか目に入った。展望不芳の山頂にも飽きて、12時過ぎに小屋へ入った。夕暮れどきにもう一度山頂まで行って見たが展望はなかった。

昨夜の超満員とは打って変わって今夜の泊りは私一人だけ、こんな経験は始めてのこと。空いているのは嬉しいが、広い部屋の中にぽつんと一人、どこへ身を置いても落ちつかない。話し相手もない。でも今夜は他人のイビキに悩まされることはないという変な安心感があった。
夕食はチラシ寿司、それにしても山小屋の食事は良くなったものだ。バイトの女性二人がかりで私の夕食を作ってくれたようだ。器に入っチラシ寿司を見てびっくりした。それこそ定規と分度器をあてがって作ったように、幾何学的な美しさで出来上がっているではないか。それを褒めると「昨日はお客様が多くていい加減になってしまいました。今日は気合を入れて作りました」という返事。まさしく“気合チラシ”であった。
話し相手もなく、大部屋の隅っこに布団を敷いて、明るいうちから布団に入ってしまった。夜空には満天の星がまたたいていた。


≪山小屋≫
食事の質が格段に向上しているのはどの小屋も共通だが、建物・設備面でもデラックス化が進んで、山小屋の原点というか、昔の山小屋をイメージする小屋は、北アルプスではほとんど見られなくなって来た。そんな小屋の一つで1ヶ月前に泊った船窪小屋も、昔ながらの素朴なランプの小屋ではあるが、内外を改装して瀟洒な雰囲気になっていた。餓鬼小屋は建物も設備も昔のまま、みすぼらしい小さな小屋で、居住性は決して快適とは言えないが、失われたものへの郷愁を呼び起こすような雰囲気を残す、貴重な山小屋と言えるかもしれない。


翌朝、空は快晴、残月が中空にとどまっている。ご来光期待で小屋の外へ出て見たが東の安曇野方面は果てしない雲海の世界、ご来光は無理のようだ。バイトの女性二人もオレンジに染まる雲海の果てを眺めていた。
彼女たちは1ヶ月のバイトを終って今日山を下りるのだという。彼女たちには私が最後のたった一人の客となったとのこと。それで昨日の夕食も気合を入れて作りましたと話してくれた。
バイト最後の朝の記念にと写真を撮り、後日の郵送を約して私は唐松岳へと向かった。

標柱の左が針の木岳、その左方に剣と立山
往路、復路とも2時間半のコース、行程差200数十メートルのコル、その間にもいくつかのアップダウンもある。昨日登りの途中で会った人も正味5時間かかったという。
餓鬼岳の山頂で5分ほど展望と写真撮影。それにしても見事な大展望だ。北アルプス全山が見渡せそうな気がする。細かく山座同定をしている時間はない。ここに勝るとも劣らないという唐沢岳の展望を楽しみに、岩峰を一つ巻いてから急な下りでコルへ向かう。深紅に染まるウラシマツヅジなどを見ながら、すぐに森林限界からハイマツ、コメツガ樹林帯へと入って行く。
コルから餓鬼のコブへと登り返す。花崗岩の岩峰が朝日に眩しい。進行方向正面の後立山の山並みがだいぶ近くなった気がする。唐沢岳へは30分もあれば行けそうに見えるが、それほど簡単ではなかった。
コブの岩峰は左から巻いて、また下って行く。この下りは思いのほか大きい下りだ。風化した花崗岩の砂礫は、足を取られて歩きにくい。険しい岩場の通過が何ヶ所も現われる。一般登山道としてはやや厳しいコースだ。

樹林そして潅木帯を抜け出すと明るい草つきに出る。オヤマリンドウの花が朝露に濡れている。その先には朝日を受けて白く輝く花崗岩の岩塊、燕岳か甲斐駒を彷彿とさせる眺めだ。これが唐松岳手前の最後のピーク、再び大きく下ったあと険しい登り返しとなる。岩場の不得手な人や、高所恐怖症の人にはちょっと怖いかもしれない。花崗岩のザレも足元が不安定だ。岩登りをするような急な斜面を登りきると東西に長い唐沢岳山頂だった。三角点の最高点は西端にある。風化して刻字がよく読めないが三等のようだ。
ブナ立尾根の登りから樹間間近に何回も眺めて、いつか登りたいと願った山頂である。快晴の下、ピークに立ってその大展望に感激する。地図を見ると南北に長い北アルプスの中間という立地にある。まさしく北アルプス全山が見渡せそうな気がする。一座づつ枚挙していたらきりがない。好展望の餓鬼岳を凌ぐ屈指のピークではないだろうか。

ちなみに鹿島槍の見事な双耳、その背後には頚城の山々が雲海に浮かぶ。
立山、剣岳、赤牛岳、薬師岳、巨体蓮華岳、見事な三角錐は針の木岳、北葛・七倉・船窪・不動・南沢岳は先月歩いたばかり。
正面の三ツ岳から野口五郎、真砂岳はまさに衝立そのもの。鷲羽岳、槍ケ岳、穂高岳、笠ケ岳・・・・・。
剣ズリから燕、常念山脈と見飽きることのない山岳展望に名残を惜しんで山頂を後にした。

人気の高い名峰群が蟠踞する北アルプス、ただ一峰離れてたたずむ唐沢岳は、高峰居並ぶ中では高さも2600メートル余と見劣りする。好事家以外、訪れる人も少ないこの寂峰が、こんなに歩き甲斐もあり、ずば抜けた展望のピークであろうとは、一大発見でもしたような感激だった。
今年の山行の中では一番の山になるかもしれない。

小屋から唐沢岳往復は、予想を大幅に短縮して、休憩込みの3時間25分であった。
餓鬼小屋まで戻り、一休みしている間にもうガスが上がってきた。下界の気温の上がり方が早いのだろう。
足取りも軽く下って行き、大凪山で一服したあと、急なガレ場を下りきったところで、自分の体ほどもある大きなザックの女性が二人休んでいる。何と小屋のバイトの彼女たちだった。
もうとっくに下山している思ったのに、ここで追いつくとは思いもしなかった。あまりに大きな荷物に驚いて持たせてもらうと、一つは優に20キロき超えている。もう一つは何と25キロ以上はありそうだ。聞けば、下では午後1時に迎えの車が約束してあるという。到底間にあわない。
すぐ先の最後の水場まで下ったところで、重そうな荷物を私の空っぽ同然のザックに移すように勧める。遠慮する二人に、親切ごかしの押し売りはしたくないが、待っている自動車のこともあるし、変なお爺さんにここで会ったのが100年目と思って荷物を出しなさい、と強引に私のザックに入るだけ入れて、3人一緒に下り、1時を少し回ったところで登山口へ降り立つことができた。


同じ山小屋のバイトでも、大きな山小屋なら設備も良いし、従業員の寝食環境だって良いだろう。楽できれいな道を敢えて捨てて、あの小さな餓鬼小屋をバイトに選んだ彼女たちには、心意気というのか、そけだけでどこか心地よいもが伝わって来るような気がした。
彼女たちは関東の大学生で、サークルの山岳部に所属しているということだった。「山を後にする日に天気に恵まれ、良い人に会えてよかった」と言ってくれたのが、社交辞令でも嬉しかった。
「“気合チラシ寿司”のお礼が、ほんのちょっぴり出来たし、楽しい思い出を作ってもらえて私も嬉しい。どこかの山でまた会えるいいネ」と言葉を返して,迎えの車で去って行く彼女たちに爽やかな気持ちで手を振った。
1992.07.04の餓鬼岳日帰りの記録はこちらへ
 
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