RSC29 

9 戦争と平和

 

1.儒家の仁の思想を批判した墨子は,自他の別を越えた(1 )とたがいの利益をはかる交利を説くとともに,幸福を踏みにじる侵略戦争を否定し(2 )を説いた。

 

2.「兵は強ければ則ち勝たず,木は強ければ即ち折る」と語った(3 )は,水のように柔らかくしなやかに生きる(4 )が道にかなった態度だと説いている。

 

3.「戦いは万物の父」と語るヘラクレイトスの言葉は,この世は永遠に生きる(5 )のように対立と緊張の中で変化し続けるものだという意味であり,「(6 )」という彼の言葉と対をなしているのである。

 

4.「戦いに勝つには二つの方策がある」が,「その一つは人間の法であり,いま一つは獣のカである」と語った(7  )は,混乱するイタリアの統一のために権謀術数が必要であるとして,『(8 )』を著した。

 

5.オランダのグロティウスは,三十年戦争の悲惨さから国家間にも法が必要だと考え,〈国際法〉の制定の必要性を訴えた。その彼の代表的著書が『(9 )』である。

 

6.人間の自然状態を「(1O )」ととらえたホップズは,強大な国家権力の必要性を感じ取り,〈(11 )〉にたとえられるような強力な専制国家を提唱した。

 

7.各人が各人の人格のうちにある人間性を専重する(12 )を理想社会としたカントは,この考えを国際社会にまで拡大し,『(13 )』の中で国際平和機関の必要性を提案し,近代の国際連盟の原型となった。

 

8.(14 )の社会有機体説と進化論の考えによって,社会進化論を唱えた(15 )は,戦争を人類進歩のための必要悪と考える人々の支持を受けることになった。

 

9.資本主義の最高段階を(16 )ととらえたレーニンは,国内的には独占資本が登場し,対外的には植民地獲得のための戦争が必然的に起こると説いた。

 

10.不殺生・無傷害をインド伝統の(17 )という言葉で表明したガンディーは,非暴力・(18 )を運動の方針に掲げ,民族の独立と戦争の放棄を訴えた。

 

11.ロシアの文豪(19 )の影響を受けたフランスの作家(20 )は,人格の完成は不正や暴力と戦うことなくしてはあり得ないとする(21 )を唱えた。

 

12.1955年の(22 )は,核廃絶を求める宣言であるが,これを契機に日本の湯川秀樹を始めとする世界の科学者たちが,核廃絶のための会議をカナダの(23 )で開催することになった。

 

13.(24 )によって一高教授を退職させられた内村鑑三は,〈万朝報〉に入社し,(25 )事件に対しては田中正造を支援して資本家を非難し,日露戦争開戦前には(26 )を紙上に展開した。

 

14.自由民権運動から社会主義に転じた(27 )は,『二十世紀之怪物帝国主義』によって軍国主義を厳しく非難したが,(28 )によって刑死することとなった。

 

15.社会主義運動の反動として昭和初期にあらわれた(29 )の思想は,その理論家(30 )の著した『日本改造法大綱』によって一層過激なものとなり,ついには青年将校によるクーデターを生み,日本は一気に軍国主義へと突入することとなった。

     

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