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18. 日本儒学と国学の思想

 

1.江戸儒学の思想

1)朱子学

 

1.仏教の補助的な学問として学ばれていた儒教を,独自の学問として独立させたのは(1 )であった。そして,彼は中国宋代に生まれた(2 )を徳川家康に講じた。

 

2.彼の弟子(3 )は,師の推挙によって家康に仕え,江戸幕藩体制の思想的基盤の確立に貢献した。

 

3.彼は自らのうちにある私利私欲を抑え,(4 )に従うことを(5 )とよんだが,これは朱子の居敬を念頭においたものであった。

 

4.彼は幕藩体制維持のために,身分制度を正当化する理論を構築した。それが(6 )とよばれる考えで,人間の身分は天地に上下があるように天によって定められているというのである。そして彼は,心に敬を抱きこの理法に従うことを(7 )といって重視した。

 

5.一方,(8 )は儒教と神道とを融合し(9 )といわれる神道を開き,将軍綱吉の侍講となった(10 )は新井白石や雨森芳州などの優れた人材を送り出した。

 

2) 陽明学

1.近江出身の(11)は,自ら私塾を開くとともに『(12 )』を著して儒教思想を分かりやすく説明するなど,庶民の教育に尽力したが,のち王陽明の説いた(13 )に 傾倒していった。

 

2.彼は天地万物を貫く原理として(14 )を説く。それは人倫の場面では,真心をもって人と親しむ(15 )と上を敬い下を侮らない(16 )としてあらわされるものである。

 

3.孝の実践は(17 )すなわち時と場所と身分を考慮して行われるもので,彼の弟子(18 )は,法や道徳はこの配慮なくしては成り立たないと考えた。

 

3)古学

1.朱子や王陽明の解釈の入った儒教を本質的ではないと考えた(19 )は,師事していた羅山を離れ,孔子・孟子の原典に帰る(20 )を提唱することとなった。そのため彼は,赤穂へ流されたのである。

 

2.彼は『(21 )』を著して孔孟に帰ることを提唱するとともに,鎌倉以来の戦士の道である武士道に対し,支配者としての徳を求める(22 )の確立を説いた。

 

3.初め朱子学を学ぶが飽き足らず,『論語』こそ最高の書と確信した(23 )は,『論語』『孟子』の本質を求める(24 )を提唱することとなった。『論語古義』や『語孟字義』はそのための注釈書である。

 

4.彼は孔子の思想の核心は(25 )にあり,その本質は(26 )であると考えた。しかし,それも根底に自他を偽らない純粋な心があってこそであるとして,古代日本の清明心にも通じる(27 )を最も重視した。

 

5.彼は,自らの教えを幼い子どもの問いに答えるという形式で,その著作『(28 )』に記している。

 

6.(29)は,孔子や孟子がその手本とした〈六経〉にまで先人の道を求めた。そして,それらの古典を原典に別して研究する(30 )を提唱したのである。

 

7.彼によれば,中国古代の賢人・聖人の説いた(31)とは,朱子学のいうような天地自然の道ではなく,人々の安寧をはかり天下を安んじるための(32 )であり,人為的な道であると考えた。

 

8.道は観念的な道ではなく,世を治め民を救う(33 )こそが本来の姿であり,具体的には儀礼や音楽を整え,刑罰を定め政を行う(34 )にその本来性がある,と彼は考えた。

 

 

2.国学の思想

 

1.儒学における古典復帰運動は,『古事記』や『(35 )』の研究を通して日本古来の精神を求めようとする学問である(36 )を生むことになった。

 

2.その先駆者は,摂津の僧侶であった(37 )で,文献的・実証的古典研究によって,古代の精神に帰ることを提唱し,自ら『万葉代匠記』という注釈書を著した。

 

3.また,京都の神官であった(38)は,契沖の万葉学と伊藤仁斎の古義学を学び日本の古語の研究を通して日本古来の道である(39)を求めようとした。

 

4.荷田春満に師事した(40 )は,儒教の影響を受ける以前の古典を研究し,それを『(41)』に著している。それは、儒教の持つ欠点を鋭く批判し,日本古来の和歌を通して古道を説くものである。

 

5.彼によれば,儒教の説く道は人為的で理屈に傾きすぎであり,日本古来の精神はもつと自然で素直なこころであったという。この素朴で雄大な日本古来の精神を(42 )とよんだ。

 

6.この素朴で雄大な精神が言葉や行為にあらわれた時,それを〈(43 )〉とよぶが,それは『万葉集』を貫く精神であり,『古今和歌集』の特質である〈たおやめぶり〉と対比されている。

 

7.伊勢松坂の医師であった(44)は,医業のかたわら『源氏物語』や『古事記』に親しみ,賀茂真淵と出会ってその学問的方法を継承し,ライフワークとなった『(45 )』、の執筆や随筆集『(46 )』を著すことになった。

 

8.彼は儒教や仏教は理論化され形式化された不自然な精神からなっていると批判し,その心を(47 )とよんだ。これに対して日本古来の精神は,自然で素直な心であると考え,これを(48 )とよんで賞賛した。

 

9.そして,日本古来の精神は神によってつくられた自然な道と考え,これを(49 )とよんだ。

 

10.さらに彼は,『(50 )』において独自の文芸論を展開している。すなわち,文芸の本質は対象(もの)と主観(人間)との間の共感によって生まれる感動であると考え,それを〈(51 )〉と表明した。

 

11.本居宣長の説く神によってつくられた道を,〈皇国の意〉を明らかにする道ととらえた(52 )は,新たな神道として(53 )を説き,幕末の倒幕運動に理論的支柱を与えることになった。

 

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