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山梨百名山 雲取山(2289m)
三峰口から縦走
登頂年月日 1995/02/18〜19 天候 快晴 同行者 単独 電車利用
霧藻ケ峰 三等三角点   白岩山 三等三角点   雲取山 一等三角点

●池袋〓〓〓三峰口(9.30)−−−大輪(9.45-10.00)−−−三峰神社(11.25-30)−−−霧藻ケ峰小屋(13.00-13.30)−−−前白岩の肩(14.20-25)−−−白岩小屋(14.55)−−−白岩山(14.55)−−−大ダワ(16.10-15)−−−雲取山荘(16.40)
●雲取山(6.15)−−−雲取山(6.45-7.30)−−−奥多摩小屋(7.50-55)−−−ブナ坂(8.15)−−−堂所−−−鴨沢バス停(10.00)===バスで奥多摩駅へ

雲取山山頂から見る富士山
雪山初級の、秩父三峰から雲取山ヘの縦走。

池袋から秩父鉄道直通の電車で、終点三峰口へ。下車した登山者は数えるほどしかいない。
ケーブル乗り場のある大輪を経由するバスは、都合よく15分ほどの待ち時間で出発、天気は期待したとおりの快晴。乗車15分で大輪バス停に降り立つ。ところが目の前には何と「ケ ーブルは点検のため28日まで運休しています」という看板、何も知らずにここまで来てしまったのに「そりゃあないよ」と言いたい。
戸惑いながら思案。計画は雲取小屋自炊泊の縦走、重い荷物を担いだ来たのに、このまま引き返すのも癪だ。

ケーブルの標高差は800メートルほどある。歩いて登ると山上駅まで2時間はかかる。雲取山荘までの標高差千数百メートル、それも雪の稜線を考えると、日没前に山荘へ入るのはかなりきつい。

思案した揚げ句、とにかく三峰神社まで歩いて登り、その結果でまた考えることにした。

三峰神社への道はケーブル駅舎の左側からはじまっていた。参道として手入れは行き届いているが、標高差800メートルはなかなか登り甲斐がある。
鉄の橋を渡ると早くも日陰には雪も現れてきた。目にしみる汗をぬぐいながら、一歩一歩ひたすら高度を稼いで行く。

大輪から約1時間0分で遥拝所。自動車道はここまで上がって来ていた。ちらほらと観光客の姿も行き来している。『そうか、ここまでタクシーで来る手もあったのか』
時計を見ると11時30分。雲取山荘到着前に日が暮れてしまう。取り敢えず霧藻ケ峰まで行ってみることにした。
雪の積った参道をたどり、奥宮への道を分けてから山道らしくなって、積雪も増えてきた。やがて本格的な雪道に変わった。

地蔵峠を後にして下って行く。大岩の小ピークに粗末な避難小屋があり、その先には立派な霧藻ケ峰小屋があった。管理人もいるし、ストーブが赤々と燃えている。宿泊を依頼すると、泊りは出来ないという。ケーブル運休の事情等を話すと、「大丈夫ですよ、ゆっくり歩いても雲取まで夕方までに着きますよ」 と管理人はこともなげに言ってくれる。
ここまでに消耗した体力を考えると、おいそれとは踏み切れない。「前白岩の登りが少しきついが、その後はもう心配するところはありませんよ」 と重ねて雲取山荘行きを勧めてくれる。
「もし万一ダメなら、白岩小屋で適当に布団を出して使えば泊まれますよ」 とそこまで言われて山荘まで頑張ってみる気になった。

小屋の正面に聳える和名倉山や両神山を眺めながら腹をこしらえ、午後1時30分雲取山荘を目指して出発した。白岩小屋に泊まれるという一言が効いて、気持ちにもゆとりが生じていた。
白岩小屋ならここから2時間みればいいだろう。日暮れまでにはまだ4時間はある。
霧藻ケ峰から下った鞍部がお清平で、ここから前白岩山への急な登りとなる。雪の下は岩場でアイゼンを装着。足はかなり疲れてきて、いつものスピ−ドは出ない。ひと足ひと足あえぐように登って行くと、霧藻ケ峰小屋で先行していった3人パーティと単独行者に追いついた。
コースタイムより時間がかかって前白岩に登り着く。ベンチに腰を下ろし、大きく横たわる和名倉山を眺めながら小休止をとる。

3人パーティーの後につづいて出発する。
前白岩山から下って行くと、白岩山との鞍部の雪原に白岩小屋が建っていた。施錠はなく、覗くと中には十分な布団もある。食料、炊事道具は持参しているので、ここで一泊するのに何の心配もない。時刻は午後3時、山のセオリーからいけば、もう山小屋へ入っていなければいけない時間だ。しかしこの先の白岩山さえ越せば、後はきつい登りはなさそうだし、時間的にも5時前には雲取山荘へ到着できそうな気がする。残りの体力や時間を計算し、雲取山荘まで行くことに決めた。

今度は3人パーティーの前に出て出発した。
これが最後の登りと思えば踏ん張りも利いて、白岩山をめざす足もいくらか軽くなったように思える。たちまち3人は後ろに離れていった。積雪の急登を撃じて登り着いた白岩山は、黒木樹林に囲まれて展望はない。標高1921メートル、朝から標高差千数百メートルを登って来たわけだ。テルモスの温かい紅茶でひと息入れて、頭では日没を計りながら山頂を後にした。
3人パーティーはまだ姿を見せない。

山頂から南面を下って行く道は、ところどころ雪が消えて地肌が見えている。下り傾斜が緩んだところでアイゼンを脱ぐと、急に足が軽くなってスピードが上がった。これまでとは様変わりに快調なピッチで時間を稼ぐ。長沢背稜へ分ける道標を二つ三つ横目で見送り、気持ちは早や雲取山荘へと飛んでいる。
樹陰に漏れる陽差しもすっかり西に傾き、気温が下がりだして、早くも夕暮れの気配があたりに兆してきた。 芋の木ドッケを過ぎ、大ダワの鞍部に着くころには、時計は4時を回り、夕暮れの気配はさらに濃くなってきた。ベンチに座っていると、体がぐんぐん冷えて行く。ぐずぐずしていて暗くなったら大変だという思いに急き立てられるようにして、雲取山荘への最後の登りにかかった。
気温が下がり、固く締まってきた雪を踏んで、巻道から山荘へ到着したのは4時40分だった。既に夕闇がすぐそこまで来ていた。
大輪をあんな時間に出発して、何とか明るいうちに山荘まで到着できたのは、この好天という味方あってのことで、まことにラッキ−であった。

山荘の様子は数年前の1月中旬、やはり一人で来たときと少しも変わっていなかった。山荘の中にいても指先が凍えて来る。コンロで温めた熱爛の酒が胃に収まると生き返るようだ。      

翌朝6時前、東の空に赤みがさしている。天気はよさそうだ。身支度を整えて6時15分山荘を出た。
雲取山への登りの途中、針葉樹林をとおして火の玉となって昇る深紅の太陽を迎えた。
30分で雲取山頂上着。これが3回目の山頂、富士山が遠く浮かび、目前に横たわる飛竜山の背後には、白銀の南アルプス連峰がみごとに連なっている。先着の数人が去って、一人になった山頂で展望のひと時を過ごしてから、鴨沢へ向けて下山の途についた。

(1995年2月記)


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