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山梨百名山 三頭山(1528m)
登頂年月日 1990/01/27 天候 快晴 同行者 単独 マイカー利用
東京自宅(4.30)===仲の平(6.45)−−−西原峠(7.50)−−−大沢山(9.00)−−−三頭山中央峰(9.15-10.00)−−−東峰−−−休憩舎(10.35)−−−鞘口峠(10.55)−−−風張峠(11.35)−−−昼食休憩(12.05-25)−−−仲の平(12.50)

三頭山中央峰からの富士山
三頭山は、御前山、大岳山と合わせて奥多摩三山と呼ばれる。山梨100名山ではあるが、東京の山という感じが強い。
冬型の気圧配置で安定した好天がつづく1月末に三頭山へ登った。

4時半マイカーで自宅を出る。中央高速八王子から滝山街道、五日市街道、桧原街道と夜明け前の道を走る。桧原街道は南秋川の渓流に沿って曲がりくねり、人家がひとかたまりづつ点在する寂しい街道、それでもれっきとした東京都下である。
バス停の仲の平に『西原(さいはら)峠登山口』の表示がある。ここから三頭山、鞘口峠(さいぐち)と歩いて数馬へ降りてくるのがよさそうだ。
今朝は相当に冷え込んでいる。都心でもマイナス気温の予想、ここでは氷点下5〜6度と思われる。
南秋川にかかる橋を渡って数戸の民家が点在いする集落への急坂を行く。寒さで耳たぶが痛い。車道とは言え自動車一台がようやく通れるほどの道 も途切れ、山にへばりつくような最奥の民家の軒下をくぐるようにして、畑の中から雑木の登山道へ入る。
道はすぐに支尾根にとりつく。さわさわ、さわさわと足下の落ち葉。 さくさく、ざくざくと足下に霜柱が崩れる。次第に雪が出てきて、やがてずっと雪の上を歩くようにな る。

約1時間、軽く汗ばんで西原峠に着く。ミズナラなどの疎林が美しい明るい峠だ。ひと息人れて、ほんの一足で槙寄山のピークに立つ。純白の富士山が大きくい。北の雑木越しには三頭山、たいした距離はなさそうだ。
さほど深くもない雪を踏んで気持ち良く先を目指す。紺碧の空は吸い込まれるように深い。高度が上がってくると、西側の展望が開けて、富士山、御坂山塊、大菩薩連嶺が目を楽しませてくれる。
明るい稜線上の目立たないピークには、小さい木片に『大沢山』と記されていた。
鞍部の三頭山避難小屋を過ぎ、 短いながら急な登りを終ると、最後は丸太の階段を登って三頭山の頂上に立った。9時15分。標柱に『三頭山中央峰』とある。昨夜の雪が1センチほどベンチに積もっている。一人の登山者にも 会わずにここまで来た。
気温はかなり低いが、風もなく 日だまりは眠くなるようなのどかさが漂っている。展望案内盤と地図を頼りに山名の確認をする。丹沢山塊とその背後には箱根の山・富士山 ・道志、御坂山塊・大菩薩連嶺・ 飛竜、雲取山とつづく奥秩父など・・・・・ 北側眼下には奥多摩湖の濃緑の湖面。隣の東峰にはスタイルのいいダケカンバが天を突いている。高山のねじれた樹幹と異なり、いずれもすらっ としている。高山の木と思っていたので意外だった。

ブナが目立つ鞘口峠への下降路は雪が凍結している。慎重に足を運ぶ。鞘口峠に降り立ったのがまだ11時前、このまま帰るのでは少し勿体ない。地図を眺めて考える。あと2時間半ほどのコー スとなるが、砥山から風張峠、浅間尾根に取り付いて数馬までを付け足すとちょ うどよさそうだ。
あまり人の歩いた感じはなく 、わずかに残る踏み跡を追う。ややペースを上げて私本来の歩きに戻る。無垢の雪に兎や小鳥の足跡が模様を作っている。浅間尾根へ別れる所でコースを取り違え、奥多摩有料道路へ出てしまったがそこが、そこにも風張峠の標識があった。登山道と車道の両方に風張峠の名前がついているらしい。『奥多摩道路最高地点1146メートル』とあった。
舗装道路を下りな がら浅間尾根への登山道を見落とさないように注意して行く。 『浅間尾根から数馬へ至る』の表示を見 つけて一安心。12時過ぎ、尾根道の日だまりで昼食 にする。木の間越しに三頭山が望まれる。三つのピークが並んで三頭山の名前そのものだった。
尾根の分岐から植林の急坂を下りついたところが、うまい具合にちょうど自動車を停めた場所だった。
(1990年1月記)

このほかに三頭山には2回登っています。

●1993.10.9 第1回奥多摩山岳耐久レースに参加、20時間9分で完走

●1997.01.5 仲の平−都民の森−三頭山−西原峠−仲の平
       (東京から奈良へ引越すとき、奥多摩の山とのお別れ登山)


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