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山梨百名山 小金沢山(2014m)
登頂年月日 1990/05/27 天候 快晴 同行者 単独 汽車利用
新宿駅(0.01)〓〓〓塩山駅(2.43-50)−−−裂石(4.35-40)−−−千石茶屋(5.00)−−−上日川峠(6.00)−−−勝縁荘(6.25)−−−大菩薩峠(6.45-50)−−−熊沢山(7.05)−−−石丸峠(7.10)−−−狼平(7.20)−−−小金沢山(7.55-8.00)−−−牛奥雁ガ腹摺山(8.30-45)−−−黒岳(9.25)−−−白岩丸(9.40-10.15)−−−湯の沢峠(10.30-40)−−−車道(11.05)−−−焼山(11.35)−−−田野鉱泉(12.15)−−−景徳院−−−初鹿野駅(12.50)〓〓〓新宿駅


塩山駅をスタート、大菩薩峠から小金沢連嶺を南下、初鹿野駅へいたるロングコースを、足に任せて飛ばした10時間、完全燃焼の山行記録です。

小金沢山(熊沢山から見る)

初夏というより日差しは真夏の輝きであった。
新宿発0時01分上諏訪行は昔も今も変わらない登山列車、この夜も車内の大半は登山者が席を占めて、一般客はいい迷惑を蒙っている。マイカ ーですうっと行ってしまうより、やはり夜汽車の山行は一味ちがう。 2、3時間の乗車では眠るほどの時間もない。それでもいっときまどろんで2時43分塩山駅着。待ち合い室は寝袋にもぐりこんで仮眠中の登山者で一杯。
5時半始発のバ スまで3時間も待つのはもったいない。塩山駅から歩くことにする。駅から大菩薩方面へ歩く物好はめったにいないだろう。 深夜の街道をたった一人、闇にまぎれて影のように歩いて行く。裂石まで地図の上では約10キロ、時間にして2時間前後と踏む。1時間も歩いてふと後ろを振り返ると、塩山市の夜景が下の方に広がって見える。知らぬ間にかなり高度が上がっていた。 半柚のシャツでは寒い。タクシーが何台も裂石方面に走り去って行く。早いペースで歩いたが、裂石まで1時間45分かかった。時刻は4時 35分、すっかり夜は明けていた。

雲峰寺を左に見て車道を行く。車道20分ほどで指導標が登山道を右に示している。千石茶屋の前に立つと、南アルプスがくっきりと連嶺を連ねていた。 第一展望台で腹ごしらえをする。 第二展望台を過ぎ、車道が登山道とついたり離れたりするようになり、上日川峠の長兵衛山荘の前に出た。ここで改めて南アルプスの連嶺を確認する。甲斐駒から仙丈、北岳。南は聖、上河内岳・・・2年前には一つとして指呼できなかった山々だ。 化粧直しした勝縁荘を過ぎ、高校生のワンゲルのパーティ ーを追い越し、全容を現した富士山をカメラに収めて介山荘のある大菩薩峠への到着が6時45分、もう4時間も歩いたのにまだ早朝、介山荘に泊まった人々もようやく今日の行動を始めたところだ。

いよいよ小金沢連嶺縦走にかかる。人影の多かった大菩薩峠までとは違って、急に静かになった。コースも岩や根っこの張り出した急勾配となる。この坂道を登り切ると『熊笹山』の標識があった。その名の通り周囲は一面熊笹に覆われ、眼下の石丸峠まで枯れ草色の笹原が続いている。正面には富士山と小金沢山が、その右つづきに南ア連峰が並ぶ。
石丸峠へは小走りで笹原の道を5分の下りだった。『牛の寝通り』 への道を左に分け、十人余のパーティーを抜いて縦走路の登りにかかる。夜露の笹にズボンやジョギングシューズが濡れるのが気になったが、それはいっときだけだった。 ひとコブ越すと広い笹原の鞍部、狼平である。東に奥多摩方面の展望が開けた。
狼平から小金沢山までが意外に長かった。木の根が露出し、岩のごろつく原生林の道は、林床は苔に覆われ、ときに倒木をくぐ り、小さな上り下りを繰り返す。南アルプスの原生林を歩いているような気がする。

小金沢山の頂はわずかに西南の方角に展望がきくだけだったが、その中で富士山の端麗な姿だけはひときわ目を惹く。小金沢山を早々に辞して次の牛奥の雁ガ腹摺山に向かう。笹の茂る道は、ときおり踏み跡が二つ、三つに分かれるがまた一つにまとまる。
笹を抜けて登りついた広々とした山頂が牛奥の雁ガ腹摺山だった。これで雁ガ腹摺山、笹子雁ガ腹摺山についで、念願の三つ目の雁ガ腹摺山に立つことが出来た。ここでの展望は今日のコース中最も良い。富士、南ア、八ヶ岳そして奥秩父の連山。足下に広がる笹原は、風に揺れてさやさやと潮騒のように鳴っている。南アルプスがことさらに素晴らしい。
15分の休憩の後、深い笹の道をいったん下ってひと登り したところが川胡桃沢の頭。そこは広葉樹の新緑と枯れ木立との先に連なる白銀の南アルプスが、額縁を見るような眺めだった。
川胡桃沢の頭からなだらかな稜線の道は、展望のない樹林の中につづいた。大峠への分岐を過ぎると四囲黒木樹林の中に黒岳を示す標柱が立っていた。一等三角点が置かれているが、ピークというほどの高まりも感じないし展望もない。稜線の平凡な一点に過ぎなかった。
黒岳を通過したあとのタルミの広葉樹林帯は、新緑がようやく萌えだしたところだ。タルミから登りかえした膨らみが白岩丸の広濶とした草原で、目の先にはつい先日歩いたばかりの、大蔵高丸から滝子山への稜線が一望である。長かった予定のコースも、ようやく終盤となって、白岩丸のザレで気持ち良く初夏の陽光を浴びてくつろいだ。心地よいそよ風に汗が引いて行く。時刻はまだ9時40分だが、既に7時間近く歩きづめに歩いて来たわけだ。一日の歩程としては十分過ぎるほど歩いた。湯の沢峠まで下れば、前回の大菩薩連嶺南部縦走と接続することになる。 湯の沢避難小屋から沢沿いに、この前登って来た道を今度は逆に下って車道に出た。焼山、 田野鉱泉、景徳院経由で初鹿野駅までの長い長い車道歩きも苦にならず、また長丁場の疲れも感じることなく、今日の山行を閉めくくることができた。 (1990年5月記)


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