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山梨百名山 帯那山(1422m)水ケ森(1553m)
登頂年月日 1990/03/26 天候 晴れ 同行者 単独 電車・タクシー利用
山梨市駅==タクシー==切差(8.45)−−−太良峠分岐(9.00)−−−林道出合(9.30)−−−帯那山(9.45-10.20)−−−奥帯那三角点(10.30)−−−弓張峠(11.05)−−−水ケ森(11.30-55)−−−弓張峠(12.20)−−−高成入口(13.10)−−−昇仙峡散策−−−昇仙峡バス停(14.00)

帯那山頂上
5枚綴りの青春18切符の期限切れを前にして、JRで出けるのに都合のよい、帯那山へ登ってきた。
登山口“切差”へのバス便は、午前中は一本もない。もったいないがタクシーを使う。2700円だった。

タクシーを使うなら、太良峠手前の登山道入口まで行くのが一般的であるが、案内書どおりでは面白くないので、切差からのコースを取って見た。5万図に載っている、切差から沢を遡って尾根に取り付く破線を辿って見ることにした。道標はないが、地図上ではその破線が二股に別れた右の沢についている。集落上部の林道からその右沢に入る。微かな踏み跡が認められる。薮で消えかかった箇所もあるが、何とか沢沿いを右岸、左岸と進む。堰堤を高巻いたりして、30分も行くと踏み跡が完全になくなって、行ったり戻ったりして探すものの、薮もひどくてそれ以上は無理だった。

仕方なくタクシーを降りた地点まで引き返L、ガイドフックどおり太良峠手前の一般コースに変更する。
急ぐこともないので、つま先上がりに舗装道路をのんびりと歩いて行く。戸数10戸にも満たない小集落“戸市”は、いかにものどかな山村の風情が漂っていた。山の斜面にわずかな平地を切り拓き、石垣を組んで 民家が構えていた。奥深い山村に似合わず、なかなか堂々とした造りであるが、気取りのない素朴さが好ましく、自然によく溶け込んでいた。既に廃屋と化した草葺き屋根に、雑草のはびこった様も、また一つの風情であった。

登山道入り口は、道標ですぐにわかった。
自動車の通れるほどの道には、帯郡山を指し示す標柱や、表示板がくどいくらいに目につく。道はやがて細くなってカラマツ林の中へと入ると、日陰にほんのわずか雪も見えた。
ブルドーザーが置かれた林道を横切って、左からぐるっと山腹を巻くように進む。拡幅工事中らしく、ひどいぬかるみで、たちまち靴は泥だらけ。途中で泥道を捨てて、桜の植えられた草っき斜面を直登する。桜の斜面から上は、道路取り付け工事のためか、喬木が切り倒され、それを跨いだり避けたりして芝の原に出た。そこがもう帯那山の頂上だった。四阿屋やコンクリートの休憩舎がある。
富士山や南アルプスの好展望台も、雲のために眺望はきかない。しばらく待つと、富士山の頭だけが、お義理のようにあらわれた。
芝に包まれた明るい山頂を辞して、三角点のある奥帯那山へ向かう。登山道から5分ほど入った所が1422メートルの三角点だった。
大菩薩、奥秩父方面の展望は、先ほどの帯那山より優れている。

もとの登山道に戻って北ヘコースを取る。雑木が張り出して歩きにくい箇所もあるが、植林地を抜け出すと道も良くなり、南西の方角に南アルプスの眺望が展開した。甲斐駒から赤石まで、3000メートル峰がずらりと勢揃いしている。しばらくこの展望を楽しんでから、尾根を上下して、大きく下ったところが弓張峠だった。ここで昇仙峡へ下るのが普通だが、まだ時間もありこのまま下ってしまうのも惜しくて、目の前の水ガ森のピークをもう一つ稼いで行くことにする。

弓張峠からの高度差は約200メートル、思いの外きつい登りだ。崩れやすい砂轢の登りは、踏ん張りが効かない。雑木の幹にしがみついたりして水ケ森山頂に立った。この登りは、実際には300メ ートルほどはありそうな気がする。
山頂は潅木が邪魔して眺望はよくない。わすがに開けた東面に大菩薩から甲武信岳あたりがうかがえた。訪れる登山者も少ないのか、山頂は薮の中で山名表示も小さなブリキ板に『水ケ森』と書かれ、木の幹に打ち付けられているだけだった。

山頂から北へ進み、昇仙峡へ下ろうとして、薮を分けながらしばらく進んで見たが、途中から完全に道を失って、もう一度山頂へ戻った。
登路をそのまま戻ることにして、登って来た道を駆けるようにして弓張峠に下る。
弓張峠からは明瞭な登山道を軽快に下って、春の陽がさんさんと降り注ぐ高成の集落に着くと、畑の周囲にはオオイヌフグリの紫色の花が群れをなして咲いていた。
高成川に沿って昇仙峡への道を下った。

(1990年3月記)


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