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山梨百名山 棚横手山(1306m)と甲州高尾山(1106m)
登頂年月日 2003/03/12 天候 快晴 同行者 単独 マイカー利用
自宅(4.00)===勝沼IC===奥不動尊===深沢集落高尾山入口表示(7.30)−−−稜線(8.30)−−−林道横断−−−剣ケ峰(8.55)−−−高尾山(9.00)−−−棚横手山(9.50-55)−−−高尾山は林道で巻く−−−高尾山飯縄神社(10.55)−−−下山(11.15)    このあと岩殿山へ

棚横手山からの富士山

2日間の予定で山梨百名山をいくつか登る予定で出かけた。
初日は棚横手山と源次郎岳、余力があればあと一つを考えていた。ネットで簡単に下調べ、わからなかったら現地で聞けば何とかなるだろうといういい加減な思惑が裏目に出てしまった。

勝沼ICを出てぶどうの丘方面から奥不動尊を目標に車を進める。ブドウ農家のおじさんに「源次郎岳と棚横手山は奥不動尊から登れますか?」と尋ねると、「さあそんな山があっかなあ、聞いたことがあるような気もするが」と頼りない返事。登山へ出かけて地元の人に聞いても、すぐの裏山を知らないというケースだってけっこうある。仕方なく少し雪の残る狭い林道を突っ走って奥不動尊まではたどりついた。棚横手山も源次郎岳も道標がない。もう少し進んでみたが、その先は冬季通行止のゲートが固く閉ざされている。

勝沼まで戻り、今度は深沢集落側から林道を入ってみることにする。ところが最後の民家の先で「土砂崩れ、通行止」の表示。さて困った。持ってきたつもりの5万分の一図も家に置き忘れてきたらしい。昭文社の大菩薩連嶺を広げてみると、一応そこには2座とも山の名前が載っているが登山道は記されていない。なにしろ17年も前の地図であてにはならない。深沢集落から高尾山経由で棚横手山まで行けそうな感じだ。高尾山までは登山道が記されている。
深沢集落に入ったとき「高尾山入口」という表示を見てきた。それをたどれば何とかなるだろうという頼りなさではあるが、その表示近くに駐車して出発。民家の脇を抜けて狭く急な林道を登って行く。すぐに右手に鳥居が見えるのを見送って、なおも落石の散乱する林道を進むとすぐに終点、そこから薄い踏跡の山道へと入った。堰堤を高巻いたりして登って行くが、道型はいつ消えるともしれない薄いもの。イバラの藪がうっとうしい。枯れた倒木が放置されて通せんぼ、それを巻く踏跡もなく藪などをかき分けて通過することたびたびという状況がつづく。

頼りない踏跡も完全に消えてしまった。引き返すべきか思案。丸裸の山の斜面は、植林後間もないヒノキの幼木のみで上まで見通せる。かなりの急登だが裸山を幸いにこれを直登することにした。
いやになるような急登、一筋の踏跡には見えるが、それは鹿たちのケモノ道。一歩一歩足がずり下がりそうで、踏ん張るのも骨が折れる。はあはあぜいぜいのしんどい登り、果たして目指す棚横手山へ行けるのかどうかもわからないのに、何だか馬鹿馬鹿しくさえ思える険しい登りだった。
稜線へ登り着くと明瞭な登山道が通っていた。どうやら国道沿いにあった大善寺から登ってきているらしい。高度差にして300〜400メートルの直登だったと思われるが、とんだ大汗をかかれさてしまった。歩きやすい稜線の登山道を、高みへめがけて登って行くと、通信施設らしい構築物のある林道へ飛び出した。深沢集落と奥不
甲州高尾山々頂、背後は奥秩父連峰
動尊を結ぶ林道らしい。登山道を横切ってさらに登って行くと富士山が頭を見せてきた。ひと登りすると1091mの三等三角点となる。標柱には“甲州高尾山剣ケ峰”となっていて高尾山山頂はこの先であることと、富士見台という名前が指し示されていた。
棚横手山へ行くことができるのか訝りながら進むと、はじめて棚横手山の道標を目にすることができた。三角点から一投足で高尾山の標柱となった。 標柱には“甲州高尾山1106m”とあり、三角点より15メートル高い。行く先を示す山頂の道標には、富士見台展望台となっていて棚横手山の名前はない。
ここまでの途中には2ヶ所ほど奥不動尊とか、展望台という道標が立っていた。ということは今朝ほどの奥不動尊からも登って来ることができたということらしい。

それにしても地図にはない富士見台という名前がどこを指しているのか、疑問を感じながら高尾山をあとにして、相変わらず禿山に植林の終ったばかりの明るい水平道を過ぎると、少し雪のついた登りとなり、落葉樹の道に変った。
富士見台という小ピークとなる。御坂の山々の向うに富士山が7合目あたりまで姿を見せている。再び勾配を強めてひと登りすると三等三角点と『棚横手山 山梨百名山』の標柱の立つ山頂に達することができた。大富士見台の表示もあり、棚横手山イコール富士見台であることをはじめて理解した。下調べ不用意なこともあって、最後まで棚横手山へ着けるのかどうか不安な行程であった。やれやれと胸をなでおろす心境で富士山の眺めに見入った。

下山は、高尾山のピークは踏まずに、南側直下を通る林道で巻く。通信施設からの下りは、道のない急斜面の下りを敬遠して、尾根をたどることにした。尾根の下方には小さな建物も見えている。そこまで行けばきっと道があるにちがいない。植林のときに使った作業道らしい跡をたどって尾根に出ると、登ってきたときよりずっと歩きやすい。小さな建物は神社だった。高尾山飯縄神社の額扁がかかっていた。由来書には長野の飯縄神社と何かいわれがあるらしいことが書いてあった。神社からは荒れ気味だがしっかりとした道を一気に下った。
下山して見ると、そこは今朝ほど右手に見送った鳥居のところだった。ここから登っていたら苦労も半分で済んだのに、これもあとの祭りというやつであった。
予定外の汗を流したが、甲州高尾山は前から名前は知っていて、いつか登りたいと思っていた山。一方目的の棚横手山は昨秋はじめて知った山に過ぎないが、下調べを怠けたおかげて、思いがけず高尾山にも登れたのは幸いであった。
源次郎岳の方は、林道が通行可能とならないと無理だということもわかり、次は簡単に登れる岩殿山へ向かうことにした。


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