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山梨百名山 八ヶ岳赤岳(2899m)
登頂年月日 2003.02.15 天候 晴れ 同行者 単独 マイカー利用
長野市自宅(7.45)−−−美濃戸口(9.20)−−−美濃戸(10.20-25)−−−林道終点(11.15)−−−赤岳鉱泉小屋(12.10)・・・泊 赤岳鉱泉小屋(7.00)−−−行者小屋(7.35)−−−文三郎のコル(7.35)−−−赤岳(9.15-30)−−−地蔵の頭(9.45)−−−行者小屋(10.45-11.10)−−−美濃戸(12.10)−−−美濃戸口(13.00)

地蔵尾根の頭から赤岳を仰ぐ
マイカーで美濃戸まで入る予定で出かけたが、美濃戸口から先は通行止めだった。大雪のためだろう。
凍てつき、つるつると滑る車道を1時間歩いて美濃戸へ到着。この日の宿泊予定赤岳鉱泉へは北沢コースをとる。積雪量は多いようだが、歩行に必要な幅だけは踏み固まっていて問題なく歩ける。アイゼンをつけて下って来る人に2、3出会ったが、氷化箇所は少なくアイゼンを必要とするほどのことはない。
動くものが目に止った。カモシカが木の芽先を食べていたようだ。静止したまましばらく一頭と一人は静止して視線を会わせていた。上空を雲が覆いつくして小雪が舞ってきた。

12時10分、予定より早く赤岳鉱泉小屋へ到着。初日の歩行時間は約3時間。 3時過ぎから晴れ間が広がり、やがて雲一つない快晴に変った。小屋から30分ほどの中山乗越展望台へ出かけて、夕暮れどきの展望を楽しむ。傾いた夕日に照らし出された主峰赤岳を始めとする大同心、小同心、横岳の迫力ある岩稜の上には夕月がかかっていた。最後の残照が横岳の岩壁を赭々と染めて日は暮れていった。

私の日本300名山踏破は、そのほとんどが誰の手も借りない単独行によるもの、4座のみ複数行となったことが気にかかっていた。その一つが赤岳、一度登って勝手知った山を今度単独で登ってもたいして意味はないが、それでも単独で登っておきたいという思いで今回の山行となった。この日は金曜日、小屋はがら空き、宿泊客は11人だけで、そのうち写真目的が3人という淋しいような夜だった。

翌朝7時、アイゼンを装着して小屋を出発。硫黄−横岳−地蔵の頭−赤岳−文三郎−行者小屋というコースを予定していた。地蔵の頭までは積雪期に歩いた経験済みのコース。『放射冷却で冷え込んだなあ』そんなことを考えながら、手の指先が痛いほどに凍えるのを感じながら無意識に足を運んで気がつくと中山乗越へ来ていた。硫黄岳へのコースとは全然ちがう。何と言うことだ。小屋まで戻ってやりなおそうかどうしようか迷ったが、ここまで来てしまったのだから逆回りで縦走することに方針を変える。

行者小屋から文三郎コースの登りに取りつく。緩い登りがすぐ急登に変わる。アイゼンが雪面によく食いこんで気持ちいい。標高が上がるにしたがい、気温もいっそう低くなってきたのが分かる。足の指先、手の指先が痛くなってきた。
氷化した雪面は一歩誤れば大事故直結、アイゼンをひっかけないよに、足元に細心の注意を払っての登高がつづく。阿弥陀岳に反射する朝日がまぶしい。垂れた鼻水が、そのまま細い棒ように凍ってぶら下がっている。街中では見せられない格好も、ここでは気にならない。
このコースは、私が山登りを始めた初期、今から15年前の3月、何でも体験しておきたいという願望から、プロのガイドについて登ったことがある。降雪直後だった。あのときより雪面氷化などでルート条件は悪いように思われるし、また疲労感が強い。肩で息をしながらようやくという感じで文三郎の分岐に到着。立ち止まって一息入れながら眺望に見入る。眼前に聳える純白の阿弥陀岳と、峨々として険しさをそば立てる権現岳が印象的だ。

いよいよ赤岳山頂への岩稜の登りが始る。岩稜のために雪がつきにくいのか、要所要所の鎖が使えるので助かる。それでも険しさは決して甘くはない。慎重の上にも慎重を期して這いあがって行く。そう、ここは歩いて登るというより、這い登り、攀じ登るという方があたっている。拒絶するような凍った岩の狭い隙間を、足がかりを確保しなが少しづつ山頂に近づいて行く。いよいよ峻険となった岩場を抜けると、その先にはもう高みはなかった。赤岳一等三角点の山頂だった。
私が本日最初の登頂者となったようだ。風は比較的弱い。上空はピーカン。絶好の展望日和。岩かげてテルモスの湯を飲んでから、めくるめくような360度遮るもののない大パノラマに見入った。日本のヘソに立っている気分だ。山名を一つ一つ上げたらきりがない。15年前ここに立ったときは、わかる山は富士山くらいのもの、漠然と北アルプスがわかる程度だった。今はその連嶺の一つ一つが指呼できる。中空に浮かび立つ富士山、噴煙を上げる浅間山、中部山岳の主だった山々はすべて視界にあると言って過言ではあるまい。

しばし写真を撮ったりして陶酔のひとときを過ごした。
このあと横岳から硫黄岳方面へのルートが気にかかる。トレールがしっかりしていればいいのだが。とにかく地蔵の頭まで下ることにする。地蔵尾根からの登山者と出会い様子を尋ねると、地蔵の頭までの最後の急登がかなり厳しかったということで、やや不安が広がる。
地蔵の頭で横岳方面へのルートを目で追ってみると、トレールはあるが入山者は少ない気がする。鎖場や岩場のハシゴが雪に隠れていたら単独の通過は難しくなる可能性もある。立ち往生の危険を警戒し、無理を避けて地蔵尾根を下ることにした。積雪期に2回下った経験済みのコースだ、大丈夫と自分に言い聞かせて勇を鼓舞する。
しかしその地蔵尾根は前の2回とは様変わりの難物だった。下降を始めるとすぐに落ち込むような急なヤセ尾根となる。立ち木一本、潅木の枝一つない、ただ雪だけの急斜面の先は、激しく落ち込んで見ることができない。見えないということがかえって恐怖心を煽る。
ところによっては軟雪の箇所もあるが、概ね雪面は氷化していて、カカトでステップを切って下るということはできない。ピッケルの通らないほど固いところもある。登りならアイゼンの前爪を利かせてもう少し楽に登れるだろうが、下りではそれができない。後向きになり、ピッケルを深く突き刺し、一歩、また一歩と足を下ろして行く。まったくぶざまな姿だが、私にはこんな降りかたしかできない。
一歩足を下ろす。雪が耐えてくれるだろうか。不安を感じながらその足に体重を移す。大丈夫だった。また次の一歩、無事。夏場でも連続する鎖にすがって登り降りするコースだ。下に樹林や潅木林が見えれば、万一落ちてもそこで止る可能性があるが、何にもないというのは、こうも不安なものかと思う。
こんな経験は過去に2度、一度は北アルプス岳沢から奥明神沢の凍てついた急斜面、もう一つは毛勝山の40度近いアイスバーンの急斜面。この地蔵尾根もそれと匹敵するものだった。もしここで落ちたら、妻や子供にはまだいろいろと言っておかなくてはならないことがあった・・・・そんな馬鹿馬鹿しいことを頭によぎらせながら、恐怖心と戦いながら少しづつ下って行った。

胃の痛くなるようなストレスに耐えてうやく樹林帯に入ったときは「ああ、生きて降りることができた」それが実感だった。
私のようなビギナーは、地蔵尾根は登りにとるべきコースだったと反省。行者小屋前の日だまりで、安堵の休憩をとり、それから南沢コースを美濃戸へと下った。
帰宅の途中、原村“もみの木温泉”で厳しかった地蔵尾根を反芻しながら汗を流すと、はじめてこの山行の充実感が広がってきた。


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