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山梨百名山 長者ケ岳(1336m)
登頂年月日 1992/01/11 天候 快晴 同行者 単独 マイカー利用
田貫湖(7.05)−−−立石バス停(7.55)−−−登山口(8.10)−−南下山口の道標(9.40)−−−天子岳(9.50-55)−−−長者ケ岳(10.25-11.10)−−−田貫湖(12.00)

長者ケ岳からの富士山
昨年二つの山岳会に入会した。『TN会』と『SNクラブ』である。
●単独行以外の山歩きの楽しさを探ってみたい
●単独行は費用が高くつく。複数山行も取り入れたい
●単独では難しい山を、一緒に登る相手を探す

そんな動機をもって入会したのだが、どうも私の思惑とは違って期待が外れる。単独行を重ねる中で、自分なりに山歩きのノウハウも身につき、他人の力を当てにする必要もないレベルにきているということもある。これからも相変わらず単独行、マイペース登山がつづくことになりそうだ。                     

天子山塊最高峰の毛無山へは昨年登ったが、低山ながらその南に控える天子、長者岳が気になっていた。富士山の眺めが素晴らしいという。
中央高速を大月から河口湖へ向かって自動車を走らせる。夜明前の闇の中に黒々とした富士山が、ようやくその輪郭を掴めるほどの影となって見える。河口湖ICを出るころには、東の空が朱色を帯びて、富士山が茜に変わり始めた。快晴、張り詰めた冷気の中、『赤富士』演出の舞台が出来あがっていた。山頂の空に はまだ残り星が瞬いている。
田貫湖着6時50分。外に出ると身震いするような寒気を感じる。明け初めた水面に、カモが群れている。  下山口となる田貫湖へ自動車を残して、天子岳登山口の立石まで約4キロの自動車道を歩く。
登校中の小学生が『おはようございます』と元気に声をかけて走って行った。
国道から天子岳、長者岳が良く見える。積雪はなさそうで安心する。
立石の交差点で、仕事を始めた大工さんに登山口を確認すると気持ち良く教えてくれた。道を尋ねるほどの些細なことでも、気持ち良く教えてもらえると、その後いつまでも心地よさが余韻として残り、ハイキングの楽しさを何割か増してくれる。
交差点から、教えられた道を進んで佐折の集落を抜け、神社を左手に見て間もなく林道が終わり、天子岳の道標のある登山口に着いた。

登山道は桧植林の中に伸びている。暗っぽく陰鬱な雰囲気で展望もなく、緩い勾配を黙々と歩く。それも長くはなく、林道を横切って再びとりついた登山道は、ようやく山道らしく急な登りになってきた。
霜柱を踏む感触を楽しみながら、ひと登りして平坦地となる。幅広の尾根は明るく、芝が植えられ、桜並木となっている。公園にでも来たような感じがする。
4〜50本の桜並木が終わって、やや急な坂を登りきると、もう一度桜の並木となる。

雲ひとつない絶好のハイキング日和、冬の好天は空気の透明度が高く、背後の富士山も、きりっと締まって素晴らしい。やや右肩上がりの山頂、右端最高点の測候所まで判別できる。そして山体を真ん中から引き裂くようなすさまじい爪痕は大沢崩れである。

前方に天子岳のピークが見えて来た。
二段目の桜並木を過ぎたころから、本格的な登りとなってきた。じぐざぐを繰り返して高度を稼いで行く。日陰に残った雪が凍りついているところもある。急登に汗を流す。コースが左へ巻き気味になるころから勾配が緩んで来た。山頂が近いようだ。
左からのコースと合流する箇所に『南コース下山ロ』という標識があり、そこから明るい雑木の中を数分進むと、落葉高木に囲まれた広々とした天子岳頂上に到着した。
眺望はなくやや期待外れだった。登頂記念の私製プレートが無数にあるのが目障りだ。

すぐに長者岳へ向かった。
鞍部への下りは北斜面のため、一部雪が凍結しているので慎重に下る。潅木の隙間から南アルプスが垣間見えるが、好展望地がないまま長者岳まで来てしまった。
長者岳山頂にはベンチとテーブルがあった。正面に富士山、愛鷹連峰、毛無山、雨ケ岳などが見える程度で、360度の展望とはいかなかった。
樹間からの南アルプス山座同定や、スケッチをしている間に体がすっかり冷え切ってしまった。50分近い滞頂に踏ん切りをつけて、下山にかかった。

下山は田貫湖目指して、富士を正面に見ながら一気に下った。
帰途、富士宮市あたりから天子山塊を振り返ると、高度感をもった山が目に着いた。天子岳のようだ。見る場所によってなかなか見栄えのすることに感心しな  がら、帰りは東名高速から東京へ向かった。

(1992年1月記)


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