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山梨百名山 倉岳山(990m)
登頂年月日 11990/03/25 天候 快晴 同行者 単独 電車
新宿駅〓〓〓鳥沢駅(8.50)−−−小篠貯水池(9.25)−−−石仏分岐(9.40)−−−小屋跡(10.05)−−−高畑山(1.25-30)−−−穴路峠(10.45)−−−倉岳山(11.05-11.20)−−−鳥屋山(12.00)−−−矢平山(13.00)−−−大地峠(13.20)−−−四方津駅(14.10)〓〓〓新宿駅

倉岳山

道志山塊の尾根道を、初春の陽を浴びて少し長く歩いて見た。
新宿駅からの列車は、ハイカーで大変賑やかだった。 鳥沢駅下車。4〜50人ほどが下車したようだ。扇山方面へ向かう人と、高畑山方面の人が半々くらいの感じだ。甲州街道に出て梁川駅方向へ少し戻るように行くとすぐ指導標に従い右折し、中央線の踏切を越し衆落の中を辿り、桂川のコンクリート橋を渡ると爪先上がりの道となって、小集落の小篠へ入る。
小篠の集落を過ぎると工事中の貯水地のわきを通り、薄暗い林道がしばらく続く。その林道もたいした距離はなく、大きなベニヤ板に乱暴な字で『登山道』と大書された案内に従って山道に取り付く。杉や桧の植林された林を左手に小沢を見ながら進むと、高畑山と倉岳山の分岐標示がある。ここで小沢を離れて右手の道をとる。すぐ先の石仏から高畑山目指して山腹の登りに取付くと、杉、唐松、桧などの混交林のじぐざぐを行くようになる。

急坂が一段落すると西北の樹林が切れて、大菩薩や小金沢連嶺方面の展望が開けた。
高畑仙人が住んだと言われる跡地から、よく手入れされた杉林の急登をひと登りして尾根筋に出る。さらに明るい尾根づたいに登って行くと、飛び出したピークが高畑山々頂だった。鳥沢駅から1時間40分。風はやや冷たいが、春の陽が一杯に降り注ぎ、明るく開けた山頂には私だけである。南側の展望が良く、御正体山に左側をすこしだけ隠された富士山が、ほば全容を見せている。三ツ峠山の彼方には甲斐駒、北岳、間ノ岳など白銀の嶺々。

高畑山からは尾根づたいに倉岳山へ向かう。行く手に尖った倉岳山の姿が見えるようになる。約150メートルほど下り、ちょっとしたコブを越すと穴路峠である。掘り割り状の峠道は、今はハイカーにしか用はないが、かつては甲斐と相模の往来に人々が行き交ったのだろう。
倉岳山へは峠から急登にとりつく。緩んだ勾配がもう一度急になって頂上へ着く。
倉岳山の頂上は南東がわずかに開いているのみで見通しはよくない。時間は早いが昼食にする。
このまま立野峠経由で梁川駅に下るにはまだ時間が早すぎる。もう少し先までこの尾根を辿って見ることにした。

頂上からは赤土の急坂である。ざらざらと滑って歩きにくい。この急坂を下ると後は楽な下りで、のんびりと秋山川を見下ろし、二十六夜山を目にしながら立野峠へ降り立つ。標高差200メートルほどか、20分弱の下りだ。
ここで梁川駅に降りずにさらに先へ進む。立野峠から少し登ったあとは、大体等高線700メートルから800メートルの間を何回も上り下りを繰り返す尾根歩きである。この尾根コース中、大半が南側の雑木が刈り払われ桧の幼木が植林されたばかりで、明朗で展望良好、いたって快活なコースだ。眼下秋山川の流れ、白くうねる道路沿いに点在する農村風景。山の上も里の村々も穏やかさに満ちている。
るんるん気分で小さいコブを二つほど越えて、次のピークには鳥屋山(とややま)808メートルの標示あった。次のポイントは寺下峠だ。スミレやマンサクの花などを愛でながら軽快に尾根上の慢歩がつづく。標高差100メートルほどの急勾配を登ったピークから倉岳山、南アルプス、小金沢方面が良く見えていた。
寺下峠に下り、ここで梁川に下ろうか、どう しようかと迷う。この先だと大地峠になる。大地峠まで足を延ばせば健脚向きのコースになるだろう。

寺下峠から突起を二つ越え、ややきつい急登を休まずに登りついたピークが矢平山(860メートル・三等三角点)。雑木が茂って展望は全くない。この先はもう登りはなく下りばかりだ。
大地峠から整備された歩きいい道を快調に飛ばして、四方津駅に出た。周辺の山に散ったハイカーはまだ帰りには少し早いらしく、駅には汽車を待つ三人の登山者姿があるだけだった。(1990年3月記)


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