kai-037 山梨百名山一覧表へ 「山岳巡礼」のトップへ戻る
登頂年月日 1988/08/18 | 天候 晴れ | 同行者 なし | JR、タクシー、バス | |||||
広河原(4.30)−−−分岐(4.45)−−−大樺沢二俣(5.50)−−−八本歯コル(7.05)−−−北岳(7.45-7.55)−−−北岳山荘(8.35)−−−中白峰岳(9.05)−−−間ノ岳(9.50-10-10)−−−三峰岳(10.30)−−−熊の平小屋(11.20) ≪小屋泊り≫ 熊の平小屋(3.05)−−−小岩峰(4.00)−−−北荒川岳(5.05)−−−北俣岳(6.05)−−−塩見岳(6.30)−−−塩見小屋(7.00-7.10)−−−本谷山(8.10-8.20)−−−山伏小屋(8.55-9.10)−−−新塩川小屋(11.20) |
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南アルプス南部の縦走から1周間後、今度は北部の縦走に出かけた。 南ア北部は山小屋も整っているし、南部の時の緊張に比べると気持ちにもゆととりがあった。 23:48分新宿駅発。甲府からタクシー相乗りで広河原へ向かう。 第一日目(晴れたり曇ったり)
二俣へ登りつくと、朝陽に輝く北岳胸壁が眼前に迫ってきた。二俣からは傾斜が一段ときつくなる。負けずに頑張る。雪渓の脇から沢を詰め、八本歯への急登を、梯子に助けられて攣じる。2時間半ほどで吊り尾根の按部、八本歯のコルに登りついた。急登を喘ぎ、体をずりあげることに専心していた私には、予想もしなかった展望が目に飛び込んできた。カールを巻くようにして、中白峰、間ノ岳、農鳥岳の3000米峰が朝陽にまばゆい。しばし見とれてから北岳へと向かった。 わが国第二位の高峰北岳山頂は、いつの間にかガスが広がり、大きな展望を楽しむことはできなかった。 北岳山荘は素通りして、中白峰、間ノ岳へとつづく雲上のコースへ歩を進める。思いのほか勾配がある。 間ノ岳山頂も、霧で視界はきかない。だだっ広い頂上でしばし休憩ののち、熊の平へ向かう。 岩片のガラガラコースを下り、登りかえすと三峰山の頂上。標高は3000メートルに1メートル足りない。 間ノ岳、農鳥岳を左手に見ながら、熊の平小屋へ下降していく。樹林帯に入り熊の平に近づくとお花畑が美しい。
こざっぱりとした、寝心地の良い小屋なのに、昨夜は宿泊ゼロだったとのこと。今日は二人パーティが一組、単独行者4人(内女性1)。キレイに洗濯された枕カバー、清潔な毛布、今までの小屋泊まり体験の中で最も良い環境だった。 第二日目(天候 曇り・霧) 目が覚めたのは2時50分。耳をすませて天気の様子を探る。雨の音?しかし予定どおり今日中に鹿塩温泉まで下りたい。ちゅうちょする気持ちを奮い立たせて、寝静まっている二階から物音を立てないように注意しながら、そっと一階に下りて身支度を整えた。雨具を着ていると、同宿の男性が下りてきて、「星が見えますよ」という。窓越しに空を仰ぐと、星がきらめいていた。外に出てみると、雨音と思ったのは沢音であり、雨の滴に聞こえたのは、木々の梢から夜露が屋根に落ちている音だった。 ライトを頼りにテント場の横を抜けて、本日の長丁場がはじまった。 ライトの光が届く以外、真っ暗闇でどこをどう歩いているのか方向感覚もなくなってしまう。ペンキ印のある踏みあとを外さないように目を凝らし、速いペースで仙塩尾根稜線の縦走路に出た。前半に少し無理しても時間を短縮しておけば、後半が楽に歩けると思ってがんばる。樹林の闇の中で山小屋で作ってもらったおにぎりを食う。 ようやく明けはじめた薄明の稜線を、安定した速度で距離をかせいでいく。急な登り下りはないが、それでも平坦ではないから、結構体力は消耗する。新蛇抜山も荒倉岳もどこがピークか分からぬうちに過ぎてしまった。ガスが濃くなってきて見とおしが悪い。早朝の露払い役となってしまい、靴はぐしょぐしょだ。 塩見岳をまじかに見る好展望台の北荒川岳も、霧が去来して視界が遮られたままである。 北俣岳へは大ガレの急登で、慎重に高度をあげていく。蝙蝠岳との分岐から塩見岳肩への斜面は、お花畑が美しく気持ちが和む。 塩見岳頂上はガスに巻かれて眺望はない。 西峰を踏んでから足場の悪い急傾斜を四本の手足を動員して下る。 三伏峠までは一方的な下りだけと思っていたら、あにはからんや何回も登り下りを繰かえさなければならなず、多少疲れも出てきたことも手伝って、本谷山への登りはことさらきつく感じた。 ぱらばらと雨粒が落ちるが本格的な降りにはならない。 三伏峠小屋に着くと、ほっとした安堵感が湧いてきた。今回の山行も、予定通り無事に終了できそうだ。新塩川小屋へ下りついたのが正午前の11時20分だった。 この日は13時間が標準のコースだったが、8時間15分という快調さで歩けた。このまま東京へ帰るのも余裕だったが、予定では鹿塩温泉泊まりを考えていたこともあり、温泉でゆっくりと休養してから帰ることにした。(1988年8月記) |
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