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山梨百名山 滝子山(1590m)
登頂年月日 1990/03/05 天候 曇り 同行者 単独 汽車
新宿駅(6.22)〓〓〓笹子駅(8.15)−−−吉久保バス停(8.30)−−−堰堤(8.54)−−−道証地蔵(9.15)−−−切石(9.50)−−−長窪沢分岐(10.25)−−−小尾根取付(11.30)−−−造林小屋(11.45)−−−滝子山(12.15-35)−−−桧平(13.00)−−−車道(14.00)−−−初狩駅(14.40)

滝子山山頂にて

中央線下り列車が大月駅を過ぎるあたりから、右側車窓に三つのピークを凸兀として連ねた山稜が、その標高以上の力強さで注意を引きつける山がある。それが滝子山である。
昨日の笹子雁ガ腹摺山はやや歩き足りなくて、昨日と同様、新宿発6時22分の列車でまた笹子に向かった。
昨日も笹子駅で下車した登山者はなかったが、今日もまた私一人。
甲州術道を昨日とは反対に、笹子川に沿って大月方面に向かう。吉久保入口バス停で左折、吉久保の集落に入り神社角の道標に導かれて畑中の道を進む。中央高速道をまたぐと林道となり、大鹿沢沿いにゆっくり上って行く。
笹子駅からほぼ1時間で大鹿峠と滝子山との分岐、道証地蔵 (みちあかし)を過ぎ、大鹿沢の支沢沿いの山道となる。陰気な杉林を抜けると芽吹き前の明るい雑木林となって頭の重しが取れた気分になる。
沢を離れ高巻くようにして岩の露出した切石の上部を越える。ここは標高1100メートルあたりか。500メートルほど上って来たわけだ。
石切を過ぎると登山道のところどころに雪が出て来た。雪は徐々に増し、ほとんど登山道を覆うようになるが道形ははっきりしている。更に渓流沿いを遡上して行けば、渓谷は明るく広がり急流は一変してナメとなる。何段かに分けたナメは岩盤上を流麗な流れと化し、岩を洗うがごとくに滑る。この山歩きでこんな光景に出会えるとは思いもよらず、大きな拾い物をしたように嬉しい。

左手に崩壊した山腹を見るころから、雪は10センチほどとなり、沢はY字に分かれて道標に従い右の沢を伝う。雪はさらに増してコースも不確かとなる。立ち止まっては確認する作業が増える。
10時30分、造林小屋に着く。人の足跡らしきものは全く見えない。休憩することなく“滝子山へ”という板切れの表示に従い小屋裏の登りにかかった。葉にたっぷりと露を含んだ笹道となる。雨衣上下、 スパッツで完全武装。丈余の笹はものの10歩か20歩もすると、帽子から足まで雨中のようにびしょ濡れだ。滴が流れる。はらはらと舞い落ちてきたのは雪だ。笹露を払うためにストックを振る手は、凍えて痛みを伴い、指先の神経が薄れて行く。手袋は濡らしたくないので素手で我慢する。
やがて笹の葉は雪の重みを支え切れず登山道の上に倒れ込み、踏み付けたり、蹴払ったり、あるいはストックで持ち上げて道を開いて進むという難儀を強いられる こととなった。カラマツ林の笹薮は、登山道の確認も難しくなって来た。こんなところにこそ欲しい道標も、全く見当たらない。笹が雪圧に押し倒され、没したままの状態から判断すると最近このコースに入った登山者はいないのかもしれない。  
笹に隠れた道を探りながら、何とか分け進んで行く。ストックで笹をこじ上げて道を見付ける。 徐々に緊張感が高まり、先ほどまで呑気に滝を愛でながら歩いていたのが嘘のようだ。とにかくルートを外さないことに神経を注ぐ。
冷たさに我慢できず手袋をはめる。

ついにどうしてもコースがつかめなくなってしまった。ここまでは不明瞭ながら一応道形は確認できている。間違いはないはずだ。ところがここでぶっつりと道が途切れて進む方向がわからない。迷ったあげく、斜面を尾根に取りつけば滝子山へのルー トに出会える可能性があるのではと、雑木の藪を足首までの雪を踏み分けてがむしゃらに尾根を目指した。斜面を上から下に向かって雪に押し倒された身の丈を越える笹を踏み越えるのは並大抵のことではない。やっとたどり着いた尾根には、踏み跡はおろか縦走路とおぼしきものは識別出来ない。樹間を透かすと右前方に、一つの高みが霧に薄れながらも目に映る。あれが滝子山か。今いる尾根が縦走路でないとすればここはどこなんだ。再び迷うことになる。“迷ったときには元の場所に戻れ”この鉄則に従いさっきの道の途切れたところまで戻って探し直すことにした。

あっちこっち笹の下を探すと、あった、やはり道はちゃんと続いていた。もう少し丁寧に探すべきだった。しかし笹薮は相変わらずひどく、途切れがちな道を探しながら倍以上の時間を要して、ようやく笹薮を抜け出た。そこで樹相が変わってブナ林となった。笹薮を出たところには道標があり、滝子山と大曲峠を指しているのを見て安堵する。

道標からは直角に90度右に折れ尾根の登りとなる。雑木の尾根は一面の雪で道はほとんど判別出来ない。ただ忠実に尾根をたどってさえ行けば滝子山に着けるはずと信じながらも、やはり不安は拭えない。せめて足跡のひとつでも、赤布の一切れでもあればと人頼みの気持ちになってしまう。

この尾根上の無垢の雪面に、坪足の跡を残して30分も登っただろうか、小さな平坦地に小屋を見付ける。外観は荒れてはいるが中はしっかりしている。小屋の前に道標があって、一方は大谷ケ丸、反対側に滝子山を指している。
11時43分。笹薮を分けてここまでの約1時間半が、その2倍も3倍も歩いた気がする。
小屋に入ってザックを下ろし小憩を取る。テルモスの熱い紅茶が元気を回復してくれる。

道標はあるが、雪は膝下まであって白一色の世界、道はどのように通じているのか判然としない。道標の指す方向へ進んでみる。樹間を100メートルも行くと 急斜面に突き当たる。斜面には潅木が植生し、これを登るのはかなり険しそうだがこの急斜面の上が滝子山々頂と見当をつけ、最初の20メートルは雪を掻き分けて登ったが、潅木に遮られるともうにっちもさっちも行かなくなる。手近な木につかまって体重を引き上げる。しかし足場が悪い。雪と一緒にずるずると滑る。横に移動して足場を求める。太腿まで埋まる雪、胸につかえるような急勾配に悪戦苦闘がつづく。
右に左に移動しながらそれでも少しづつ高度を稼いで行く。登りやすいルートを探して移動しているうちに、だんだんと自分の位置が不確かになって来た。強引に潅木を越えようとして跳ね返され、頭から雪の中に転落する。もうこれ以上この急登は危険と判断。潅木の切れ目の方向へ水平に移動して行った。すると何と踏み跡の残る尾根に出たではないか。やったあ、ついに登山道に出たのだ。このときは本当に嬉しかった。

先ほど小屋を出てから急斜面に取りついたのが失敗だった。道標は大雑把な方向を示しているだけで、正確な方位を教えているわけではない。
足跡は何日も経過しているようだがもう安心だ。馬の背状の急な尾根をわずか登るとそこが滝子山の山頂だった。
前半の楽々気分とは一転、久しぶりに緊張した登山だった。ガスで眺望はないが頂に立てただけで満足だった。紅茶とパンで一人登項の喜びをかみしめた。
粉雪がちらちら舞いはじめた。

さてこの足跡は私の下山道となる道なのだろうか。ここで間違って大谷ケ丸への稜線縦走路にはいってしまうと、積雪、行程の長さから私には到底手に負えない。慎重に見極めなければならない。ふっと霧が薄れて今登って来た尾根の続きに標柱のようなものが認められる。ガイドブックの三角点峰かもしれない。
20分程の休憩の後、道標まで下ってみる。三叉路の分岐で立派な道標が立っていた。道標を見ると、造林小屋からコースを間違えてしまったらしい。

この先、足跡を辿って行けばもう心配ないと思うと、身も心も浮き上がるように軽くなるのを覚える。鞍部の先の小ピークに立ってあたりの雪を払うと三角点が出て来た。ここが1590メートルの三角点峰だった。
雪の急坂をグリセードしながら少し下ると、落葉樹林からツツジの密生地となる。
登りの困難さに比し、下りは道も明瞭で早い。要所要所には道標もしっかりしていて、滝子山のメインルートはこの南側の登山道のようだ。私の辿ったコースはどうやら冬向きではなかった。

桧平を過ぎると雪も消えて完全武装を解除、身軽になって桧植林の急坂を一気に下って沢筋に降り立ち、さらに 沢に沿ってどんどん下っていくと、広い林道となり人家のある藤沢集落に入った。
初狩駅着が2時40分。滝子山の方向を見れば、山はしぐれ模様に霞んでいた。雪となっているようだ。
いつも中央線の車窓から気にも止めずに見過ごしていた山が、この日からは思い出深い山に変わった。
(1990年3月記)


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