RSC12

12. 近代民主主義の倫理

 

1.カントの思想

1)認識論

1.知識はいかにして成立するかという認識論において,イギリス(1 )と大陸(2 )を批判的に統合した(3 )の哲学は(4 )とよばれている。

 

2.人間の理性を認識能力としての(5 )と人間の意志を規定する能力としての(6 )に分類し,前者の理性を批判的に検討し,その働きを現象界に限定したのが 主著『(7 )』で,後者の理性による自由と行為の問題として論じたのが『(8 )』である。

 

3.認識主観と対象とは独立した存在と考えられていた従来の認識論を,対象は主観によって構成されるとしたカントの逆転の発想は,(9 )とよばれている。

 

2) 道徳論

1.理性が打ち立てた人間の行為に関する普遍的な法則である(10 )は,普遍的であるがゆえに内容をともなわない(11 )とならざるを得ない。そして,この法則が命じる命令は「〜すべし」という無条件の(12 )という形をとる。

 

2.行為はあくまでも個人の行為であるが,それが道徳的であるためには次の原理に従わねばならない。すなわち「汝の意志の(13 )が,常に同時に(14 )の原理として妥当し得るように行為せよ」。

 

3.道徳法則への畏敬の気持ちは,その命令に従おうとする(15 )の念を生む。そしてこの畏敬をともなった服従のみが,行為に(16 )を与える。だから,ただ結果的に道徳法則に合致しているだけでは(17 )はあっても,道徳的とはいえないのである。

 

4.「善いからするのだ」という道徳的義務にのみ従おうとする意志を(18 )という。この言葉の背後には,「〜だから〜すべし」というような条件つきの命令である(19 )は道徳的とは考えないとする思想があり,結果よりもただ純粋に義務に従おうとする(20 )を重んじる考えがある。

 

5.(21)とは,自ら打ち立てた法則に従うことである。それは,自らが自らを拘束することであり,自分以外の何ものに拘束されないという点で(22 )の基礎でもある。

 

6.理性的存在者である人間は,自律的な自由の主体という点で(23 )とよばれる。それゆえ,各人の人間性は単なる(24 )として扱われるべきではなく,常に同時に(25 )として扱わなければならないのである。カントのこの立場は,人格主義とよばれている。

 

7.各人が各人の人間性を目的とする道徳的な共同体を,カントは(26 )とよぶ。この思想は国家間にも応用され,各国が相互にそれぞれの国家としての主体性を認め合うところに平和があると考えた彼は,『(27 )』という著作にその理想を語っている。この思想は,のちに国際平和機関としての(28 )に多大の影響を与えることとなった。

 

2.ヘーゲルの思想

 

1.ドイツ(29 )哲学の系譜は,カントに始まり,その二元論を批判して絶対的自我を説いた(30 )から,自然と精神とを包括する絶対者を説く(31)を経て,(32 )において完成させられたといわれている。

 

2.物質が重量を本質とするように,精神は(33 )を本質とする。その精神は,自ら主観的精神と客観的精神とに分裂した後,最終的に(34 )において自らに還帰すると考えられた。この精神の自己展開を記したのが『(35 )』である。

 

3.(36 )とは思考と存在の発展の論理である。それは,ある立場を(37 )とするなら,それと矛盾しそれを否定する立場である(38 )の段階を経て,その両者を高次の立場から総合する(39 )の段階にいたるとする,変化の論理である。

 

4.客観精神は法・道徳の対立を経て(40 )に統合される。この後者の段階は,さらに愛の充足態とよばれる(41 )と(42 )の体系といわれる市民社会の対立を経て(43 )によって統合されるのである。

 

3.功利主義思想

1)ベンサムの思想

 

1.功利主義思想の背景には,イギリス経験論や自由放任主義を唱えた経済学派である(44 )の影響がある。とくに後者では(45 )はその著『(46 )』の中で,利己心を重視し,利己心によって行われる営利行動は〈(47 )〉に導かれて,社会全体に幸福をもたらすと語っている。

 

2.功利主義の体系化をはかった(48 )は,善悪の基準を(49 )におき,これによって個人的幸福と社会的幸福の調和をめざすことが(50 )の原理だと考えた。

 

3.個人と社会の幸福の調和という考えは,ベンサムの著作『(51 )』の表題にもあるように,道徳とともに統治の原理でもあり,そのための法体系の樹立が彼のめざすところであった。その最終目標が「(52 )」という言葉に表明されている。

 

4.〈多数の幸福〉や〈最大の幸福〉という観念は,幸福が計数可能なものととらえられていることを意味する。彼は強さや遠近や範囲などの基準によって(53 )は可能だとする(54 )の立場に立っていた。

5.快楽の源泉は,同時にその限界を持つ。この限界が人間の行動に拘束を与えるが,それを(55 )という。彼はそれを(56 )・政治的・道徳的・(57 )なものに分類している。

 

2)J.S.ミルの思想

 

1.ベンサムの後継者である(58 )は,その著『(59 )』において,快楽に質的差異を認め,精神的快楽を重視した。「満足した豚であるよりは,(60 )であるほうがよく,満足した愚者よりは,(61)のほうがよい」という言葉は,このことを端的に語つている。

 

2.彼は功利主義の理想を,「自分を愛するように,(62 )」というナザレのイエスの(63 )に求め,制裁も内面的な制裁を重視した。彼のこの立場は,ペンサムの功利主義に対して(64 )とよばれている。

 

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