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山梨百名山 農鳥岳(3050m)
登頂年月日 1991/07/27 天候 強風雨 同行者 単独 電車・バス利用
●広河原(5.15)−−−草つきコース−−−小太郎尾根(8.00)−−−肩の小屋(8.25-35)−−−北岳(9.00-25)−−−北岳山荘(9.55-10.00)−−−中白峰(10.30)−−−間ノ岳(11.15)−−−農鳥小屋(11.50)
●農鳥小屋(4.30)−−−西農鳥岳(5.05)−−−農鳥岳(5.35)−−−大門沢下降点(6.05)−−−南沢(7.15)−−−大門沢小屋(7.30)−−−第一発電所(8.55)===バスで身延へ

暴風雨の農鳥岳山頂
まさかこれほどの大荒れに遭うとは予想しもなかった。 3000メートルの稜線上で、台風並の強風にたたかれての縦走となった。

新宿駅0時2分発の上諏訪行夜行は、大半の乗客が登山者で、座席はほぼ満席だった。甲府駅前始発3時5分のバスで広河原着5時。

二俣から草すべりを急登して北岳肩の小屋→北岳へと向かった。大樺沢を真っすぐ詰めて行く登山者が多く、草すべりコースへ入ったとたんに、急に人影のない静けさに変った。高度を上げるにつれてガスの中に入り、風も強くなって来た。寒さを感じて雨具をヤッケ代わりに着る。

きつい登りを快調に高度を上げて、御池小屋からのコースを合わせると北岳〜太郎山の稜線はすぐだった。このあたりで御池小屋方面から登って来る登山者の姿が再び多くなった。
稜線に立つと思わぬ強風にさらされた。広河原の登山口では考えもつかなかった荒れ模様である。できたら太郎山を往復してから北岳へ向かう予定だったが、この荒れ模様を見て断念、真っすぐ北岳を目指すことにする。

初めて小休止をとったのは北岳肩の小屋前だった。広河原から標高差1500メートルを休みなしで登ってきた。濃いガスで周囲の様子は全く分からない。
肩の小屋から予想以上にきつい登りの末、北岳山頂に到着した。ふだんは大賑わいの山頂も、この荒天に人影もない。早々に山頂を辞す。
稜線通しに北岳小屋へ向かう。岩稜の急な道だったが、途中でチョウノスケソウを発見、一度見たいと願っていた花だけに嬉しい出会いだった。北岳山荘は雨を避けて休憩する人々で大混雑していた。中を覗いただけで入る気にもなれず、建物の陰で喉を潤し、すぐに小屋を後にした。

雨交じりの強風はさらに激しくなって来た。風に煽られて真っすぐ歩くのさえ難しい。中白峰にはこの荒天にもめげず、4人のファミリーがいるのを見て心細さが薄らぐ気がした。岩のペンキ印を見失わないように慎重に足を運ぶ。前回もそうだったが、ここから間ノ岳への登りは、麓から山を一つ登るようなきつさを感じる。すでにトータルで2000メートル近い高度差を登って来ているのだから、疲れているのは当然である。

この悪天候になおさら足が重い。気を抜くと吹き飛ばされそうだ。ケルンの陰で若い男が二人、風を避けて休んでいる。 「間の岳はまだでしょうか」 と聞かれる。「この登りをもうひと頑張りですよ」 というと「ベテランは平気で歩けるんですね、ああよかった心強いです」 私のことをベテランと思ったらしい。私のような初老の人間を心強い相棒と思いこみ、一緒に歩く積もりになったらしい。しかし私もかなり疲れている。台風並のこの大荒れの稜線を早く逃げ出したい。早く小屋に着きたい。「気をつけて」 と一声残して足を早めた。

間の岳は立っているのも難しい突風交じりの強風が吹き荒れていた。岩陰に若い女性ががたった一人で嵐を避けていた。聞けばこれから熊の平まで行くのだという。か弱そうな24,5才の美人である。農鳥小屋から来たのだという。一人で大丈夫だろうか。「岩のペンキ印を外さないように、三峰岳まで慎重に行けば後は大丈夫ですから・・・」と、お節介な言葉をかけて、私は休みもとらずに農鳥小屋目がけて急坂を下った。
前から後ろから、そして右左絶え間なく烈風が襲って来る。幾度も風に押 し倒されそうになりながら、必死に足を踏ん張って岩片のがらがら道を、膝をがくがくいわせながらかけ降りた。時間にすればたいしたことはなかったが、農鳥小屋まで何と長かったことか。
風との闘い以外の何物でもない厳しさに耐え、ガスの中にキャンプ場を、そして小屋を目にした時は、見栄も外聞もない安堵感が広がった。

農鳥小屋は寝具も設備も悪い小屋だった。天気さえ良ければどうということはないが、この悪天でせめて濡れものを干すことが出来たらと思う。盛夏の時期、寒いこともなかろうと、やや不用心だったのが災いして、寒い小屋の中で震えていた。 幕営予定の登山者も小屋に逃げ込み、大変な混みようだった。初老の男女3人、明日は下山したいが下りられるだろうかと案じている。私について一緒に下りたい風だったが、私のペースにはとてもついて来られないだろう。

二枚の毛布だけで、寒さに体をエビのように折り曲げて朝を待った。

夜が明けた。依然風は強いが、幸いにも雨だけは止んでいた。鳳凰三山方面稜線の雲が切れて、赤く染まりかけている。荒川三山も黒々と見える。管理人が「どうしても下山しなくてはならない人は早い方がいい」と呼びかけている。 朝食は取らずに4時小屋を出発。
農鳥岳への登りにかかってすぐ、女子高生と思われる10人ほどのワンゲルパーティーを追い越す。10分も登ると風が猛烈な勢いで襲って来た。黒っぽい雲がすぐ頭上を高速で飛んで行く。鳳凰三山の稜線がどぎつい朱に染まり、一瞬黎明がさしたが、瞬くまに雲に閉ざされてしまった。雨が落ちて来た。パチパチと頬を打つ雨滴が痛い。フードを被ってさえ、その上から打つ雨滴が痛く感じるほどだ。あの女子高生パーティーは、この悪条件の中を農鳥岳を越えて行くのだろうか。今日下りたいと言っていた初老の3人はどうしただろうか。

急登から稜線に出ると、風雨は輪をかけて激しくなり、吹き飛ばされないように前に進むのが精一杯だった。四つん這いに近い姿勢で、一歩一歩地面を踏みしめるようにして西農鳥岳の頂上に立った。このまま前進すべきか、あるいは農鳥小屋まで戻って待機すべきか迷う。しかし戻るのだって並大抵のことではない。前進を決意する。

山頂から急降下していく。降りた分、また登り返さなければならない。鞍部から西農鳥への登りにかかる。厳しい条件下での岩稜の下りと登りであった。
西農鳥岳から30分程だったが、何時間も歩いたように長く感じられた。やっとの思いで農鳥岳の頂上に立つことができたのである。ほんとうによく頑張った。これで日本の3000メートル峰は全て踏むことができた。厳しい条件であったからこそ、喜びもまた大きかった。

しかし今はのんびりと喜んでいるゆとりはない。早く安全地帯まで下りなくては危険だ。指導標を慎重に確認して下山にかかる。
東側の下山道に入ると、風が嘘のように静かになった。雨こそ降っているが、ほっとする安らぎであった。しかしそれもつかの間、相変わらず激しい風と戦いながら大門沢下降点へと下っていった。
案内書では大門沢下降点は広い平坦地のため、ルートを見失いやすいのでガスっているときは要注意と書かれていた。しかし心配するほどのこともなく、予定していた広河内岳登頂は見送って大門沢へ下るルートに入った。ぴたっと風が止んでようや く人心地をつけた。遥か限下に銀色にうねる流れは、あれが大門沢だろうか。

奈良田目ざして下りに下って行く。黒木の樹林の途中で初めて休憩を取った。朝から飲まず食わずでここまで歩いて来たのだった。4時半に小屋を出て今6時半、この悪条件の中驚くべきスピードだった。
大門沢小屋もちょっと立ち止まっただけで先を急いだ。大門沢小屋からバス停のある奈良田第一発電所までは、コースタイムの半分の1時間半でかけ下ってしまった。

困難を克服して歩き通したという満足感はあったが、二日間にわたり荒れに荒れた山上では眺望も全く楽しめず、喜びも半分という山行であった。

(1991年7月記)


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