RSC22

22 価値と道徳

 

1.「大切なのは,ただ単に生きることではなく,(1)である」と語ったのは,ソクラテスである。人は意味のない,あるいは価値のない生を生きることはできない。ヨーロッパの伝統では,人間的響値を(2 )という三つの言葉で表現しているが,それは学問的な真理・道徳的な善さ・芸術的な美しさをあらわしている。

 

2.ドイツの哲学者(3 )は,価値の追求にもとづく人間の生き方を求める価値倫理学を主張したが,同じくドイツの哲学者・心理学者の(4 )は,人間の性格をその求める価値によって六つに分類している。

 

3.ソクラテスは魂の善さすなわち(5 )を求めた。この言葉は漢字では〈徳〉と書かれ,中国でも精神の卓越性をあらわし,孔子の求めた仁にもとづく政治は(6 )とよばれている。

 

4.孔子の思想的後継者である孟子の(7 )は,仁・義・礼・智という徳の端緒に関する説で,ソクラテスの弟子のプラトンの説く(8 )とは,知恵・勇気・節制・正義のことである。

 

5.「夫子の道は(9 )のみ」と弟子が語るように,孔子の生涯は誠実と思いやりに満ちていた。しかし,この同じ道を宇宙の根源ととらえ,儒教の説く道を人為と批判したのは(10 )の思想家たちである。とくに荘子は,人間的価値は相対的なもので,一面で役に立たないものも他面では役に立つのだという(11 )を説いた。

 

6.孔子の説く道徳論は,宋代の(12 )によって理論的な哲学体系へと発展させられたが,その(13)二元論を封建道徳の根拠に援用し,「君は尊く民は卑しきぞ」とする(14 )を説いたのは林羅山であった。

 

7.江戸朱子学の支配者の側の道徳に対して,中江藤樹は万物を貫く原理として(15 )を説き,伊藤仁斎は古代の清明心に通じる(16 )を説いたが,経世済民を目的と安天下の道こそ(17)であり,抽象的・観念的な天の道ではないと説いたのは荻生徂徠である。

 

8.パウロは(18 )という三つの徳をギリシア的徳の上位においたが,ニーチェはこのキリスト教道徳を(19 )とよんで批判した。なぜなら,現代の大衆は〈消極的(20 )〉とでもよぶべき享楽と退廃の中で,生の本来的意味を見失っているが,その原因は弱者の道徳を説くキリスト教にある,とニーチェは考えたのである。

 

9.理性によってみい出された普遍的な道徳の法則をカントは(21)とよぶ。それは,行為そのものが目的であるがゆえに,ただ単に「為すべし」という無条件の命令となる。 この命令の形式は(22 )といわれ,実践理性の発する命令であり,それは,ただ善いから行うという純粋な意志すなわち(23 )に与えられた命令である。

 

10.ヘーゲルはカントの道徳を主観的であると批判した。すなわち,自由を求める人間精神は,まず客観的な外的強制力としての(24 )を生み出すが,その裏づけとして個人の自律的・主観的な規範としての(25 )を必要とする。この主観的・客観的規範をより高次の立場から(26 )し統合したものが(27 )なのである。

     

倫理IT学習に戻る