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山梨百名山 笹 山(ささやま)黒河内岳・・・2733メートル
登頂年月日 2003.07.27-28 天候 小雨・曇り 同行者 単独 マイカー利用
●駐車地点(5.25)−−−広河原登山口(6.15)−−−保利沢見張小屋(7.50-8.05)−−−水場−−−転付峠(9.45-10.00)−−−奈良田越(12.20)
●奈良田越(4.30)−−−白剥山(5.05)−−−礫片の裸地(6.25)−−−笹山(7.00-10)−−−白剥山(8.30)−−−奈良田越テテント撤収(9.00-30)−−−転付峠−−−水場(11.20-35)−−−見張小屋(12.35-55)−−−登山口(14.05)−−−駐車地点(14.40)

笹山々頂
なかなか明けない梅雨、夏山プランの実行遅れにイライラしていた。サラリーマン現役のころなら日程を立てたら何が何でも出かけてしまったが、今は天気の良いことを予め見越してから行動することが習慣になってしまった。
どうやら梅雨明け間近の気配に、夏山プランのトップとして笹山へ向かうことにした。山梨百名山の難関と言われる笹山を登っておかないと達成プランが目に見えてこない。
笹山登頂体験者である山梨県山友のアドバイスなどにより、登る前から天候に問題なければ敗退はありえないだろうという希望的観測と自信を持っていた。
それにしても農鳥岳から笊ケ岳へと延びる大連嶺の中で、登山道が拓かれていない部分があるのが不思議な気がする。当然入山者も少なく、限られた好事家の領域として残される結果となり、ある山岳書によると笹山のピークを踏むのは、年間数十人に過ぎないという。一日で何百人もの登山者が訪れる隣の農鳥岳など人気のピークと比較すると、彼我の差はあまりにも大きい。不遇の山としての存在に甘えていることが、好事家にはかえって喜びかもしれない。
自信ありとは言え、整備された登山道が無い山域、非力な老人が単独で挑むには相応の決心も必要だった。  

深夜1時半、長野の自宅を出る。中富町から南アルプス街道へ入り奈良田方向へ。休憩なしで突っ走って、田代入口バス停から広河原への林道へ入る。ここでちょっとトラブル。短いトンネルを出たところがバス停、当然左折と思いこんでヤバイ感じの細道へ入る。変電所のフェンスに沿って走ると、なぜか先ほど通った南アルプス街道のトンネル入口へ出てしまった。あれ?どうなっているの。 トンネルへ入りなおして、今度はバス停を広河原方向とは反対側へ右折して見る。すると橋でUターンして広河原方向へ進むようになってやれやれ・・・。左折してくるっと回った道はトンネルができる前の旧道だったようだ。
しばらく走るとまたもアクシデント。道路の真中に太い丸太が2本、トウセンボ体制をとっている。その先が山の斜面から崩落した土砂を除去する作業の途中のようだ。丸太は一人でも動かせる。突破しようとしたが、帰りに“工事中通行不能”というとだと大ごと、引き返して大きな広場に駐車、ここから歩くことにする。

土砂崩落箇所らしいところは3ヶ所ほどあったが、一応取り除かれて通行には支障がないように見えた。広河原の第ニ発電所前を通過し、その先の登山口まで45分行程だった。高低差は約250メートル。幕営装備を背負ってすでに汗びっしょり、おまけに霧雨が舞っている。暑くて雨具を着る気にはなれない。どうせ汗で濡れれば同じと割りきる。

道路不通のためか登山口には駐車車両はゼロ。渓流に沿った登山道へ入る。足ごしらえはジョギングシューズ、これも濡れるに任せることにした。登山口には『転付峠への登山道は土砂崩壊のため大変危険です。しばらくの間立入を禁止します・・・』という薄汚れた看板が立っている。この警告はまったく無視されているようだ。
転付峠へのこの道は、昔、南ア南部の山域に入るアルピニストたちに使われた古典ルート、北アルプスの徳本峠越えと同格の由緒ある道で、曲りなりにも登山愛好者の一人である私も、いつかは歩いてみたかった憧れの道である。
次々とあらわれる金属製の橋、木製の橋、桟敷橋、ハシゴなどで枝沢を渡り、本流の左岸を上流へと向かう。小雨か霧雨かという空模様に、傾斜のついた木橋の踏み板が滑りそうで、おそるおそる渡る場面も多い。老朽化してグラつく不安定な橋、踏み板の抜けた橋、落下したまま復旧されていない箇所の危なっかしいへつり、そんなところばかり歩いていると、上っているのか下っているのか分からなくなる。この渓谷は川の流れというより、小滝が絶え間なく連続していると言った方があたっている。それだけ渓谷が急峻ということだ。気分的には高度が稼げていない気がするが、実際には急流どおりに登っていることになる。

中規模の滝をいくつか含みながら、小滝が無数につづく渓相は素晴らしいの一語。最後に沢を離れるまで、岩を噛む急流の音、落下する滝音が耳を覆って他の物音は一切耳に聞こえない。まさにほとばしる流れの美との壮大な協奏景観である。

登山口から1時間35分、左岸に建つ保利沢見張小屋前に腰を下ろして休憩。チョコレートなどのエネルギー源を腹へ少し詰めこむ。
登山道は吊橋を左に見送って、見張小屋の裏手へ回りこんで行く。歩きやすい道となってこれで山道に変るのかと思ったが、なお流れに沿った遡上がつづく。渓相が狭まって転石の頭を踏んだりするようになってから、何回も右岸左岸と渡り返すようになる。
ようやくはっきりと山腹への登りとなる。耳から離れなかった渓流の音が徐々に遠ざかってく。すぐに建物倒壊跡を通過して、打って変わった歩きやすい九十九折れの登りとなる。樹相は癖のない幹が空に向かって伸びるカラマツの人工林。尾根をからんで登っている感じはするがよわからない。周囲は霧で乳白色の幻想的な世界。
あいかわらず小雨が降りつづいている。途中一服して喉を潤してからすぐに水場に到着、2リットルペットボトル2本に水を満たす。一泊には多すぎる量だが、少なくて辛い思いをするよりましだろう。4キロ加わった背中の荷が、ぐんと重みを増した。
水場から10分で霧の転付峠着。見るからに貫禄のある道標が立っている。しかし奈良田越への表示はない。ここから北の方向は市民権を得たルートではないということか。
本日のきつい登りは終了、あとは林道跡を奈良田越までのんびり行くだけ。やれやれ、座りこんでの休憩タイム。登山口からの所要3時間30分、予定よりだいぶ早かった。
奈良田越へは林道跡をたどる。林道跡とは言うものの現役林道然としている。問題なく車が走れる。そう思ったのは束の間で、いたるところ落石、路盤崩壊、土砂崩れなどの荒れた現場を慎重に通過して行く。路面にはびこりだした草が轍を残しているのは、使用されなくなってまだそんなに長い年数が経っていなということか。役目を終ったとはいうものの、巨費を投じた末期にしては哀れすぎる。カーブミラーだけが、曇りのない現役の顔で立っていた。
路面には草がはびこり、シラビソの一年生、二年生などの幼木が伸びてはじめている。そのうちにこの道も草の原かシラビソ樹林となってしまうのだろうか。登山道だけは維持されるのだろうか。

転付峠から雨がやんでくれたのがありがたい。しかし四囲の風景は雲に閉ざされて展望はなし。
標高2000mの転付峠から林道最高点2150m前後まで上って、今度は奈良田越への緩い下りとなる。この下りが結構標高差がある感じだが、奈良田越は転付峠とほぼ同じ標高。つまり林道を150mほど上がって同じ分下るというわけだ。林道にイブキジャコウソウが咲いているのに驚いた。

林道が大きく左Uターンして下って行くカーブミラーの立つ地点、ここが奈良田越えのようだが表示はない。直進して行く林道跡らしい痕跡も見える。どちらの道も夏草に覆われてとても林道には見えない。ザックを下ろして直進してみると、ドラム缶、波板トタンなどが放置されている広場があった。12時20分、時間は早いが予定どおりここにテントを張ることにする。
3時過ぎからときおり日差しも出て、テン場近くから蝙蝠岳・徳衛門岳、それと悪沢岳らしい山影を目にすることができた。
荷は重かったが、惜しみなく水を飲めるのは気分的に余裕が持てる。テン場は、日暮れて暗くなるまで野鳥の声が途切れることがなかった。何種類の小鳥たちがうたっていたのだろうか。私には聞き分けられない。2軒小屋からの登山者が白剥山幕営で登って行き、夕刻6時過ぎには農鳥岳からの男女4人が到着。時間切れでここ幕営することに変更したとのこと。60台から70歳前後の老人パーティーで、特に女性二人は見るからに疲労の色が濃かった。
夜中には星空も見えて好天への期待を抱きながら、浅い眠りを朝まで繰り返した。

目覚めると既に薄明の4時、急いで支度をしてテン場を出発した。サブザックに水1リットルと食料を少々、人工肛門ケア用具、雨具、肌着、カメラなどごくわずかだけ。
軽荷で笹山ピストンを5時間の予定。きつい気もするが、夕方までに広河原へ下山するためには、何とか予定の時間で歩きたい。広場から南方向へ草に埋もれた林道跡を進むと、200mほどで索道設備の赤錆びた鉄骨残骸、支柱の基礎らしい大きな四角いコンクリートの塊がある。ここが白剥山への稜線取りつきである。
気合を入れて稜線樹林の中へ。ルートがはっきりしているのがありがたい。放置ワイヤーが何本かあるところで直角に右へ曲がると半壊同然の小屋がある。ここまで10分。北へ伸びる稜線通しにぐいぐいと足を延ばして進む。木々の隙間から朝日が射しこむ。“いい天気だ”と喜んだのは糠喜び、すぐに雲が広がりはじめ、全天を覆ってしまった。
テン場から35分で白剥山三等三角点着、テントの中の昨日の男性に声をかけ、しばらく立ち話をしてから笹山へと向かう。

ワイヤの残骸が落ち葉や枯れ枝に埋もれるようにして目につく。往時盛大な伐採の手が、こんな奥山にまで及んでいたのだ。
ルートはおおむね分かりやすいが、ときには立ち止まって慎重に確かめたりする。そんなときには残された布切れが強い味方だ。正規の登山道でもないのに、コメツガやシラビソの幹に『農鳥岳−転付峠』の道標プレートが付けられている。しかしこれはルートを外していない確認にはなるが、分かりにくいポイント、迷いやすいポイントの案内ではないから、実際にはたいして役に立たない。
分かりにくいところでは立ち止まり、数歩、または10歩下がって確かめる。すると布きれが見えたり、踏跡に確信ができたりするものだ。一度だけルートを外れて40〜50メートル進んでしまったが、すぐに気づいて戻ることができた。

白剥山から休憩なしの1時間15分、森林限界を超えた礫岩の裸地に出た。天気が良ければ大展望間違いなしのビューポイントだ。ガスに見え隠れする右方手前が笹山南峰、左手奥の裸のピークが北峰であろう。手の届きそうな距離感だ。15分もあれば行き着けそうに見える。予定よりかなり早い山頂着になりそうだ。

しかしここから先のルートが判然としない。意を決して溝状のハイマツ帯へ突っ込んだ。ハイマツ、ナナカマドの露でたちまち全身ビショ濡れ、行く手を阻まれて左手の斜面を強引に這いあがると、砂礫や低いハイマツの中にかろうじて踏跡とおぼしきルートを見つけた。

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ここは、登り着いた礫地帯で左手に大きな岩が見えるのでその方向へ進んで、稜線よりやや西寄りの砂礫帯の中に踏跡を見つけるといい。踏跡はかなり不明瞭だが、注意深く見ればルートを外すことはない。 布片を残してきた。
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途切れそうな踏跡を礫片の中や、点在するハイマツ低木の中に見つけながら登って行くと、20分ほどでハイマツ帯に突き当たった。見ると右手の腰ほどの低木に赤テープ、そして小さなケルンがある。インターネットで目にした注意ポイントだ。ここで右手に戻りかげんに掘り割り状の底へ下って行く。知識がないと、訝しくてちょっと取りにくいルートだ。
オブジェ風に曲がりくねったダケカンバの大木が、異様な光景を見せる中を通り過ぎると、礫地に出る。この斜面を上へ進むと、ハイマツに突き当たる。左手に見える森の中が笹山三角点のはず、さてハイマツのどこから進入しようか・・・少し下がって突破口を探すと、可愛らしい赤テープが一つ目に入った。とてもルートとは言えないが、人が歩いた形跡だけは認められる。簡単にこのハイマツを突破してから左手の高みに上がると、藪の下に三等三角点、その先が礫片の大きな広場となっていて、真中に“山梨百名山の”標柱が立っていた。

一投足の先には北峰も見える。記念写真を撮ってから、北峰をどうしようかと迷ったが、どうせ展望はない。私にとっては三角点のこの山頂を踏めば十分、このまま引き返すことにした。
山頂を後にしてハイマツ帯を抜け、礫地へ出なくてはならないが、それがうまくいかない。2、3回行ったり戻ったりしてようやく礫地へ出ることができた。ちょっとした方向感の狂いだった。

樹林帯へ入ってからは、登り以上にルートの確認に神経を使い、無事白剥山まで戻ることができた。あとは原生林の雰囲気を楽しみながら、余裕で奈良田越まで下った。
所要時間は往復4時間30分。標高差は700mほどでたいしたことはないが、難路という条件を考えれば会心の出来と言える。雨に遭わずに往復できたのも幸いだった。
懸案の難問を片付けたという一服感はあったが、これから広河原まで下山する行程は長い、休憩そしてテント撤収をして30分後には奈良田越を後にした。
残りそうな水を今朝出発前に、昨夕到着のパーティに分けてあげたりして、水4キロ分だけ軽くなってはいるが、林道最高点までの上り勾配は疲れた足に意外にきつい。
転付峠下の水場で、50才台と見られる婦人3人連れとしばし話しこむ。経済的にも、精神的にも優雅さを漂わせる婦人たちだった。

渓谷美に見とれながらも、笹山から標高差にして2000mという大きな下りに、足は気持ちほどには前へ出てくれない。登山口着14時5分、プランより1時間ほど早い。登山者の車が3台止っていた。ここまで車で入っていればもう歩かなくてもいいのに、さらにけっこう急な舗装道を35分歩いて駐車した広場に帰りついた。

2泊が標準的なコース、1泊で歩けた喜びと、山梨百名山の難関をクリアした安堵感が広がった。
帰路、早川町「町営ヘルシー美里」で汗を流してから帰途についた。


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