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16. 日本古代の思想と日本文化

 

1.日本の風土と日本人の考え方

1)日本の風土と社会

1.日本の哲学者(1 )は,気候や地質や地形が人間や文化にどのような影響をもたらすかについて,その著『(2 )』において論じている。

 

2.彼によれば,西アジアや内陸部は(3 )風土とよばれ,放牧生活を中心として強固な団結力と戦闘的な性格とともに,唯一の神を信じる(4 )を持つ文化であることが特色と考えられた。また,欧州は(5 )風土とよばれ,夏の乾燥と冬の温暖湿潤の中で農牧業を中心とし,澄んだ空気の中で論理的な思考や学問を生んだとされている。

 

3.日本は(6 )風土の特色を持ち,季節風の恵みとともに台風や梅雨といった気まぐれな自然の中で忍耐強い性格とともに,大らかな生命観と豊かな感性を育んだとされている。

 

4.日本の伝統的村落では,(7 )あるいはミウチと,(8 )あるいはヨソモノとを厳しく区別し,共同体の一致を求める(9 )を重んじるとともに,私心のない純真な心情である(10 )を尊んだ。

 

5.古代の日本人は,共同体に災いをもたらすものは罪あるいは(11)とよばれ忌避されたが,それも(12 )や禊によって浄化できるという,楽観的な考えを持っていた。

 

2)日本古来の信仰と死生観

1.日本人の信仰や死生観については,日本最古の歴史書である『(13 )』や『日本書紀』あるいは『風土記』などに記されている。

 

2.豊かな自然に恵まれた日本では,自然界のすべてのものに霊が宿るとする(14 )の思想を持っていたが,それらは具体的な霊力となってあらわれるとき(15 )とよばれた。従って,日本ではいたるところに神々があらわれ,それらは総称されて16 )とよばれている。

 

3.日本の神はムラの外からあらわれ,ムラに災いをもたらす(17 )の性格を持つが,祭られた後はムラに恵みと平安をもたらす和む神となる。民族学者の折口信夫はこの外からの来訪者を(18 )とよんでいる。

 

4.従って,神を迎え,和ませ,送るという(19 )は,共同体の重要な儀式であり支配者の仕事であった。高天原に住む(20 )は神々を祭る神であり,天皇はその子孫として,神々を祭って豊饒と平安を祈願する〈まつりごと〉が仕事であった。こうした政治と祭儀の一致を祭政一致という。

 

5.日本神話における初めての人格神は男神(21 )と女神(22 )である。こうした神々の住む世界は高天原といわれるが,彼らによって産み出された(23 )が人間の住む世界なのである。

 

6.人間のみならず神さえも死んだのちは,(24 )とよばれる冥府に赴くが,そこはこの世と連続しており,往来できるところとして描かれている。

 

2.儒教・仏教伝来以後の日本文化

1)無常観の文学

1.仏教には,縁起説によってこの世を常ならぬものととらえる(25 )の思想がある。日本では、この考えをより主観的、情緒的な(26 )として受け取り,独自の美意識や人生観を生み出してきた。

 

2.平安末の歌人(27)は,世の無常を感じて武士の身分を捨て,全国行脚の生活を送りながら多くの歌を残した。また(28 )は,混乱する時代と社会に無常をみて山に入り、「行く川の流れは絶えずして,しかももとの水にあらず」という言葉で始まる随筆『(29)』を書き残している。

 

3.「祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響あり」という書き出しで知られる『(30 )』は,全編が無常観によって貫かれた軍記物語であるが,同じ鎌倉末期の随筆家である(31)は,その作品『(32 )』の中で「世はさだめなきこそ,いみじけれ」と語り,この世の無常を冷静に受けとめている。

 

2)芸能・造形と美意識

1.平安時代の猿楽と田楽とを基礎に生まれた(33 )は,禅宗思想の深淵で微妙なさまをあらわす(34 )という言葉を,華やかさの中に余情と余韻を持つ情趣ととらえた能楽家(35 )によって完成させられた。

 

2.臨済宗開祖栄西によって日本にもたらされた茶は,村田珠光と(36 )によって(37 )あるいは茶の湯という独自の文化へと高められたが,それは坐禅の境地である簡素・閑寂を示す(38 )をその精神とするものであった。

 

3.(39 )あるいは生け花は,元来,仏前の供花に由来するもので,茶の湯にも取り入れられ,武家屋敷の建築様式でもある(40 )においては,床の間や棚を飾るものとなった。

 

4.(41)は墨の濃淡によって絵を描くものであるが,中国においては禅の境地を示すものとして,日本においては禅僧(42 )によって完成させられた。

 

5.日本独自の庭園には(43 )あるいは石庭とよばれる庭がある。これは白砂と石によって山川をあらわすもので,代表的なものに京都竜安寺の方丈石庭がある。

 

3)近世以降の日本人の道徳意識

1.社会学者中根千恵は,日本社会の構造は(44 )をなしていると指摘する。それは,集団内の上下関係が人間関係の基礎をなすとする考えで,江戸封建体制の儒教道徳の下でいっそう明確になっていった。

 

2.権力による封建道徳の押しつけは,公的・社会的制約としての(45 )をはたすことを美徳とし,それが私的で人間的な感情としての(46 )との間に葛藤を生じさせてきた。現代日本人も前者をタテマエ,後者をホンネとしつつ,ここから悲喜こもごもを生み出している。

 

3.日本人は世間(他人)の目を意識し,その非難を受けることを(47 )と考えている。これは,日本人が行動の基準を他者(世間)においているためであり,この点をさして米国の学者ベネディクトは日本文化を(48 )とよび,欧米人が神を意識した罪の文化を形成してきたことと対比している。

 

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