旅のスケッチページ

伊豆河津桜と下田

伊豆河津桜と下田
今年初めての旅は2月27~28日に伊豆の河津桜と下田の旅へ出かけました。行は大宮から10時30分の新幹線で東京駅へ、11:00分発のスパービュー踊り子号 へ乗り換え伊豆河津へ13時過ぎに河津駅に当直し、河津川沿いの河津桜と菜の花を鑑賞しました、今年の河津桜は2月の上旬に満開となりこの時期はだいぶ葉桜になって いましたが、未だ満開の木も数本ありました。 観光客も多く売店も活気があり無料の足湯に浸かり休みながら見て歩きました。今年は河津川沿いを遡り橋を渡って反対側へ行き、戻ってきました。従って昨年とは違う ルートで河津桜を鑑賞できました。向かい側は観光客も少なくゆったりと出来ました。 宿は昨年と同じく今井浜に取れましたのでここで一泊しました。今年は夕食に伊勢海老のお刺身を食べました。大変甘味があり美味しかったです。 駅からホテルまでの道にも河津桜がありました。
翌朝、は伊豆急に乗り下田へ行き、駅から徒歩で船着き場へ行き黒船に乗り下田の海を楽しみました。次いで徒歩でペリーロードへ行き了仙寺まで散策しさらに 下田駅まで歩きました。
下田には多くの観光スポットがあり、季節を問わず楽しめます。冬は爪木崎の水仙、春は歴史散策で日本開国関連した寺社があり開国に関する資料などが見られます。 宝福寺には唐人お吉の墓があり、お吉に関する資料があります。また、坂本龍馬の銅像もあります。幕末に坂本龍馬と山内容堂が会談した場所でもあります。 6月にはアジサイの山があり徒歩で上りアジサイ見学と山からの下田の眺望を楽しめます。夏は水族館も楽しめます。さらに、年間を通して海の幸を楽しめます。
帰りは伊豆下田駅から特急踊り子号、新幹線と乗り継ぎ17時に帰宅できました。交通の便も良く毎年出かけています。

富士山と田貫湖

田貫湖畔からの富士山
今年2度目の旅は6月11日に富士山を見に休暇村富士へ行きました。当初の天気予報は11日は曇りで12日は晴れ時々曇りでした。12日には富士山が見られると期待し 出発しました。
今回の旅は車でなく電車での旅でした。出発は大宮駅から宇都宮線直通の熱海行きのグリーン車で熱海まで行き熱海から東海道線で富士まで行き身延線へ乗り換えて富士宮 まで行きました。富士宮からはバスで休暇村富士へとのルートです。大宮駅を11時に出発し16時に着きました。5時間かかりました。
休暇村富士の今晩のイべントは19:30からのホタル観賞会でしたので、夕食は17:30からゆっくり食べました。今晩の夕食はバイキングの他にアワビの刺身と 踊り焼きです。まず、アワビの刺身と踊り焼きとマグロや甘エビの刺身などを肴にでお酒を飲みました。その後握り寿司や富士宮名物の焼きそばなどをいただきました。 食事中、晴れてきて富士山が見えるようになり食堂から多くの人達が富士山の写真を撮っていました。私も富士山の写真を撮ることが出来ました。 部屋に帰り一休みし17:30からのホタル観賞会へ行きました。蛍は昨日あたりから出始めたそうで未だ数は多くないとの説明がありましたが、暗くなるに従いちらほらと 飛び始め楽しい一時を過ごすことが出来ました。ちなみに蛍のメスは飛ばずに光り、オスは飛びながら光るそうです。 翌日は天気予報が当たらず曇りでした。しかし湖畔は空気が綺麗で心地よい風もあったので、自転車を借りて湖畔を1周しました。湖畔にはアザミの花などが咲いていました が花が咲いているのは少しで多くはこれから咲くようでした。湖には釣り人も多くいました。湖畔の山側には真っすぐに伸びた檜木が生息し見事な眺めでした。心身とも 癒されました。田貫湖を1周するのにかかる時間は自転車で20~30分、徒歩で60~70分です。晴れていれば富士山が目の前に見え、湖面には逆さ富士が見られます。 ゆったりと田貫湖周辺で遊び、昼食を休暇村で摂り、12時のバスに乗り帰途につきました。富士宮駅から身延線で富士まで行き、東海道線で三島駅で新幹線に乗り換え、 東京駅まで行き、さらに新幹線を乗り継ぎ大宮駅へ16時に着きました。帰路は約4時間でした。今回の旅はローカル線などにも乗りましたので、初めて見る景色も新鮮で 楽しい旅でした。

那須のヤマユリと平成の森

那須のヤマユリと平成の森
今年も那須のヤマユリを見に7月20日に車で出かけました。那須のヤマユリは7月のお盆前後が見ごろです。
東北高速道を走り矢板付近から両脇にヤマユリが見え始めます。車は那須インターで降り国道17号を左折し暫く走ると赤松林 が両側に広がり、その中にヤマユリが咲いています。車を[那須街道赤松林]の看板があるところを右折し赤松林へ入ります。 車を止めるスペースがありますが、整備された駐車場はありません。トイレも自動販売機もありません。事前に準備してから 行くことを勧めます。 7月20日はヤマユリが満開で大部分の花が開花していました。つぼみは少ししかありませんでした。約1時間遊歩道を歩き ヤマユリと森林浴を楽しみました。
那須街道赤松林は、約14,100本(平成16年)のアカマツを主体とする、那須街道両脇に広がる面積79haの国有林で、樹齢100年を超えるものもあり、また、 猛禽類も生息しており、全国的に見ても大変貴重なアカマツの天然林です。 ここは森林浴1万歩の森とも言われています。ここの遊歩道は5.8kmあり、手軽に森林浴を楽しむことが出来ます。
歴史
明治23年から昭和22年迄は、「高久第一御料地」と呼ばれ、旧宮内省所轄の面積165haの御料林でした。 終戦直後の食糧増産が必要な時代には、全て開墾される計画もありましたが、那須街道より幅50mは、街道通行者にアカマツ 林の美しい風景を供するために開墾されずに残され、昭和25年に日光国立公園に編入されました。街道と那珂川の間の部分の 約半分については、薪炭林や防風林として残され、現在はアカマツ林木遺伝資源保存林に指定されています。 那須街道は昭和時代、天皇皇后両陛下の那須御用邸への行幸啓及び歴幸啓に用いられており昭和天皇は「那須の植物誌」の中で 見事なアカマツの天然林であり、国有林であったために今日迄良くほぞんされてきたと、お記になられております。 休暇村那須に宿泊し茶臼岳の満点の夜空を鑑賞しに行きましたが、生憎雲りで星は全く見えませんでした。
翌日は平成の森に行きましたがクマが出没するとのことで、終点の駒止の滝周辺を歩き、車で入口へ行き入口周辺を散歩して帰宅しました。 平成の森は自然が一杯で歩くととても癒される場所です。この時期は緑が多く森林浴には最適と思います。但し、クマが出ることもあり、途中に熊除けの鐘が設置して あり、不安を感じます。近頃はどの山に行ってもクマに注意の看板があり安心して山に行けません。日光の戦場ヶ原でさえクマに注意の看板があります。 安心して山へ入れる日が来ることを願っています。

琵琶湖と沖島の旅

琵琶湖と沖島の旅
今年の秋旅行は休暇村近江八幡に宿をとり、近江牛のすき焼きと焼き肉を食べて、沖の島観光と琵琶湖クルーズを楽しみました。
東京から新幹線ひかりで米原まで行き琵琶湖線で近江八幡へ行き、そこからバスで休暇村近江八幡へ行きました。ここは日本で一番古い 休暇村だそうです。到着した日は宿のすぐ前の琵琶湖を散策しました。流石、日本一の湖だけあって、まるで海のようでした。温泉に入り旅の疲れをとり、 夕食は近江牛のすき焼きです。 牛肉は食べ放題で好きなだけ取ってきて自分で鍋に入れてすき焼きを作り食べました。しかし、二回お代わりをしましたが、焼き肉も2枚食べて、ストップしました。 量的にはもっと食べられると思いましたが、年相応に食べたと感じました。近江牛のすき焼きは肉の甘味が感じられとてもおいしかったです。 昨年の11月は福井でカニを食べましたが、どちらも美味しかったです。今年も再度行こうと思いましたが、近江牛の食べ放題に負けました。 翌朝宿の近くの桟橋から船に乗り沖島周辺のクルージングをしながらガイドさんの説明を聞きました。淡水湖にある島で人間が生活しているのは世界的にも 珍しいのだそうです。日本では沖島だけだそうです。現在住んでいる人たちは保元・平治の乱(1156~1159)による源氏の落武者7人が山裾を切り開き漁業を生業とし居住したことに始まると言われ 、彼ら(南源吾秀元、小川光成、西居清観入道、北兵部、久田源之丞、中村磐徳、茶谷重右衛門)が現在の島民の祖先とされています。島には平地が少なく狭い場所に 集落があり道路も狭く自動車は無く交通手段は自転車が主で3輪自転車が多くみられました。また、島には電気も光ケーブルも引かれていて、上下水道も整備され 学校、診療所、郵便局もありますが、人口は毎年減っているそうです。現在は漁業と島の対岸に農地をもっており、半漁半農で生計を立てているそうです。 琵琶湖周辺では紅葉が始まっていましたが、これから最盛期に向かって行くようでした。 お昼にホテルに戻って昼食を食べましたが、バスの出発時間が14時30分で2時間待ちでした。バスがそれまで無く琵琶湖の周辺を散策してバスを待ちました。 バスが直ぐあれば近江八幡へ戻り昔の街並み等観光施設も多くあり行けなくて残念に思いました。また、沿線には彦根城や信長の作った桃山城跡もあり観光には 良い所で次回はその辺りの観光をしたいと思っています。