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中央アルプス
将棊頭山(2730m)茶臼山(2653m)

長野県 2005.09.29 単独 マイカー 茶臼山 三等三角点
コース 桂木場登山口(5.22)−−−ふどうの泉(5.42)−−−野田場(6.30)−−−馬返し(6.42)−−−大樽小屋(7.05-7.10)−−−津島神社(7.55)−−−胸突八丁の頭(8.15)−−−茶臼山分岐(8.20)−−−将棊頭山(8.45-9.00)−−−茶臼山分岐(9.22)−−−行者岩−−−茶臼山(9.48-10.00)−−−茶臼山分岐(10.25)−−−信大コース分岐(11.10)−−−標高1800メートル付近、望岳台(11.35)−−−外木場登山口(12.30)
木曽山脈(中央アルプス)の山行記録はコチラにもあります
将棊頭山から駒ケ岳をのぞむ

将棊頭山・・・日本山岳標高84位
        日本の山1000

岳人のクラシックルートとして名高いのは、北アルプスでは島々谷からの徳本峠越え、南アルプスでは奈良田から転付峠越えなどがあります。
中央アルプスでは伊那谷内萱から木曽駒へのルートがクラシックルートと言っていいでしょう。

木曽駒には5回登っていますが、そのいずれもが千畳敷ロープウェイからのものでした。

私の通った辰野中学校は、西駒(=木曽駒ケ岳)登山が恒例の学校行事となっていましたが、それがなぜか私の在学当時は中止されていて、代わりに蓼科山への登山に変わっていました。今はまた西駒登山が復活していると聞きます。
天気さえよければいつでも教室の窓から西駒が望める、まさに「故郷の山」でした。学校登山は桂木場からのルートを往復したということです。そのルートをいつか歩いてみたいと思いつつ、その機会がなく年月が過ぎてきました。山岳標高100位以内にランクされる将棊頭山登山で、ようやくこのルートを歩くチャンスがやってきました。

大正2年(1913年)「聖職の碑」で知られる中箕輪尋常小学校の生徒遭難事故もこのルートでのこと、それは私の町の隣村の生徒たちです。私が若いころ勤務した松本支店取引先に、そのとき幸いにも生き残ることの出来た社長がいて、当時のことを何回か話してくれたことを思い出します。

註・・・私の故郷伊那から見ると木曽駒ケ岳は西に位置するために『西駒』、甲斐駒ケ岳は東に位置するので『東駒』と呼んでいました。



小黒川渓谷を奥まったところが桂木場登山口で、桂木場ルート入口の道標は「西駒登山口」となっている。
千畳敷ロープウエイが出来てから、あえて苦労に耐えるこのクラシックルートをわざわざ登る人も少ないと思っていたが、登山道は道路に例えれば国道並みの歩きやすさで、今もって多くの人が利用しているのがわかる。
20分ほどてブドウの泉という水場を通過、登りを意識させないほどよい勾配が長いことつづく。野田場と表示された小さなコルから10分ほどで馬返しとなり権兵衛峠からのルートが合流する。見たところ笹が茂り今ではあまり使われていないようだ。馬返しというからにはいよいよ急登開始かと気合を入れたがそれらしい感じはなく、なおも道は坦々と延びている。

白川コースを合流した先が標高2000メートル、1時間半で標高差700メートル余を稼いだことになる。気温が低くなってきたのを感じる。樹相も変ってダケカンバやコメツガが主体となって高山の雰囲気が漂うようになると、間もなく大樽小屋に着く。
5分ほどの立ち休みをしてから先へ進む。
ようやく勾配がきつく感じるようになってきた。気温が低く、それほど汗もかかないので足は快調だ。信大ルートが合流、帰りはこれを下って見るつもりだ。

国道クラスにたとえた道も、大樽小屋の先からは岩っぽい道となってきた。快調に高度を稼いで、津島神社の巨岩の前を通過し、1時間余で胸突八丁の登りを終ると「胸突の頭」、すぐ先が森林限界となって展望が開ける。茶臼山への分岐を右手に見送り、展望台らしい裸地に立つと正面に駒ケ岳、左に将棊頭山、右に行者岩から茶臼山がをのぞめる。風が冷たく寒い。

展望の楽しみは後に残して将棊頭山へ向かう。西駒山荘への道を左に見送り薄い踏跡をたどる。足にからみつくハイマツにズボンの裾が濡れる。ウラシマツツジやミヤマダイコンソウの深紅が目にも鮮やかに、高山の秋はもう初冬との境にあることを感じさせる。紅葉が見ごろかと期待してきたが、それらしい色模様は見えず、紅葉の外れ年なのかもしれない。

小さな岩頭を越え、あと一息登ったところに将棊頭山の標柱が立っていた。左下には西駒山荘が見える。
上空は晴れているが遠望の山並みには雲がかかり、峰頭しか望めないのが惜しい。八ヶ岳、そして南アは甲斐駒から仙丈、塩見などの頭。北アは穂高から槍、大天井とつづく峰頭、乗鞍・御嶽も頭だけが見える。
目の前には馬の背から駒ケ岳へ、そして宝剣岳という構図が、まるで写真でも見ているように美しい。

将棊頭山を後にしていったんコルまで戻る。順調に歩いて時間はかなり余裕がある。予定通り行者岩から茶臼山を往復することにする。コルからやや下ったところにルートがあり標柱も立っている。なだらかな山稜には踏跡が延びといて問題なく歩くことができる。崩れ落ちてきそうな行者岩の巨岩基部を巻いて茶臼山へ。コルから25分ほどで山頂に着く。岩の上に小さな社が鎮座し、三等三角点がある。ここも好展望台だが、北ア、南アの山々はすっかり雲が覆ってしまった。遠望のないのを惜しみつつ山頂を後にした。

来た道を戻り、大樽小屋の手前分岐では信大ルートをとることにする。
腰あたりまで笹が茂る様子から、桂木場ルートに比べると歩く人は少ないことがうかがえる。このあと道標もほとんどない。
あまりひどい道にならないことを願いながら足早に下って行く。ここは信州大学農学部の演習林の中、予想したほどの急坂はなく、道形も明瞭である。
右下に建物の屋根が見え隠れしているのに気づく。直進する道とその建物方面へ下って行く道とに分岐している。直進はやや登りかげんの道。さてどっちを取るべきか、しばし考えてから感で直進の道をとる。

あいかわらず緩い勾配がつづく。道標の類は一切なく、ルートはこれでいいのか、多少の不安を感じながら下って行くと、シラビソの幹に古い赤ペンキがときどき目に付くようになり、さらに古びたテープが残されていたりする。どうやら直進を選んだのは正解だったようだ。
1850メートル標高表示の先で唐突にしっかりした山道に合流した。あれっ、という感じ、これまで間違えた道を下ってきたのだろうか。そのすぐ先に樹幹に取りつけられたプレートがあった。現在地が「望岳台」で、左が「百曲りを経て桂木場」、右が「水無沢を経て桂木場」となっている。感で百曲を選ぶ。

《註》登りにこのルートをとった場合は、1800メートル標高表示の先で望岳台の道標を見たら、道は平坦となり、右手にちょっした岩の積み重なったところがある。この岩っぽいところを右に上がると私の歩いた登山道があります。
ただし、平坦の山道をそのまま進んでもいいのかどうかはわかりません。

百曲の名前どおり小さく切られたたジクザグ道がどんどん高度を下げて行く。樹相もブナなどの広葉樹林がうっそうと茂る森林となる。
長いジグザグを終わり、小黒川の流れに降り立つ。木橋を渡り川沿いに下って行くと高々とした堰堤を鉄梯子で越える。鉄梯子を降りて河原状の石ころ道をたどると舗装道へ出る。舗装道を10分ほどで今朝方の桂木場登山口の駐車場だった。



▼信大ルートは分岐などにも道標がないので注意が必要です。往復このルートを使うなら、舗装道の終点まで車で入つてしまった方がよいでしよう。
▼西駒登山口(桂木駐車場)から歩くなら、桂木場ルートのほうが信大ルートより時間的に早いような気がします。途中の景色や雰囲気なども特色はなく、あえてわかりにくいところのある信大ルートを取る意味はないような気がしました。
 
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