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日本の生活文化と伝統
1.生活と文化
2.文化のことを英語では“culture”というが,それは(7)という意味の言葉 ”cultivate”を語源とするといわれる。
3.ベネデイクトは日本の文化について『(8)』という著作を書き,日本文化は「(9)」の文化であると指摘した。
2.文化
1.(10)とは見なれない文化,なじみのない文化のことである。人々はこうしたなじみのない文化に接したとき,驚きとともに(11)を受けることがある。
2.人類は様々な文化交流によって文化を発展させてきた。たとえば東アジアとヨーロッパを結ぶルートは絹の道といわれ,草原地帯を経由する(12),砂漠の道といわれる(13),そして船を使った(14)を通して文化交流をした。
3.アレクサンドロスの東方遠征によって伝えられたギリシア彫刻とインドに誕生した仏教が(15)地方で出会い,(16)が生まれた。
3.日本の
1.日本の文化は中国南部から日本列島の南にかけて広がる常緑の(17
)樹林帯に共通する文化の特色を持つ。
2.日本の宗教観ではあらゆる動物をはじめ,自然に神が宿るとする(18
)とする。また,古代には邪馬台国の卑弥呼の例に見られるような(19)がみられる。
3.日本の伝統的な倫理観では,清明心を大切にした。もし,けがれたときにはみそぎや(20)によって清くなれるとした。中世では(21)の心を大切にし、近世では(22 )の心を尊んだ
4.日本人は仏教の教えなどからあらゆるものは移りゆくという(23 )観を持ち、『平家物語』のように移りゆくものへ心を寄せた。
4.日本文化の特徴
1.日本民俗学を創始した(24)は『遠野物語』などで民話などを収集している。
2.日本の祭りや年中行事は,(25)を中心とした集団生活のリズムの節々をなすものであり,その背後には,神々や(26 )に対する信仰が働いていた。祭りの日は「(27)」の日であり,人々は日常の「(28)」の日々とは違う食事をし,違う衣服を着て仕事を休んで祭りを楽しんだ。
5.生活と宗教・芸術
1.日本の年中行事には1月の正月,3月の(29),5月の端午の節句,7月の(30),9月の重陽の五節句がある。一方では,仏教に関係した3月,9月の(31),夏の(32)などの行事,暮れの(33)の行事がある。
2.日本人の通過儀礼としては誕生後のお七夜,お宮参りからはじまり,3歳,5歳,7歳のときの(34 ),男子の成年式であった(35),現代の満20歳の成人式,女性の33歳,男性の42歳に行う(36)祓い,60歳の(37),葬式がある。
3.日本の住居は平安時代貴族の邸宅様式の(38),中世の寺院の(39)をもとに発達してきた。畳や空間を仕切る障子などを特色とする。食生活では米飯を中心に味噌(みそ)や(40)の発酵食品を特色とする。ハレのときの赤飯や餅といった食事をすることも特色である。衣服も晴れ着と普段着を区別した。
4.日本の古代仏教では(41)が『三経義疏』を書き,仏教への理解を示した。奈良時代には国家的な事業として国分寺・国分尼寺が立てられ,中央には東大寺が建立され,(42)といわれた宗派があった。
5.鎌倉時代には,日本の独自の仏教思想が数多く生まれた。(43)や彼の弟子の親鸞は,ただひたすら「(44)」と専修念仏し,阿弥陀仏に身をまかせ信ずることを教え,(45)は永平寺を開いてひたすら坐禅することを説いた。栄西は幕府の支持を得て臨済宗を広めた。また,(46)は『法華経』を選択し,さらに題目を唱えることを説いている。いずれもきわめて単純な(47)や信へとひたすらになることであった。
6.幽玄を最も大切な美の一つとも説く(48)の能では,「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」と説いた。
7.徳川家康は(49)を招いて朱子学を幕府の教学として,以降代々林家の儒学者が幕府に用いられた。これに対して(50 )の中江藤樹や熊沢蕃山らは知行合一を主張した。
8.近世前期の代表的な儒学者(51)は,忠信を主とすべしというしかたで,人に対してあざむかず偽らず真実であることを強調して以来,誠を重視する傾向が強められた。
9.日本の古典を研究し,そこに真の人間の生き方を見い出そうとしたのが,本居宣長らの(52)の考え方であった。宣長らは,仏教や(53)の考え方を人間がつくりあげた「(54)」(理屈が勝った考え方)と批判して,真心や同情心を尊重する考え方を主張した。