kai-036 山梨百名山一覧表へ 「山岳巡礼」のトップへ戻る
登頂年月日 1992/08/22 | 天候 晴れ | 同行者 なし | マイカー利用 | |||||||||||||
白岩第二砂防ダム(3.45)−−-角兵衛沢入口(5.50)−−−大岩(7.30)−−−角兵衛のコル(8.40)−−−鋸岳第一高点(9.00-9.40)−−−角兵衛コル(10.00)−−−大岩(10.30)−−−角兵衛沢入口(11.20)−−−第二砂防ダム(12.10) 角兵衛沢入口のコースを見落してしまい、丹渓山荘まで行ってしまったため、また戻って角兵衛沢入口へ着くまで2時間15分かかってしまつた。間違わなければ1時間強というところでしよう。 |
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頼りない資料だけで出かけることになった。 北海道遠征登山(暑寒別岳、オプタテシケ7山、手塩岳、ニセイカウシュッペ山、ニペソツ山、音更山、石狩岳、樽前山)から帰り、疲れを癒す間も惜しむようにして南ア鋸岳へ出かけた。 午後マイカーで東京を発ち、夕刻登山基地の戸台着。 戸台荘のおばさんが、『鋸岳へ登るなら車はもっと奥の“白岩”まで入れる』と教えてくれた。長い行程を考えると、少しでも奥まで入っておいたほうが安心だ。多分1時間の短縮にはなる。日帰り困難といわれるコース、それをあえて日帰りで登ろうとしている私には、この1時間の節約は大きい。 おばさんに「そのしっかりした車なら白岩まで楽に入れるよ」と太鼓判を押されて白岩まで進入した。 河原の中だが、案外走りやすく、大きな砂防ダムの行き止まりが白岩というところらしい。 明朝未明の出発に備え、コースの下見にでかける。石の転がる広い河原の中だが、懐中電灯でも歩けそうだ。 自動車の中で寝る。夜半星が見えていい天気だった。 夜明け前、3時45分に懐中電灯で出発する。 幅100メートルもある河原の中を、足場の良いところを選んで適当に遡上して行く。伏流となっていて流れはない。ペンキ印や赤布があったりするが、暗くて見落としがちだ。 水の流れが見えて来た。転石を踏んで右、左と流れを渡ったりしていくうちに、足元が明るくなってきた。 そろそろ登山コースの角兵衛沢入口に着くころと目を配っているが、案内書に載っていた大看板が見えない。背の高いケルンが立っている。 これが入口の目印ではなかろうかと思って、あたりを探してみたが、薄暗いせいもあってそれらしい道が識別できない。(ここが角兵衛沢の入り口であることを後で知る ) 次第に河原が狭まって来て、右岸にはっきりとコースが確認できるようになって来た。『石室六合コース』という表示がある。ここで戸台川は右に大きく湾曲している。赤河原と呼ばれるところだった。 湾曲したすぐ先、左手上に廃屋風の小屋が見える。まさか丹渓山荘ということはあるまい。もしそうだとしたら角兵衛沢入口をはるかに通り過ぎてしまったことになる。 巨石に『北沢峠』というペンキ書きがみえる。北沢峠の表示を追って急坂の山道へ入ってみた。このまま行くと北沢峠まで行ってしまう。今日は時間との勝負、気持ちはかなり焦っていて冷静さに欠けていた。地図確認の間も惜しくて遮二無二歩いて来てしまったが、5分ほど急坂を登ったところで不安になり地図を広げてみた。角兵衛沢はとうに過ぎていることは間違いない。ではその角兵衛沢はどこにあったのだ。 ここは気持ちの迷いを捨てて、いさぎよく戻って様子を見ることにしよう。廃屋風の小屋まで戻って、よくよく見るとまぎれもない丹渓山荘だった。
看板のある左岸から、角兵衛沢のある対岸にわたるとそこは例ののっぽケルンだった。さっきは暗くてわからなかったが、小さな標識と登山道が樹木の中にあった。 ほっとして樹林の道を15分も進むと、幅30メートルほどの涸れ沢に突き当たる。そのまま沢を横断したが、その先に道がつながらない。おかしい?踏み跡らしきものも見えない。念のためケルンのところまで戻って確認すると、確かに『鋸岳』の表示がある。この道で間違いないはずだ。 もう一度涸れれ沢まで行く。往復25分のロス。 やはり涸れ沢から先のコースがわからない。仕方なくかなり荒れた沢の転石の中をしばらく登り、左岸の樹林に入って道を探して見た。コースらしいものは見つからず、再び沢に入って遡上する。今度は右岸の樹林に入って見る。朝からのロス時間を考えると、これで道が見つからなかったら今日の登山は中止と決めて、苔むした原生林の中へ入って行く。思いもかけず明らかな踏み跡が見つかった。 これが正しいルートかどうか確信はもてないが、今はこの道をとるしか方法はない。祈るような気持ちで踏跡を追う。 巨岩の脇を通り抜ける。これがガイドブックの“大岩”だろうか。厳しい急登だ。左に涸れ沢が見えたりするが、踏み跡は細々と樹林の中をつづいている。 ときには踏み跡も消えかかったりして立ち止まる。焦る気持ちを抑えて慎重に判断する。 未明からもう4時間休みなく歩き続けてきた。体力の消耗も進んでいる。岩石の堆積するところで踏み跡は識別できなくなってしまった。道の迷いもあったりして精神的・体力的両面で、いつになく疲労感が大きい。 座り込んで休憩を取る。巨大な城壁のような岩壁が聳え立っている。これが角兵衛の大岩だろうか。だとすればこれが鋸岳へのコースに間違いないのだが・・・・。ようやく不安が薄らいで鋸岳への期待が高まってきた。 岩石堆積帯から左上に遡上して行くと、大きなガラ場に出た。まるで岩雪崩の跡かと思えるような、恐怖を覚える岩石のデブリ帯だった。一歩で半歩ずり下がるような悪場、岩片に乗ると岩もろともずるずると崩れる音、踏んだ岩石が回りの岩石も誘って崩れる。傾斜は胸を圧する急峻、一気に雪崩れる心配はないのだたろうか。不安がよぎる。汗が滝のようだ。ガラ沢の上部を見上げると、両側から岩壁が迫り、沢幅はぐっと狭まってきた。狭まった先がくびれて明るく見えるあたり、あれが角兵衛のコルだろう。 30分ごとに休憩を取らないとつらい。いつになく呼吸も乱れがち。魔窟にでも向かうような異様な岩石帯を、ひと足ひと足に気を使いながら、角兵衛沢入口から3時間の大アルバイトでコルへ登り着いた。 コルからは右へ、いかにも険しい岩の稜線をひと登りすると、鋸岳最高峰の『第一高点』だった。南面は覗くこともできない絶壁が切れ落ちている。 生憎周囲の山並みは雲の中で眺望はない。わずかに甲斐駒が見え隠れするのと、第二高点への切り立つ稜線、角兵衛の頭方面が見えるのみ。 40分程晴れるのを待って滞頂したが、結局期待した展望を得ることはできず、下山することにした。 コルへの下りで、浮いた木の根に乗ってバランスを崩し転倒、弾みでストックを飛ばしてしまった。いくら探しても見つからない。よほど遠くへ投げ飛ばしてしまったようだ。それにしても、もう少し場所が悪ければ何十メートルの断崖を体もろとも空中に飛び出してしまうところだった。冷や汗が流れる。 コルから角兵衛の頭へ登って、そこから第一高点を見げてみると、さすが足のすくむような険しいピークであった。 下山も角兵衛沢入口まで1300メートルの高度をひたすらの下りだ。流れる汗に水を飲み尽くしてしまい喉はからから、早く沢に着いて水をガブ飲みしたい。 今朝、涸れ沢の先でコースが不明となったところは、何のことはなかった。 ケルンから涸れ沢へ着いたら、沢を渡ったところで少し下流側を見れば道があったのだ。登山道は当然上のほうに向かっているだろうという先入観念が、判断を誤らせてしまった。赤布などもついているし、冷静に探せば見落とすはずもないところだった。 これだけ汗をかいた登山も久しぶり、まさに完全燃焼。大きなロスタイムがあったが、予定より相当早い時間で踏破することができた。沢の水を思い切り飲んでから白岩の自動車まで下った。 未明に石ころだらけの河原の中を登ったが、右岸を歩けば迷いようもない歩き良い道がついていた。 |
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