薬剤性アナフィラキシーショック 2006年9月3日の悪夢


子供のころからピリン系という薬剤にアレルギーのあった私は、医者でのアンケートに アレルギーはありますかの質問に、あります。ピリン系がダメです、と答え続けてはや数十年。
当然今まで医療側はちゃんと対処し、私には何の問題も発生せず健康に過ごして着ました。
まさかこんなことが起こるとは思っても見ませんでした。

コンピュータの仕事なので後頭部に頭痛もち+偏頭痛持ちだったのですが、渡された 薬が問題のピリン系だったのです。 ある朝、知らずに飲んだ私は、5分と経たずに指先の痺れ、続いて頭皮の異常なかゆみさらに 意識がだんだん薄らいできて「さすがにこれはやばいぞ!!」と思いベッドに横たわるも 症状は一向に収まらず・・・

「だめだ。すぐ近くの総合病院に駆け込まねば」と思って服に着替えるやいなや、 意識不明でその場に倒れました。

程なくしてかすかに意識を取り戻しおぼろげながらの意識の中、 「だめだ、これは救急車を呼ばねば」と思い電話のところに必死で駆け寄るも 電話にたどり着く前に全く違うところで気を失って倒れている・・・
また程なくしておぼろげながら意識が戻って電話を目指す・・・

しかし次に倒れていたのは受話器を持ったまま何もできずに倒れていました。
さらに今で体験のしたことのないような呼吸困難(喘息)状態が記憶がある間中続きました。


そしてまたすぐに気を失い薄れ行く意識の中で・・・ 「今日で人生終わりなのかも知れない、死ぬってこういう事なんだな・・・」 目の前が真っ白で意識が薄れていく中そう思ったのでした。


そして程なく「タンッ!!タンッ!!タンッツ!!タンッ!!」と言う音で意識を取り戻しかけました。

それは、家の飼いウサギ「ココ」が必死に何かを訴えようとしていました。
いつも見る「ココ」の穏やかな表情とはいっぺんして、毛並みが逆立ったように荒れていました。

そこで私は、「このままではいけない!!!」と思い目の前が真っ白な中(貧血のひどいような状況) 台所に向かい何とか水を飲みました。
もう、コップとかそういうレベルではなく蛇口から直接、Tシャツなんかもびしょぬれでとにかく水を飲みました。

そしてそのまま床に倒れこんでしまいました。

数分後、嘔吐する事ができ、意識がわずかながら回復の兆しが見えてきました。

以後、意識が完全になくなることはなくやっと携帯電話で救急車を呼ぶ事ができました。

しかしまだ、意識はもうろうとしたままです。 5分ぐらいして救急車はきました。

それよりも驚いたのは、私が倒れたのが9時50分頃だったのですが、自分ではこの間の記憶が 5分ぐらいの出来事のようにしか思えないのに、時計を見たら、もう10時30分。

40分近くも意識不明で倒れていたんですね。


救急隊員が着てくれ、しきりに「日焼けしてる?」と聞きます。
そんなバカなと思い「日焼けしてません。」と答えると。全身赤疹との事。
自分では見えないので何のことやら。

そして、10分ぐらいして、病院の救急センターに運び込まれました。

そこでも対処は迅速ですばやいものでした。

そこではじめて、自分の血圧がものすごい下がっていた事をしりました。

「この薬を飲んでからこんな状態になりました」と告げたので 早速解毒が開始され、さらに嘔吐も進み、悪い成分を吐き出し容態はだんだん回復していったのです。

救急で対処してくれた先生も「本当に助かって良かったね」と言ってくれました。
そしてそのまま入院、一日中点滴をして、次の日に退院しました。

退院したはいいものの、めまいや貧血のような症状が残りしばらくは安静を要しました。
それは、半年以上もたった今も続き、薬剤性アナフィラキシーショックの怖さを身をもって 体験したのでした。


妻じゅんは出張でその場に居なかったので、 今回の命の恩人はうちの飼いウサギの「ココ」ですね。飼ってて良かった。