RSC10

10. 近代的合理精神

 

1.科学的精神のめばえ

 

1.近代科学の方法は,一般的には経験的事実や先行研究をもとに(1)を立て、それを(2 )や観察によって(3 )し,立証されたときに新しい真理の発見となるのである。

 

2.ニュートンやホイヘンスあるいはラボアジェやリンネなど,数学・天文学・物理学さらには生物学などの領域において,科学的方法が確立し知識の体系化が進んだ17世紀の学問上の出来事を(4 )という。

 

3.ポーランドの天文学者(5 )は,主著『(6 )』において,プトレマイオス以来の宇宙観であり,当時のローマ=カトリックが支持していた(7 )を批判し,(8 )を主張した。

 

4.ドイツの天文学者(9 )は,地動説に立って惑星の3大法則を発見したが,イタリアの修道士(1O )は地動説を支持したため火刑に処せられた。

 

5.慣性の法則や落体の法則を発見した(11)は,主著『(12 )』の中でアリストテレス哲学を批判して地動説を唱え,望遠鏡でそれを実際確かめてみようとした。このため,彼は(13 )にかけられることになった。

 

6.先行する学問の成果を包摂して(14 )の法則を発見した(15 )は,その力学の集大成を『(16 )。において発表した。それは古典力学の大成であると同時に,近代物理学の幕開けでもあった。

 

2.経験論

 

1.イギリスの大法官でもあった(17 )は,アリストテレスの科学書『オルガノン』への批判を込めて『(18 )。を著し,感覚的経験に知識の源泉をおく(19 )の先駆となった。

 

2.偶像という意味のラテン語(20 )を〈先入見〉の意味に用い,これを排除することなしには学問は成り立たないと,彼は考えた。

 

3.言葉の持つ不完全性や誤った使用からくる先入見は(21)というが,権威ある思想や学説を無批判に受け入れることから生まれる先入見は(22 )という。

 

4.個人的な性格や好みからくる思い込みは(23 )といわれ,人間という種独自に生じる偏見は〈24 〉といわれる。

 

5.知識は実験・観察によらず理性による論理からだけ導かれるというのはクモの流儀ありで(25 )の立場である。しかし,経験的な事実であっても,単なる事実の集積は蟻の流儀で何らの科学性も持たない。実験と観察にもとづく事実の集積を方法として持つ(26 )こそが,真に科学的な方法といえる。

 

6.「自然とは(27 )することによらなくては征服されない」というベーコンの言葉は,冷静な自然観察を求めるものである。こうした先入見のない目.でもって行われた実験や観察によって得た知識こそが,自然を征服する力となると考え,彼は「(28 )」と語っている。

 

7.社会契約論でも知られるイギリスの(29 )は,その著『(30 )』において人間の精神は生まれたときはく(31 )〉であり,知識はそこに刻印された印象によって形成されてくる,と語っている。

 

8.イギリスの思想家(32 )は,人間の精神は〈知覚の束〉であり,知識の源泉は心の中にあるのであって,対象の中にはないとする懐疑論を展開した。

 

3.合理論

 

1.合理論の立場は,理性が知識の源泉であり,それはすべての人に生まれつき公平に 配分されている,という考えを特質としている。フランスの合理論哲学者(33 )の次の言葉は,端的にそのことを示している。「(34 )はこの世で最も公平に配分されている」。

 

2.知識あるいは真理は,一切の曖昧さもなく他のものと厳然と区別される(35 )を特質として持たなければならない。それゆえ,真理を求めるためには一切を疑ってみる必要がある。この真理探求のための方法としての疑いのことを(36 )という。

 

3.すべてを疑い尽くしてみても,そのように疑っているという事実は消えない。従って,いま疑いつつある自分はまちがいなく存在している。この明確な事実をデカルトは「(37 )」と表現し,これを学問の第一原理と考えた。

 

4.学問の第一歩は,明晰・判明な真理を第一原理とし,それを出発点に推論によって個別的真理を導いていかなければならない。この幾何学の公理・定理のような学問の方法を(38 )という。

 

5.〈コギト〉にいたり着いたデカルトは,物体と精神とは異なる原理からなる二つの(39 )であると考え,物体の属性を(40 ),精神の属性を(41 )ととらえた。このように世界を物体と精神の二つの実体・原理によって説明する立場を(42 )という。

 

6.精神と分離された物体は,物体相互が原因となり結果となって,自然界において生成・変化を繰り返している。このように,すべてが神の意志によって秩序づけられ,一定の目的を持って存在しているという,アリストテレスの自然観や中世カトリックの宇宙観のような(43 )世界観から離脱し,自然界を機械的な因果関係によって説明しようとする立場を(44 )という。

 

7.物体や自然が神や超越者から離れてそれ自身の法則で存在するという考え方は,同じく自分という存在も自分が自分であると意識することによって自分を了解する。この自己の存在は神によって保証されるのではなく,自己の意識において了解されるのだという事実は,デカルトの〈われ思う〉すなわち〈コギト〉によって自覚されることになった。この新しい自分の発見を〈(45 )〉の成立という。

 

8.オランダの哲学者(46 )は,デカルトの物体と精神との二元論を批判し,世界あるいは自然は神に満ちており,精神も物体も無限の性質を持つ神のあらわれであるという(47 )を展開した。

 

9.ドイツの哲学者(48 )は,宇宙は何らかの精神作用を持つ非物質的な(49 )によって形成されているという思想を展開した。

  

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