RSC31 

31 信仰と愛

 

1.世界の古代文明をみると,自然の現象や事物を信仰の対象とする(1)が一般的であった。その意味では,自らを超えるものを信仰の対象として持つ存在として,人間を(2 )ととらえる人間観は,人間性の一面をいい当てている。

 

2.神話という言葉はギリシア語で(3 )といわれるが,それは〈語られたもの〉という意味で,世界の民族は各々の神話を語り継いできた。ギリシアでは(4 )が『神統記』の中で世界の始まりを語り,ユダヤ教では『旧約聖書』の第一章〈(5  )〉に世界の始めが記されている。

 

3.宗教は超越者に対する信仰を基礎に持つがゆえに,本来は内面的なものであるが、儀式や祈りの形も不可欠なものである。超越者への祈りは,イスラム教では五行の一つである(6 ),仏教の浄土系宗派では(7 )などとして行われている。

 

4.信仰は,儀式が形式化した時,本来の姿を見失う。イエスはそれゆえ(8 )の内面化を訴え,ウパニシャツドの哲学者たちは(9  )を悟ることによる解脱を求め,仏陀は快楽主義とともに(1O )をも捨て去り,中道による悟りをめざした。

 

5.信仰は,基本的には個人の魂の救済を特質とする。それゆえ,イエスは自らの罪を告白する(11)を信仰回復の契機と考え,イスラム教では五行の一つで「アツラーのほかに神なし」と唱える(12 )を課している。

 

6.信仰は,超越者に対する帰依と超越者からの救いや愛によって成り立っている。パウロの(13 )思想は神の愛を十字架上のイエスの死に認めるものであり,親鸞の(14 )説は阿弥陀仏の誓願に慈悲をみようとするものである。

 

7.信仰には,救済や修行の条件として戒律や義務が課せられていることが多い。たとえば、モーセの(15)を基礎とするユダヤ・キリスト教のおける律法、イスラム教における(16)・五行、さらには仏教における在家信者のための(17 )や大乗教の実践徳目である(18 )などがある。

 

8.宗教における救済は,ある意味では超越者の側からの一方的な救いである。アウグステイヌスはそれを(19)とよび,宗諒や親鸞はそれを(20)とよんだ。

 

9.宗教には悟り型と救い型の宗教があるが,仏教においては(21 )が前者であり,大乗仏教は後者である。そのうち浄土系は後者であるが,(22 )は前者である。

 

10.神の愛や仏の慈悲に支えられて,人間同士の間にも他者への思いやりや愛が生まれる。イエスの説く二つの戒めのうちの(23 )がそれであり,大乗仏教が理想とする人物像(24 )は,自らの悟りをおいても慈悲の実践を行おうとする人である。

 

11.信仰は,時として現実世界を否定する。イエスは心の中に神の国をみろといい,イスラム教はこの世でない(25 )を信じろといい,(26 )は「世間仮虚 唯仏是真」と語るのである。

 

12.人が信仰を求めるのは,何らかの苦悩や悲哀に出合うときである。仏教はこの世のすべては苦ととらえる(27 )という考えを持ち,カルカッタのスラムで奉仕活動を行った(28 )は,貧者や病者の中にイエスをみたという。

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