kai-057  山梨百名山一覧表へ  「山岳巡礼」のトップへ戻る

山梨百名山 茅ケ岳(1704m)金ケ岳(1764m)
登頂年月日 1993/11/23 天候 晴れ 同行者 妻 マイカー利用
柳原先の登山口(6.15)−−−林道終点(6.45)−−−女岩(7.00-7.05)−−−稜線(7.35-40)−−−茅ケ岳(7.55-8.05)−−−金ケ岳(8.55-9.20)−−−茅ケ岳(9.55-10.05)−−−女岩(10.35)−−−登山口(11.10)

茅ケ岳山頂

前回、一人で茅ケ岳へ登ったのは1989年2月11日、雪の降った翌日だった。雲一つない快晴の冬の日、処女雪を踏んで山頂に立った。

妻と連れ立った今回もまた、好天に恵まれた初冬の一日となった。
韮崎ICを出て柳平集落の先が登山口で、そこは標高1000メートル、枯れ草は真っ白に霜を置いていた。
落葉した林の中を、妻のペースに合わせてゆっくりと行く。ときおり野鳥の囀りが、透明な音色で冷たい空気を震わせる。吹きだまった、落ち葉が登山靴の下で軽い囁きを交わす。梢の先、夜の明け切った空にコバルトブルーが底無しに深い。

30分ほどで林道は終点となり、潅木の中に延びる細い道を、つま先上がりに15分の歩きで女岩の水場に到着する。
楢や櫟の明るい林の中には、踏み跡が幾筋もできて、訪れる登山者の多さを感じる。日本百名山の著者深田久弥終焉の山として、また東京から比較的近く、かつ登りやすい好展望の山として、ひと きわ高い人気を得ているためだ。

急になった登山道を30分頑張って稜線に登り着いた。大明神ケ岳側に寄った露岩からは、奥秩父の展望が大変いい。いっとき展望を楽しんでから、茅ケ岳の山頂を目指した。
茅ケ岳への急な登りにかかると、すぐ深田久弥が眠るように息を引き取ったという『終焉の地』である。それ を記した木柱、そして花が供えられていた。私達が今朝一番の登頂だと思っていたら、下って来る男3人組があった。
冬枯れた木立の隙間から、奥秩父の山並みを見ながら急登を終わると茅ケ岳の山頂だった。
甲斐の盆地を隔てて鳳凰三山が大きく聳立する。その背後には甲斐駒、仙丈、北岳、間ノ岳とつづく南アルプスの高峰群、すでに雪をまとってその姿は凛々しく変身していた。

実は、今日の登山の主目的は、茅ケ岳より標高で60メートル高いこの先の金ケ岳である。
茅ケ岳から鞍部に向けて急降下して行く。200メートルほどの高度を下り、鞍部から金ケ岳への登りにかかると、すぐに岩をくりぬいたような洞門をくぐる。
岩っぽい尾根を登って行くと、黒木に囲まれたピークに立った。ここが南峰で、観音峠から登って来る登山道が右手から合していた。樹林に囲われて展望はない。三角点の北峰はここからわずかに下って、もう一度登り返すことになる。
露岩の好展望地を通り過ぎるとすぐに北峰山頂に達した。このピークも潅木に遮られて展望には恵まれない。北の方角、木々の間から八ヶ岳が見えるだけだった。

山頂手前にあった露岩の好展望地まで戻って休むことにした。そこは南アルプス方面の展望がことさらに冴えていた。限下、釜無川流域の村落が長閑に冬の陽を浴び、畑から立ちのぼる紫煙が、ゆらぎもせずに真っすぐに天に向かっている。茅ケ岳も、中央線方面から見なれた姿とは違って、ごく平凡な山でしかなかった。
食事をしたりして30分程を過ごして下山の途につ いた。
茅ケ岳まで戻るとすでに多くの登山者が思い思いに場所を占めて憩っている。さらに登山口に向けて下って行くと、次から次、ひっきりなしに登ってくる登山者と行き交う。10人の大きなグループもある。女岩には何十人という人達が休憩中、さらに下ると50人以上の大集団。やり過ごすのにさんざん待たなければならなかった。

茅ケ岳を正面に見る深田記念公園で『百の頂に百の喜びあり』の碑を見てから帰途についた。
(1993年11月記)


山梨百名山一覧表へ   「山岳巡礼」のトップへ戻る