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17. 日本仏教の展開

 

1.仏教の伝来と発展

 

1.6世紀に儒教とともに伝来した仏教を,天皇制国家建設の指導原理として採用したのは,推古天皇の摂政であった(1 )である。彼は,その原理『(2 )』に記している。

 

2.共同体の平安と調和のためには(3 )が重要と考えた彼は,憲法の第一条に「(4 )」と記し,そのためには仏の前では賢愚の差異などないに等しく,人は誰もが(5 )であるという自覚を持たねばならないと考えた。

 

3.この自覚は,むろん仏教への帰依によるもので,憲法の第二条には「篤く(6 )を敬え」と記して仏・法・僧の尊重を訴えるとともに,法華経・勝鬘経・維摩経の注釈である『(7 )』を著したといわれている。

 

4.その彼も,晩年には神仏からの利益を願う(8 )的な仏教を排し,「(9 )」という言葉にあらわされるような,現世への執着を否定する境地にいたった。

 

5.唐に渡って仏教を学んだ(10)は,帰国後日本(11)を開いた。その彼の尽力によって比叡山に戒壇院が設立され,延暦寺は全国の学僧のための一大学問所となったが,彼が著した『(12 )』にその教育理念をうかがうことができる。

 

6.彼の中心思想は,仏の言葉はさまざまに語られているが本質的には一つであり,それは『(13 )』の中に記されている,とする(14 )思想である。

 

7.(15 )は唐に渡り,宇宙の真理である法を体現した法身仏を信仰する(16 )の教えを持ち帰り,天皇から高野山を賜って(17 )を開いた。

 

8.彼の教えは儒・仏・道教の三教を比較検討した『(18 )』に記されているが,中心となる思想は,宇宙の真理を体現した法身仏である(19 )への信仰で,この世もこの仏の身・口・意の三密のあらわれとする考えである。

 

9.平安時代後期に流布した(20 )という思想は,今は仏の教えである〈教〉も,それに従った修行である〈行〉も,その結果としての悟りである〈証〉もあった(21 )の時代は終わり,〈教〉と〈修〉はあるが〈証〉のない(22 )の時代もすぎ,〈教〉しかない(23 )の世で,救いのない時代だとする考えである。

 

10.天変地異や戦乱の中で,今の世を救いのない時代と感じた人々に,諸仏の住む(24 )への往生を説く信仰が生まれた。中でも(25 )の住む西方浄土への往生を願う信仰が多くの信者を獲得していった。

 

11.〈市聖〉とよばれた(26 )や『(27 )』によって地獄の恐ろしさと極楽の素晴らしさを説いた(28 )は,そうした浄土信仰発展の貢献者であった。

 

 

2.鎌倉仏教の発展

1)法然と親鸞

1.〈智恵第一〉といわれながらも比叡山での修行に満足しなかった(29 )は,中国(30 )の念仏の教えに従って開眼し,(31)を開くこととなった。

 

2.彼の著作『(32 )』には,末法の世において悟りはなく,ただ弥陀の(33 )にすがるほかはないという(34 )の教えが説かれている。

 

3・(35 )というのは,自力での悟りがない以上はさまざまな修行は無意味であり,ただひたすら〈(36 )〉と念じるだけで救われるとする,彼の考えである。

 

4.師の他力の教えを徴底した(37 )は,(38 )を開いた。彼は師の念仏にはまだ自力があると考え,その念仏さえも阿弥陀仏によってさせてもらっているという(39 )の立場をとり,すべては弥陀のはからいによるとする(40 )の境地にいたった。

 

5.他力の徽底は,「(41)なおもて往生をとぐ,いわんや(42 )をや」という(43 )説を生むにいたった。すなわち,自力で善業を積むことのできる人でさえ往生できるのだから,悪業のゆえに悩み苦しむ人こそ阿弥陀仏は救って下さる,というのである。

 

6.彼の思想は,その著作『(44)』に詳しいが,その弟子唯円の筆になる『(45)』にも明解に記されている。

 

2) 栄西と道元

1.達磨によって開かれた(46 )を日本に持ち帰った(47 )は,(48 )を開くとともに,自力による悟りを説く立場から末法思想を否定した。この自力の教えが,新興武士階級の受け入れるところとなった。

 

2.比叡山に学んだのち栄西に師事し,のち宋に渡って禅を学んだ(49 )は,帰国後、(50 )を開いた。そして,権力から距離をおいた山中に修行の場を求め,越前の地に永平寺を開いて道場としたのである。

 

3.彼の思想繁ようときに応じて行われた説法をまとめた著作『(51)』に記されているが,弟子の懐奘が師の言葉を記した『正法眼蔵随聞記』も重要な文書である。

 

4.彼は,仏祖の修行はただ坐禅瞑想することであって,仏道を求めるには念仏や礼拝などの実践は一切無用であるとする(52 )の考えを説いた。

 

5.ただひたすらな禅定は,自己の身体や精神に対するとらわれからの脱却である(53 )を可能にする,と彼は考えた。

6.仏祖の行は坐禅のみであり,坐禅のままに悟りを開かれたのであって,禅定は悟りの手段ではなく,坐禅することがそのまま悟りなのだという彼の考えを(54 )という。

 

3)日蓮

1.安房の漁師の息子に生まれた(55 )は,諸宗派に学んだのち,独自の宗派(56 )を開いた。そして,仏典のうち(57 )こそが仏陀の真実の言葉を記したものとする立場をとり,これにもとづいて国家の平安がはかれるとする著作『(58 )』を著し,執権北条時泰に献じた。

 

2.仏陀の真理は〈妙法蓮華経〉という(59 )の中に統一されており,成仏するにはただ「(60 )」と唱えるだけでよい,と説いた。

 

3.自らを〈法華経の行者〉と称した彼は,その布教のために他宗派を激しく非難した。〈(61)〉といわれる〈念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊〉の言葉は,その激しさをあらわしている。

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