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山梨百名山 大蔵高丸(1781m)大谷ケ丸〜滝子山(1620m)〜大鹿山

登頂年月日 1990/05/13 天候 薄曇り 同行者 単独 マイカー利用
東京自宅(5.00)−−−初鹿野景徳院(6.45)−−−田野鉱泉(7.00)−−−焼山林道起点(7.30)−−−湯の沢峠(9.00)−−−大蔵高丸(9.20-30)−−−f破魔射場(9.50)−−−米背負峠(10.20)−−−大谷ケ丸(10.35-45)−−−滝子山(11.30-45)−−−曲沢峠(12.45)−−−大鹿山(12.55)−−−景徳院(13.40)
 1990.3.5 残雪の滝子山はコチラ

大蔵高丸の山頂は広々としたカヤトの原

笹子トンネルを抜けた先で国道20号線と別れ、日川を遡るように走るとすぐ景徳院である。
6時45分、景徳院前の駐車場に自動車を置いて歩きはじめる。快晴とはいかないが、雨の心配はなさそうだ。ここから湯の沢峠下までコースタイム約3時間の長い車道歩きがつづく。半柚にトレパン、ジョギングシューズという軽装、すぐに田野鉱泉石黒館だ。下山したらここでひと風呂浴びさせてもらおうかと考えながら通り過ぎる。
うんざりするだろうと思った車道歩きも、小鳥の囀に耳を傾け、青葉若葉の匂うような風に身をゆだねて歩けば結構楽しい。短い随道を抜けるとその先で道は二股に分かれる六本杉橋である。日川を遡上して左への道は嵯峨塩温泉から上日川峠へ、右が湯の沢峠へ向かう焼山沢林道でこれから辿る道だ。林道は急カーブを繰り返しながら上って行く。場違いなほど立派な神社がある。赤い鳥居が列を作った奥に社が見える。 『八大竜王社』とあった。
山の斜面を切り開いたわずかな平地に廃家が3軒、建物はしっかりしているようだが、窓は破れ、屋内は荒れていた。往時、春風に誘われて、村人の姿や談笑が、そして竃からは紫煙が立ちのぼっていたであろうに、今は人影もなく、やがて山里は朽ち果て、自然の手に帰って行くのだろう。

2時間近い車道歩きがようやく終わり、湯の沢峠への道標に従い少し勾配の増した未舗装の林道に入る。山菜採りの人達が、もう山から下りてきた。タチツボスミレ、シロバナヘビイチゴ、ニリンソウなど春の花に出会う。
林道はすぐに沢沿いの細道と変る。流れの桟道は朽ちかけ、苔蒸して頼りない。流れは細まり、登山道と流れが一緒になって、ぬかり気味となり、そして伏流水となって地中に消えていた。乾いた歩きいい道となり、空が広くなって登りついたところに立派な避難小屋が建っていた。舗装道はこの小屋の近くまで来ていた。ここまで自動車で来ると4時間近い林道歩きが省ける。
湯の沢峠は小屋から少し登ったところだった。峠は黒岳とこれから登る大蔵高丸との鞍部にあたり、高原の明るさが溢れている。丘陵状の草原に一段登ってその原に立つと、目前に聳える黒岳が堂々として見える。原を突っ切って潅木帯に入ると急勾配となって、これを一気に登りきるとカヤトの草原大蔵高丸の頂上だった。草原は芽吹きにはまだ早く、キツネ色に広がっていた。黒岳、大菩薩、雁ガ腹摺山、滝子山と眺望もいい。三つ峠山とその上には富士山が霞の中に不安定に浮いていた。

昼寝をしたくなるような長閑な山頂をあとに、今日の縦走コースを南下、次のポイント破魔射場(はまいば)に向かった。潅木の疎林と草原が交互にあらわれる尾根道を、終始右前方に富士を眺めながら小さな登降を繰り返すと、樹林の中に『1752メートル破魔射場丸』と記された木片があった。その先やや下ったところで急に樹林が切れて岩の散在するザレ場に出た。ここが『破魔射場』、南西面が大きく開けて大谷ヶ丸、滝子山、そ して御坂山塊から富士山と眺望に優れている。

ザレ場から笹薮の急坂を下る。天下石を過ぎ、樹林を急下降すると米背負峠の鞍部となる。芽吹いたばかりの新緑が目に染みる。ミヤマエンレイソウに目をやりながら急登を登り切ると、そこが大谷ケ丸の頂上だった。東面の林が切り開かれて、わずかな展望があるのみだった。

予定ではここから曲り沢峠をへて景徳院へ下ることにしてあったが、時間を見ると10時30分を回ったばかりで、脚の方もまだ余力十分、このまま下山するのは少し惜しい。滝子山を回っ て景徳院に降りることにする。滝子山まで足を伸ばせば、南大菩薩縦走が完成する。それにこの冬悪戦苦闘した雪の滝子山の素頻をぜひ見たかった。
山頂を後にカラマツの中、赤土の急斜面を下る。等高線沿いに山襞を何度も回り込むようにしてつけられた登山道は、踏み跡はしっかりしているが、 少々薮っぼい。それに分岐が二つ三つあったが道標はなく、やや不安を感じながら見当をつけて道を選んで行く。
背丈を越す深い笹薮に分け入る。足元の踏み跡は歴然としているが、この薮は不快だ。両手で掻き分け、顔をそむけて前進する。笹薮が一旦途切れたところに、見覚えのある小さなT字標識があった。この前積雪の中、大鹿沢から雪に半分埋まった笹薮を泳ぎ、道を失ってやっとこの標識を見つけてほっとした場所である。
ここからもう一度笹漕ぎをして急登をひと踏ん張りすると広い尾根となる。あのとき頂上への道がわからずに遮二無二雪をかき分けて登った斜面は、今見ると切り倒された雑木が散乱して、雪で覆われていなければとても登れたものではない。
今日は明瞭な登山道を、白縫神社と鎮西ケ池を過ぎ、ひと登りで滝子山山頂だった。雪がないだけであのときと同じだった。山頂は昼食の登山者で大賑わいだった。
歩いて来た大谷ケ丸、大蔵高丸は遥かに遠ざかっていた。

白縫神社からT字標識まではもとの道を引き返し、そこからは 大鹿沢へのコースを下る。ここも笹薮がひどい。登ってくるハイカーに出会うが、背丈を越す笹薮と細道で擦れ違うのも不自由なほど。
大鹿川支流の登山道は、連続する滑滝、小滝を観賞しながら、やがて分岐の道標を見て曲り沢峠への登りにかかる。
大谷ケ丸から直接下って来る道と合っすると曲り沢峠だった。 大鹿山まではすぐだった。1236メートル、三角点標と測量用のポールや旗が立っていた。お坊山が目の前にある。  
山頂から曲り沢峠寄りにやや戻って、尾根筋を田野、景徳院へのコースをとった。
駐車場に戻ったのが1時40分、長いコースだったが、疲労はたいしたこともなかった。

(1990年5月記)


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